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腑に落ちない言葉がある。
たとえば、上記の「フニオチナイ」は特に若い人にとって理解しにくい言葉だ
ろう。「腑に」は「五臓六腑」の腑、であろう。詳しいことはよく知らないし調
べる気もない。大まかにいえば
・胃の中に落ちていかない
↓
・消化できない
↓
・転じて、納得できない
ということであろう。
4つの表現を取り上げたい。
最初の2つは最近の言葉、最後の2つは昔の言葉である。上記のように、これ
らの言葉については何も調べないで書く。「知らない言葉を調べるのが語学上達
の近道です」などという正論系英語教師の論にはゾッとしないので。では本編。
1、「どんだけだよ」
非難の表現らしい。
イマドキの高校生が使う。「授業中に寝るなとか、予備校講師、どんだけだよ」というふうに。
どんだけ、とは何だろう。
「どれだけ」か。「ドンブリ1杯だけ」ではあるまい。まさかとは思うが、「
ドンビキするだけ偉そうなことを言っているだよ」ではあるまい。ドンビキは「
すごく引く」ことであり、「だよ」は房総弁の語尾である。
おそらく「どれだけお前は(あいつは・それは)偉いんだよ」の略語であろう。
もともと、言葉は短縮される傾向を持つ。そう考えれば、的確な表現であろう
。じゃあお前はどんだけだよとオウム返ししたい気もするが、もはやオウムとい
うラングすら通じないだろう。それどころか、ラングという言葉も通じない非知
的階級の言語として認定したい。
2、「KY(空気読め)」
これは隠語であろう。
「空気読め」と発話するとマズイ局面で「ケーワイ(かな?)」とつぶやくの
であろう。実際に耳にしたことはない。
隠語は文化である。
たとえば、デパートの館内放送。「足立区の田中様、2階の婦人服売り場まで
お越し下さい」とあれば、万引きなどの窃盗犯が×階にいるという業務放送であ
る。タクシーの無線で「大きな忘れ物です」とあれば、近くでタクシー強盗が発
生したという知らせである(これはたぶん本当)。
空気を読むのは難しい。
将棋のタイトル戦の挑戦者決定戦で、落ち目になって久しい中原永世十段が負
けた。勝ったのはいつでもタイトルに手が届く森内名人。2ちゃんねるでは「森
内空気読め」の大合唱。そして、この手のカキコに対して「空気読めという言葉
が大東亜戦争を招いた」という発言が出るのが幼稚なウェブ2.0である。とりあえずここでは関係ないだろ。空気を読
むのはお前であり、それだけ空気を読むのは難しいのだ。
3、「近しい」
ちかしい、と読む。
連体形で、「安倍総理に近しい××は・・・」という使い方をする。
言葉としては古語チックな文語である。
終止形「近い」→連体形「近い」で悪いことは何もないように思える。しかし「近しい」は物理的に「近い」という意味よりも、心理的な意味で使われるのかもしれない。当て字なのか古語なのかよくわからないが、「親」を「ちか」と読むことがある。人名の「正親(まさちか)」「親房(ちかふさ)」などはその例である。「親しい(したしい)」に近しいのであろうか。
終止形「近し」ではいけないのだろうか。
たとえば「我に嫁が来るのはいと近し」とか。この場合は連体形が「近しき」になるからダメなのだろうか。「近しい」がOKで「近しき」がNG。何か根拠があるのか。このように使用意図が不明であるのに、若い人も書き言葉として使っていることがある。
4、「ゾッとしないぜ」
イヤだねえ、というマイナス評価の言葉。
「母を殺して警察署に首を持参。理由を計りかねて警察官も首をかしげる、ゾ
ッとしないぜ」という用法を持つ。
婉曲(えんきょく=遠まわし)表現である。
「きれいは汚い、汚いはきれい」と言ったのはシェイクスピアだが、本来の有
様を示すために意図的に反意語句を用いるという、かなり高度な言葉遊びである
。言葉遊びは平和な時代に現れる。古文の「いみじ」はもともと悪い意味(忌み
じ)で使われたが、「程度の甚だしいさま」をあらわす形容詞にもなったことは
有名だろう。
しかし、スポーツバッグに生首が入っていたら普通はゾッとするんじゃないか
。
あるいは、「なんてこった、ゾッとしないぜ」などと囁かれているのだろうか
。どうしても避けたい心持ちを「忌避(きひ)」という。上記の「いみじ」を援用した、並大抵ではない言葉遊びなのかもしれない。
このエッセイはここで終わる。
まとめければいけない。
「なんだこのエッセイ、どんだけだよ。KY。時間の無駄に近しいな。ゾッとし
ないぜ」
果たして、どれだけの人にこの表現が通じるのであろうか。ゾッとしないぜ。
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