予備校講師でわるかったな!





各ページのご案内はコチラ 

proflile 自己紹介

diary 日記

essay エッセイ

bbs 掲示板
  

Copyright (c) 2004 
takeshi nobuhara All Rights Reserved. 

essay エッセイ
三つ子の魂百まで 2月11日
  小学校1年生のときの作文だ。
  「1の3 信原健志」と表紙に書いてある。もちろん漢字はまだ書けない時期だから母親が書いたのだろう。みずいろのコクヨのバインダー。わら半紙に穴が空けられ、きっちりとバインドされている。

  もう30年も前のことだから、本当に僕が書いたのかどうか確信は持てない。
  でもこんなものを偽造するとか、他の人のものと取り違えるなんてことはないだろう。ちゃんと署名もひらがなで残っているし。タイトルは『たのしかったえんそく』


>>>
  ぼくが、おきたとき、おべんとうをつくっていました。
  きょうは、はれるかなと、おもってかーてんをあけました。
  きれいにひがさしていました。
  しゅっぱつするとき、「どうぶつえんのはなしをきくからね。」と、おかあさんがいいました。


  お弁当を作っていたのは母だろう。
  遠足という特殊な状況であるにせよ、僕は天気を気にしている。


>>>
  そして、がっこうから、しゅっぱつして、××えきにいくとかもつれっしゃが、つうかしました。
  そのつぎに、かいそうでんしゃがつうかしました。
  そのつぎ、きゅうこうにしまごめがつうかして、そのつぎ、きゅうこう上のがつうかしました。
  そして、つぎの、つぎのでんしゃにのって、はくぶつかんどうぶつえんえきにいきました。


  動物園の話ではないのか。
  遠足の話ではないのか。なぜにここまで鉄道の記述が続くのか。この作文が何ページに及ぶのか知らないから、今の僕は不安になる。


>>>
  あしかをみるとき、さかなをなげたとたんに、ふらいでとりました。
  ぞうが、くさをたべるとき、ふるくない、あたらしいくさをたべました。
  おべんとうをたべるとき、はとがあしでわっとやったら、ばたばたと、とびました。


  同形反復の恐るべき使い手である。
  2回目の反復で主語が自分に入れ替わり、それでいて記述はハトに落ち着く。「あたらしいくさ」を説明するためにわざわざ「ふるくない」草を描写し、否定肯定1セットを具現している。このあたりの文章のクセは今も全く変わっていない。というより、すでに7歳のときに自分のスタイル(文体)を確立したのかもしれない(進歩していないとも言う)。しかし果たして、ハトというのは動物園固有の動物なのだろうか。


>>>
  けいせい上のえきにつくと、こんどは、ふつうちば、とかいてありました。
  つぎは、きゅうこうさくらと、かいてありました。
  そのつぎは、ふつうかなまちと、かいてありました。
  ところがきゅうにかわって、こんどはふつうかなまち、とかいてありました。
  つぎは、とっきゅうなり田と、かいてありました。
  そのつぎはふつうちばと、かいてありました。
  それに、のって、××えきまでいきました。


  遠足のポイントは行き先に限定されない。
  そこにたどり着くまでが、そこから自宅に帰り着くまでが、大切なポイントと考えるのは1つの人生観である。それにしても、どうしてそこまで鉄道にこだわるのか。行き先表示板が変わって、もう1度「ふつうかなまち」に戻ったところまで観察していたのか。まさか既にテツだったのか。


>>>
  いえで、いったんたおれてしまいました。


  この作文はここで突然終わる。
  倒れたのが激しい疲労を言い換えたものであることは間違いない。しかし先生は不思議に思ったのか「なんでたおれてしまったのですか」と朱書きしている。小学1年生がメタファーを使うとはよも思っていなかったのであろう。

  自己研鑽は、もう1つの作文で終わりにしよう。
  タイトルは『つまらない1日』。原稿用紙1枚である。珠玉の短編なのだろう。


>>>
  きのう、学校をぼくは、やすんでしまった。
おなかがいたいのでそとへでられないのでこまりました。
本をよんでばっかりしているのでいやになってしまいました。
しかたなく本をよんでいると、三さつよんたところでねてしまいました。気がついたら、もう五じになっていました。
  本をよみはじめたら、すぐ6じになりました。
おなかがすいていたのでどんどんたべました。
またまたよんでいたら7じはんにねむってしまいました。
  とてもつまらない1日でした。


  1回をのぞいて全て改行されている。
  改行という手段を多用して文字数を稼いだのかも知れない。タイトルにも並々ならぬセンスが感じられる。もはやこれ以上煮つめることはできないタイトルと言えよう。
  ものすごい読書家でもあったらしい。本を限界まで読んで、外に出られなかったことが不満だったのか。ホットマットはまだなかったような気がするが。しかし、このあたりの行動、今も変わっていないような気もする・・・。

essay エッセイ  
これまでのエッセイはコチラ