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純文学は基本的に面白くない。
だから手にするチャンスそのものが少ないし、手にしたところで面白くないのが普通だ。芥川賞を取った作家が何人いるのか知らないけれど、辻仁成もその一人である。
辻を最初に読んだのは『ピアニシモ』だった。もう15年近く前のことである。友人に「あんたが書く文章に似ているから読めば?」と推薦されたのだ。そうか、やっぱり第2の辻仁成だったか、おれ。
ふわっとしていて、行き場をなくした魂の文章みたい。
それが第1印象だった。特別に気に入ったわけではないが、その後8年は文庫本でフォローして、それからは新刊ハードカバーで買うようになった。
作品に関して言えば、正直なところ「もう一息足りない」という感じがする。
書きたいことがたくさんあふれていて、それを書けるだけの文章力をちゃんと持っている。ただ、書きたいことを熟成させるための時間をおくことができていない、そういう印象だ。「書かないことも一つの書くこと」という感覚を持ってくれたらなあと思う。読者って勝手なものだ。
しかし唯一ズバ抜けた傑作は『冷静と情熱のあいだ』だろう。
江國香織との共作である。まず江國が最初の1章を書く。それを受けて(?)辻が第2章を書く。それを最後まで繰り返し、最後の章は辻が書く。
現在では文庫本で江國バージョンと辻バージョンと共作バージョンが出版されている(僕は単行本の共作タイプを薦めるが、それぞれのバージョンだけで読んでも物語は成立している)。
主人公は2人いる。
辻が描く「順正」と、江國が描く「あおい」である。彼らは大学時代に別れてしまった恋人たちである。28歳になっているそれぞれの生活。もちろん新しい恋人たちをそれぞれに持っている。順正はイタリアで絵画修復師としての修行をしていて、あおいは裕福なアメリカ人の恋人と退屈な(それでいて彼の愛に包まれた)生活をしている。
順正が冷静な男なら、あおいは情熱の女。
二人は昔の約束を忘れていない。フィレンツェのドゥオモ(教会が関連する cathedral のようなものらしい)の屋上に30歳になったら一緒に上ること。順正とあおいはそのことを反芻しながら20代最後の日々を送る。彼らが直接に連絡を取り合うことはない。もう消えてしまった恋なのだ。あるいは消えていない恋。
そして30歳の誕生日が来た。
この物語の結末をどう考えるかは難しい。
言い換えれば解釈や好みにはかなりの個人差があると思う。つまり、それだけ読者の想像力を駆り立てる物語なのだ。
追記:『サヨナライツカ』も泣けます。
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