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一方、東京のハズレにある予備校に面接と試験で行ってみたら、アポの時間から1時間近く待たされた。
試験を受けるのは僕一人のようである。職員が現れたときに「なぜこんなに待たされるのか。理由を説明してくれ」と絡もうかと思ったが、そんなに強い立場ではない。じっと我慢する。
まず筆記試験。
普通の文法問題のオンパレードで、何でもなかった。30分くらいだったろうか。満点に限りなく近かったと思う。
すぐに模擬授業。
今まさに解いた問題で授業をしろという。これは経験があるのでそれほどの問題ではない(今考えるとかなりひどかったような気もするが、そのときは駆け出し以前)。15分程度。
さらに面接。
10分程度。ここで初めて時給を知る。塾のバイトで90分2700円で働いていた僕としては、「えっ?」という感じの高額に感じた。もちろん何でもないフリをする。希望を問われたので、持つ授業数(コマ数)の上限を伝える。金額に関しては文句がないし、そもそもどういう職場なのかも知らないのだ。追って合否は連絡するとのこと。
このエッセイを書いている今になって思うこと。
人生の転機は、向こうからやってくる。自分がなりたい存在を目指してそれを実現する人もいるだろうが、僕のような凡人はそうじゃない。予備校講師になるなんて、23歳の12月まで一瞬も考えたことがなかったのだ。
そして今、この仕事は「今の」僕にとってライフワークになっている。それが「未来の」僕にとって同じかどうかはわからない。こうやって文章を書いていると、自分の存在がいかに危ういものであるかがよくわかる。わかってどうなるというものではないにしても。
その予備校の採用がアッサリ決まる。
希望通り1週間に4コマの担当になった。すぐに九十九里浜あたりにある県立高校に断りの連絡を入れる。とにかく、社会人として1年目を無事に迎えることができるようだ。
もちろん塾講師の仕事がメインであり、その担当コマ数は僕の希望通りになる。休みは日曜日だけだが、週に4回は夕方からの授業だけ。予備校の授業の準備は大変そうだが、塾のほうはもう慣れたものであり、スケジュールはゆるゆると言える。年収とか将来の展望とか、そういうことは何も考えなかった。若いというのは無謀なこと。
4月の中旬、ついに僕は予備校の教壇に立つ。
23歳と10ヶ月。予備校講師のデビュー戦。
「おはようございます。信原です。がんばっていきましょう・・・」
追記:このシリーズは1993年ごろの実情です。これで完了。
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