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シリアスなルポルタージュ。
新聞やTVのような、一時的な報道になることのない事件や実情。じっくりと時
間をかけて検証された事実。
『少年A矯正2500日全記録』 草薙厚子
1997年の神戸連続児童殺傷事件。もう古い事件になりそうなので概略。
少女1人、少年1人が殺害された。少年の遺体は切り刻まれ、その頭部が学校
の正門前に放置された。犯人がなかなかつかまらない。「酒鬼薔薇聖斗」と名乗
る犯行声明が新聞社に送りつけられるなどの経過があり、逮捕されたのは当時14
歳の少年Aである。
この事件に関する本となると、
「で、少年Aは本当に矯正されたの?」
「社会に出して大丈夫なの?」
「今はどこに住んでるの?」
「あんな奴は殺してしまえばいいんだ」
などの感情的な反応が予想される。
まず言っておくと、その程度の反応しかできない衆愚が読むべきである。言う
までもなく、僕も衆愚だった。文庫本あとがきから。
>この本が出版されてからというもの、「Aは本当に治ったのか?」という質問
を何度も受けた。私としては「寛解状態(病気が完治したとはいえないが、症状
が治まった状態=信原注:かんかいと読む。医学用語)にあるということです」
という事実しか答えようがない。
つまり本書では、少年Aがカンペキな意味で治癒したかどうかについては明確
な結論が出されていない。
これは衆愚の予想の裏をつく事実かもしれない。そのかわり描かれているのは、矯正の具体的な過程と、少年Aそのものの人物
像である。犯行そのもの、審判、生い立ちなど、「少年Aとはどういう人
間なのか(酒鬼薔薇聖斗とは何者か)」が克明に記されている。
僕自身は、この事件に関する本を読んだのは初めてである。
このあとも関連本を読むかどうかはわからないけど、この本から始めたことは
幸運だと思っている。少年Aって、つまり何だったのだろうと、考えるキッカケ
になった。
『セックスボランティア』 河合香織
障害者の性を語ることがタブー視されているという現状は否定できないだろう
。
障害者は確実に存在していて、目にすることが難しいというほどの人たちでは
ないし、性を育むことは生を育むことだと知っているのに、彼らの性に言及する
人は少ない。僕もその一人だ。
しかし本書はその障害者の性、あげくに性欲の処理にまで踏み込んでいる。
それでいて著者自身がセックスボランティアをしているわけではない。高山文
彦の解説にも、「自分が経験してもいないことを、このように本にするのはいか
がなものかと囁く人がいた」とある。書くべき価値のあることで、それでいて書
けば非難される、そういう作家の労苦に敬意を払いたい。あくまで僕は傍観者に
過ぎないけれども。文庫版あとがきから。
>障害者やその関係者だけではなくて、全く障害について考えたこともなかった
という人達からも感想が寄せられた。そのなかで最も多かったものは、「障害者
も同じ人間なんですね」という意見であった。障害者も同じ人間であるというこ
とは自明であり、言うまでもない事実である。このような発言は、差別をしよう
という気持ちから生じているわけではない。それまで障害を持った人に接したこ
とがほとんどないので、考える機会がなかったからであろう。まずは、自らが考
えることからしか始まらないのだ。
このエッセイの中では詳しい内容に触れない。
要約すれば、障害者への性の介助がどのように行われているか、それをあけす
けに追いかけたノンフィクションである。「あけすけ」と言っても悪い意味では
ない。書くべき現実がそこにあって、それを書いた勇気を賞賛するだけだ。
『死体とご遺体』 熊田紺也
湯灌(ゆかん=死体を洗い、メークをして、仏衣を着せて納棺する仕事)を10
年もやってきた著者による実録。
著者はバブル期(1980年代後半の好景気期間)にCM製作会社に勤め、独立す
る。
しかし92年に著者46歳で倒産。借金2000万から人生のやり直し。転職を繰り返
したあと、在宅介護の入浴サービス業につく。手取り月収20万前後。妻のパート
とあわせれば生活は成り立つが借金が返せない。そこで「死体を入浴させる」湯
灌の仕事につく。
ある職業にたどりつくまでに、その人はどういう人生を送ったのか。
今ある自分は今だけのものではない。過去の積み重ねが今の自分を作っている
。湯灌師になるまでの過程を平凡に著者は語る。
湯灌という作業の実情。
突然の仕事の依頼、必要な道具、エンジェル・メークアップ(死化粧のこと)
をする女性パートナー(著者の妻が務める)の必要性。
出会う死体は様々だ。自然死、自殺、事故死、焼死。それぞれの死体をどうや
って「ご遺体」に仕上げるか。もちろん轢死のように仕上げようのない死体もあ
るという。死後に放置されて蛆がわいた死体もある。外国人の死体も、全身に刺
青(いれずみ)のあるヤクザの死体もある。
著者はあくまでプロとしての仕事をこなす。
湯灌の現場には感情があるが、仕事はあくまでシステマテッィクに行う。感情
には流されない主義だ。
>そんな私にもできることなら避けたい遺体がある。
それは、首吊りで顔がゆがんだ遺体ではない。焼死で黒こげになった遺体でも
ない。飛び降りで・・・(中略)・・・腐乱死体でもない。
(中略)全ては私の仕事だし、さまざまな死体に出会うのはそのバリエーショ
ンにすぎないと思っている。
しかし、子どもだけはだめである。
(中略)ただし、私は涙だけは堪え通す。私はプロだから現場での貰い泣きは
絶対にしない。
湯灌の仕事をやりたがる人がいない。
常に人手不足で、後継者に悩んでいる。湯灌を通して、もちろん著者は死を見
つめる。恩着せがましくもなく、嘆くでもなく、賛美するでもない。ひたすら湯
灌の実情を冷静に紹介する良書。
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