予備校講師でわるかったな!





各ページのご案内はコチラ 

proflile 自己紹介

diary 日記

essay エッセイ

bbs 掲示板
  

Copyright (c) 2004 
takeshi nobuhara All Rights Reserved. 

essay エッセイ
世の中研究家→達人への道6 5月26日
  腑に落ちない言葉がある。
  たとえば、上記の「フニオチナイ」は特に若い人にとって理解しにくい言葉だ ろう。「腑に」は「五臓六腑」の腑、であろう。詳しいことはよく知らないし調 べる気もない。大まかにいえば

・胃の中に落ちていかない
    ↓
・消化できない
    ↓
・転じて、納得できない

ということであろう。


  4つの表現を取り上げたい。
  最初の2つは最近の言葉、最後の2つは昔の言葉である。上記のように、これ らの言葉については何も調べないで書く。「知らない言葉を調べるのが語学上達 の近道です」などという正論系英語教師の論にはゾッとしないので。では本編。


1、「どんだけだよ」

  非難の表現らしい。
  イマドキの高校生が使う。「授業中に寝るなとか、予備校講師、どんだけだよ」というふうに。

  どんだけ、とは何だろう。
  「どれだけ」か。「ドンブリ1杯だけ」ではあるまい。まさかとは思うが、「 ドンビキするだけ偉そうなことを言っているだよ」ではあるまい。ドンビキは「 すごく引く」ことであり、「だよ」は房総弁の語尾である。

  おそらく「どれだけお前は(あいつは・それは)偉いんだよ」の略語であろう。
  もともと、言葉は短縮される傾向を持つ。そう考えれば、的確な表現であろう 。じゃあお前はどんだけだよとオウム返ししたい気もするが、もはやオウムとい うラングすら通じないだろう。それどころか、ラングという言葉も通じない非知 的階級の言語として認定したい。


2、「KY(空気読め)」

  これは隠語であろう。
  「空気読め」と発話するとマズイ局面で「ケーワイ(かな?)」とつぶやくの であろう。実際に耳にしたことはない。

  隠語は文化である。
  たとえば、デパートの館内放送。「足立区の田中様、2階の婦人服売り場まで お越し下さい」とあれば、万引きなどの窃盗犯が×階にいるという業務放送であ る。タクシーの無線で「大きな忘れ物です」とあれば、近くでタクシー強盗が発 生したという知らせである(これはたぶん本当)。

  空気を読むのは難しい。
  将棋のタイトル戦の挑戦者決定戦で、落ち目になって久しい中原永世十段が負 けた。勝ったのはいつでもタイトルに手が届く森内名人。2ちゃんねるでは「森 内空気読め」の大合唱。そして、この手のカキコに対して「空気読めという言葉 が大東亜戦争を招いた」という発言が出るのが幼稚なウェブ2.0である。とりあえずここでは関係ないだろ。空気を読 むのはお前であり、それだけ空気を読むのは難しいのだ。


3、「近しい」

  ちかしい、と読む。
  連体形で、「安倍総理に近しい××は・・・」という使い方をする。

  言葉としては古語チックな文語である。
  終止形「近い」→連体形「近い」で悪いことは何もないように思える。しかし「近しい」は物理的に「近い」という意味よりも、心理的な意味で使われるのかもしれない。当て字なのか古語なのかよくわからないが、「親」を「ちか」と読むことがある。人名の「正親(まさちか)」「親房(ちかふさ)」などはその例である。「親しい(したしい)」に近しいのであろうか。

  終止形「近し」ではいけないのだろうか。
  たとえば「我に嫁が来るのはいと近し」とか。この場合は連体形が「近しき」になるからダメなのだろうか。「近しい」がOKで「近しき」がNG。何か根拠があるのか。このように使用意図が不明であるのに、若い人も書き言葉として使っていることがある。


4、「ゾッとしないぜ」

  イヤだねえ、というマイナス評価の言葉。
  「母を殺して警察署に首を持参。理由を計りかねて警察官も首をかしげる、ゾ ッとしないぜ」という用法を持つ。

  婉曲(えんきょく=遠まわし)表現である。
  「きれいは汚い、汚いはきれい」と言ったのはシェイクスピアだが、本来の有 様を示すために意図的に反意語句を用いるという、かなり高度な言葉遊びである 。言葉遊びは平和な時代に現れる。古文の「いみじ」はもともと悪い意味(忌み じ)で使われたが、「程度の甚だしいさま」をあらわす形容詞にもなったことは 有名だろう。

  しかし、スポーツバッグに生首が入っていたら普通はゾッとするんじゃないか 。
  あるいは、「なんてこった、ゾッとしないぜ」などと囁かれているのだろうか 。どうしても避けたい心持ちを「忌避(きひ)」という。上記の「いみじ」を援用した、並大抵ではない言葉遊びなのかもしれない。


  このエッセイはここで終わる。
  まとめければいけない。

「なんだこのエッセイ、どんだけだよ。KY。時間の無駄に近しいな。ゾッとし ないぜ」

  果たして、どれだけの人にこの表現が通じるのであろうか。ゾッとしないぜ。
essay エッセイ  
これまでのエッセイはコチラ