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飯田橋駅の改札を出ると、いつも左にまがった。
今日も左にまがる。外堀公園と呼ばれる、大学へ続く道だ。わたしは大学に入ったときのことを思い出す。
入学式は武道館だった。
だから、桜吹雪が舞うこの公園を歩いたのは入学した日ではなくて、入学した
直後だろう。第1志望の早稲田に入れなかったわたしは、ゆううつという言葉が
とてもよく似合うさくらを見ながら歩いた。
学園祭のころには、即席カップルがたくさんいた。
わたしもその一人だった。大学のなかは学園祭の雑踏があって、落ち着かなか
った。だから、ちょっとその気になっている男女は、夜になると外堀公園に逃げ
た。学園祭は秋だったから、木々は寒々しかった。公園にはわずかな街灯があっ
たけれど、相手の顔がちゃんとわからないくらいの暗闇があった。
わたしたちがそこでしたことは覚えている。
もうこの歳になってしまうと、記憶もあいまいになる。わたしは彼の顔を覚え
ているけれど、ふしぎなことに彼の名前を覚えていない。苗字は覚えているし、
そのときの寒さも覚えているんだけど。あまり、ロマンチックな話じゃない。
公園を10分くらい歩いていくと、左手に大学が見え始める。
大がかりな工事をやっている。わたしが大学にいたころには、「ホール棟」と
「学生会館」と呼ばれる2つの建物があった場所だ。どちらもサークル活動の場
所だった。ちゃんと活動していた人もいたし、わたしのように単純にたまり場と
して使うだけの人もいた。とても古い、まるで学生運動の時代の遺物のような、
きたない建物だった。
2つの建物はなくなっていた。
その代わりに、大きな建物ができかかっていた。今年の4月に完成するという
張り紙がある。今こうして、36歳になろうとしているわたしが、大学にとって部
外者であることはよくわかっている。またあるいは、学者になりそこねた大学院
生と見られているか、学生課の職員と見られているか、よくわからない。たとえ
認めたくなくても、わたしは学生から見れば「おばさん」なんだろう。別に、そ
れでいい。
キャンパスの中央に掲示板がある。
なつかしい。わたしたちが大学で待ち合わせをするときは、掲示板の前だった
。もちろん誰もケータイなんか持っていなかったから、待ちぼうけをくうことも
くわされることもあった。どっちにしても、待つあいだは意味もなく掲示板を眺
めていた。きょうのわたしは、誰を待つわけでもない。やっぱり掲示板を眺める
。
校舎に入ってみる。
学生の姿はほとんどない。地下に降りていくと、いくつかの売店がある。でも
今は大学が休みの時期だから、ほとんどの店はやっていない。なぜか1つだけ開いていたのは「大学グッズ」を売る店だった。校名の入ったTシャツとか旗とかライターとか、そういうもの。どうでもいいもの。今でも、愛校心のある学生がいるのかもしれない。そんなものを買うのは男子ばっかりだった。それは今でも同じなんだろう。なぜか店員が一人もいなかった。
古い大きなエレベーターで6階にあがる。
廊下には当時と変わらない長いすがある。木製で、枠は金属でできていて、重
い。3人くらい座れる。わたしが大学生になったとき、「なんか昔の小学校みた
いな椅子だなあ」と思ったけれど、今の大学生はどう思っているんだろう。昭和
時代みたいだ、なんていう感想も今となってはないのかもしれない。今年は平成
19年。ほんとうに昭和を知らない世代が大学生になっていくのだ。
教室に入ってみたいけど、カギがかかっている。
あたりまえか。エレベーターホールから、教室の南側にあるベランダに出て、
隣にある女子高をながめる。休み時間に、バカな男子たちが、そっちのほうを指
差しながら笑っていたことを思い出す。高校のときと同じで、大学に入っても男
子はいつまでも幼稚だった。もう今ではさすがに、ちゃんとした大人になってい
るのだろうけど。
隣にタワービルがある。
ちょうどわたしがいるときには、閉鎖された大学院棟があった場所だ。市ヶ谷再開発問題がどうとかと、学生運動の人たちが言っていて、なかなか工事に取り掛かれなかったのだ。ちょうどわたしが卒業するころに工事が始まった記憶がある。もちろん入ってみる。
とても綺麗だ。
今の時代、大学と言えばこういう場所だろう。「学食」なんて誰も言わない。
「カフェテリア」と言う。そのころ、何かの機会で青山学院大学の厚木キャンパ
ス(今はなくなったらしい)に行ったことがある。そこではやはり「学食」では
なく「カフェテリア」だった。うらやましいと思った記憶は、ない。きれいな「
学食」でいいなあ、と思ったことは覚えている。
最上階に上がってみる。
エレベーターが無人でちょっとこわい。監視カメラが作動しているという張り
紙がある。そりゃそうでしょうと思う。でも、誰かがとつぜん乗ってきたら緊張
するかもしれない。
1人のまま、26階に着く。
ホテルのロビーみたいな作りで、やはり人の気配が薄い。少し気味が悪いから
、そのままエレベーターホールにある窓辺に近づく。たいした高さじゃない。で
も、高い。市ヶ谷の街が見える。新宿も見える。よく晴れている。
あのときは、古い校舎の6階から外を見た。
外堀がよく見えた。公園には桜がたくさんあった。左手の遠くに新宿が見えた
。大学の建物の6階っていうのは、けっこう高いんだなと思った。わたしは入れ
なかった大学のことを思い、今いる大学のことを考えた。春の、なんとなく寒々
しい廊下から外を見ながら、結局はここに来ることになっていたのかと、あきら
めた。
思い出すこともなかったことを思い出し、35歳のわたしは市ヶ谷駅まで歩く。
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