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essay エッセイ
あるいはまた別の場所に 3月10日

  飯田橋駅の改札を出ると、いつも左にまがった。
  今日も左にまがる。外堀公園と呼ばれる、大学へ続く道だ。わたしは大学に入ったときのことを思い出す。


  入学式は武道館だった。
  だから、桜吹雪が舞うこの公園を歩いたのは入学した日ではなくて、入学した 直後だろう。第1志望の早稲田に入れなかったわたしは、ゆううつという言葉が とてもよく似合うさくらを見ながら歩いた。

  学園祭のころには、即席カップルがたくさんいた。
  わたしもその一人だった。大学のなかは学園祭の雑踏があって、落ち着かなか った。だから、ちょっとその気になっている男女は、夜になると外堀公園に逃げ た。学園祭は秋だったから、木々は寒々しかった。公園にはわずかな街灯があっ たけれど、相手の顔がちゃんとわからないくらいの暗闇があった。

  わたしたちがそこでしたことは覚えている。
  もうこの歳になってしまうと、記憶もあいまいになる。わたしは彼の顔を覚え ているけれど、ふしぎなことに彼の名前を覚えていない。苗字は覚えているし、 そのときの寒さも覚えているんだけど。あまり、ロマンチックな話じゃない。


  公園を10分くらい歩いていくと、左手に大学が見え始める。
  大がかりな工事をやっている。わたしが大学にいたころには、「ホール棟」と 「学生会館」と呼ばれる2つの建物があった場所だ。どちらもサークル活動の場 所だった。ちゃんと活動していた人もいたし、わたしのように単純にたまり場と して使うだけの人もいた。とても古い、まるで学生運動の時代の遺物のような、 きたない建物だった。

  2つの建物はなくなっていた。
  その代わりに、大きな建物ができかかっていた。今年の4月に完成するという 張り紙がある。今こうして、36歳になろうとしているわたしが、大学にとって部 外者であることはよくわかっている。またあるいは、学者になりそこねた大学院 生と見られているか、学生課の職員と見られているか、よくわからない。たとえ 認めたくなくても、わたしは学生から見れば「おばさん」なんだろう。別に、そ れでいい。


  キャンパスの中央に掲示板がある。
  なつかしい。わたしたちが大学で待ち合わせをするときは、掲示板の前だった 。もちろん誰もケータイなんか持っていなかったから、待ちぼうけをくうことも くわされることもあった。どっちにしても、待つあいだは意味もなく掲示板を眺 めていた。きょうのわたしは、誰を待つわけでもない。やっぱり掲示板を眺める 。

  校舎に入ってみる。
  学生の姿はほとんどない。地下に降りていくと、いくつかの売店がある。でも 今は大学が休みの時期だから、ほとんどの店はやっていない。なぜか1つだけ開いていたのは「大学グッズ」を売る店だった。校名の入ったTシャツとか旗とかライターとか、そういうもの。どうでもいいもの。今でも、愛校心のある学生がいるのかもしれない。そんなものを買うのは男子ばっかりだった。それは今でも同じなんだろう。なぜか店員が一人もいなかった。

  古い大きなエレベーターで6階にあがる。
  廊下には当時と変わらない長いすがある。木製で、枠は金属でできていて、重 い。3人くらい座れる。わたしが大学生になったとき、「なんか昔の小学校みた いな椅子だなあ」と思ったけれど、今の大学生はどう思っているんだろう。昭和 時代みたいだ、なんていう感想も今となってはないのかもしれない。今年は平成 19年。ほんとうに昭和を知らない世代が大学生になっていくのだ。

  教室に入ってみたいけど、カギがかかっている。
  あたりまえか。エレベーターホールから、教室の南側にあるベランダに出て、 隣にある女子高をながめる。休み時間に、バカな男子たちが、そっちのほうを指 差しながら笑っていたことを思い出す。高校のときと同じで、大学に入っても男 子はいつまでも幼稚だった。もう今ではさすがに、ちゃんとした大人になってい るのだろうけど。


  隣にタワービルがある。
  ちょうどわたしがいるときには、閉鎖された大学院棟があった場所だ。市ヶ谷再開発問題がどうとかと、学生運動の人たちが言っていて、なかなか工事に取り掛かれなかったのだ。ちょうどわたしが卒業するころに工事が始まった記憶がある。もちろん入ってみる。

  とても綺麗だ。
  今の時代、大学と言えばこういう場所だろう。「学食」なんて誰も言わない。 「カフェテリア」と言う。そのころ、何かの機会で青山学院大学の厚木キャンパ ス(今はなくなったらしい)に行ったことがある。そこではやはり「学食」では なく「カフェテリア」だった。うらやましいと思った記憶は、ない。きれいな「 学食」でいいなあ、と思ったことは覚えている。


  最上階に上がってみる。
  エレベーターが無人でちょっとこわい。監視カメラが作動しているという張り 紙がある。そりゃそうでしょうと思う。でも、誰かがとつぜん乗ってきたら緊張 するかもしれない。

  1人のまま、26階に着く。
  ホテルのロビーみたいな作りで、やはり人の気配が薄い。少し気味が悪いから 、そのままエレベーターホールにある窓辺に近づく。たいした高さじゃない。で も、高い。市ヶ谷の街が見える。新宿も見える。よく晴れている。


  あのときは、古い校舎の6階から外を見た。
  外堀がよく見えた。公園には桜がたくさんあった。左手の遠くに新宿が見えた 。大学の建物の6階っていうのは、けっこう高いんだなと思った。わたしは入れ なかった大学のことを思い、今いる大学のことを考えた。春の、なんとなく寒々 しい廊下から外を見ながら、結局はここに来ることになっていたのかと、あきら めた。

  思い出すこともなかったことを思い出し、35歳のわたしは市ヶ谷駅まで歩く。  
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