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『笹塚日記』 6月18日

  雑誌を1ヶ月にどのくらい買っていますか?
  週刊誌も月刊誌もマンガも突然買ってしまうものも含めて、いくらですか?


  僕は500円だった。
  この10年くらいは原則0円連続記録を更新してきたけれど、2005年の11月から2007年の2月まで500円。月刊誌を欠かさず1冊。

  同じ雑誌を買い続ける人はお金持ちである。
  お金持ちは少し言いすぎかもしれない。でも、毎月必ず出て行くお金を払うわけだから、1種の「人生のランニングコスト」を払う余裕があるということになる。1冊250円のマンガ週刊誌だって、1年で12,000円、100年続ければ120万円にもなる。たとえ方がちょっと極端か。


  お金の話ではなかった。
  『本の雑誌』という雑誌のネタである。この雑誌は本の雑誌・・・じゃ意味がわからないな、本を紹介する雑誌である。椎名誠・沢野ひとし・木村晋介・目黒考二らが30年くらい前に創刊した歴史ある雑誌である。このあたりのイキサツを知りたい人は椎名誠のエッセイ『本の雑誌血風録』などどうぞ。

  しかしこの『本の雑誌』、それなりにメジャーになったはずなのに世間の認知度は低いようだ。
  ある日の日記に以下の記述をアップしようとして、やめたことがある。


<自己引用始まり>
  新書4冊と『本の雑誌』を持ってレジへ。僕は原則的に雑誌を読まないが、ここまで読書ペースが高くなってくると誰かに薦めてもらわないとキリがなくなってくる。この『本の雑誌』は読書マニア必携の書籍紹介雑誌である。

  ところが。

  『本の雑誌』を手にしたレジのお姉さん。

「これは?」
「は?」
「このへんから持ってきたんですか?」

  このへんと言って彼女が指差したのは、無料雑誌(ホッ×ペッパーとかああいうやつ)の棚である。おいおい、お前は書店員だろうが。

「いや、あの、その、普通の雑誌なんですけど」
「は?」
「いやだからその、僕がお金を払うんです

  どうして客である僕がこんな説明をせねばならんのか?
  しかし冷静に考えれば、『本の雑誌』は異常に安っぽい装丁(そうてい=本の物理的な作りのこと)をしているから、これって日常茶飯なのかもしれんのう。
<自己引用終わり>


  本を読もうにも本の知識がないので何とかしようと『本の雑誌』を買い始めたのだ。
  ところがこの『本の雑誌』、扱われている内容が当たり前ながらも専門的というかマニア的というかオタク的なのである。具体的には、紹介される本(巻末にインデックスがある:1号で200冊弱くらい)にSFとミステリが多いのだ。たぶん、猛烈な読書家(最低で1日に2冊はこなさなければ)にとってはSFとミステリは読書量を確保するための必須ジャンルなんだろう。

  でも僕はSFとミステリをほとんど読まない。
  人生で10冊も読んでいないほど苦手なジャンルなのだ。そうは言っても一般の小説やエッセイなどについても記事があるから「割に合わないよなあ」と思いながら購読を続けていた。そして、もう1つの魅力があったからだ。


  本の紹介とは直接関係しないエッセイがいくつか掲載されている。
  今でも「編集人」という扱いになっている椎名誠のもの、今でも『本の雑誌』のイラストを描いている沢野ひとしのものが面白い。そして何より、圧倒的に面白いのが「発行人(=事実上の編集長)」を引退した顧問の目黒考二による『笹塚日記』である。これが読みたくて、毎月500円のランニングコストを我慢してきた。


  『笹塚日記』は目黒による笹塚における日記である。
  笹塚は『本の雑誌』の編集部がある場所で、そのオフィスの同じ建物の最上階に目黒は住んでいるのだ。住んでいると言っても自宅は別にあって、その部屋は書評家(ペンネームは北上次郎と藤代三郎)としての仕事をするための場所である。

  え、仕事場に住んでいるの? と思うだろう。
  その通り。本を読み、原稿を書き、たまに1階の『本の雑誌』の編集部に降りていって話をするために「ソファで寝袋で」寝泊りしているのである。自宅にはほとんど帰らない。

  生活臭のある日記は面白い。
  何しろこの目黒考二という男、20代で「本を読むだけの仕事があって、できれば『読書会社』というものに勤められれば一番なんですが」と真面目に言って椎名誠をあきれさせたほどの本読みである。
  昼前に起きて本を読み、QUEENS ISETANに買出しに行って食事をして、原稿を書いて、編集部を冷やかしに行って、本を読んでいて気がつけば朝、こんな生活がエンエンと具体的に記されている。


  ところが、ついにこの『笹塚日記』が最終回を迎えてしまった。
  その最終回によれば、もともとは「穴埋め原稿」として当時の責任者であった目黒がやむなく書いたものなのだそうな。すると椎名誠が「あれ、面白い。連載にしろ」と言って、そのままなし崩し的に連載になったということである。詳細は不明だが、7〜8年前のことらしい。

  最上階に住み始めたのは、目黒考二が「顧問」として編集の最前線から離れた5年くらい前のことらしい。
  そのときも椎名誠に「このビルの最上階が空いているから、お前、そこに住めよ」と命令されたらしい(椎名は友人に命令ばかりする人なのである)。その5年間を目黒はこう書いている。

>そのままずるずる5年間を笹塚で過ごしてしまった。本の雑誌の現場から離れがたいという気持ちもあったのだろう。つまりこの5年は、私の未練の5年だったといってもいい。


  目黒考二は還暦を迎えたことを機に笹塚を去ることにしたようだ。
  自宅近くの町田に戻ることになったので「『町田日記』にすれば」という誘いもあったそうだが、

>それではただのフリー人間の日記にすぎない。5年前に発行人の座を降りたときにやめるべきだった

として断っている。

  少なくとも僕にとっては読みどころが少ない『本の雑誌』を買い続けてこれたのは、『笹塚日記』が掲載されているからだった。
  100ページあまりのこの雑誌を買う価値の9割は、8ページの『笹塚日記』だったのだ。だから『笹塚日記』がなくなった以上、この雑誌の講読はやめることになった。またいつか、帰ってきた『笹塚日記』に会いたいような気もするし、もうこれでさよならを言いたい気もする。あるいはまた『本の雑誌』を読むようになるかもしれないけれど。


  僕がこのエッセイで書きたいのは感傷的な「さよなら」ではない。
  そのためだけに1冊の雑誌を買わせる価値を持つような、魅力的な文章、この場合は日記がこの世にあったんだという喜びである。『笹塚日記』よ、ありがとう。最後に引用。

>もういいかなという気がしないでもない。実はまだまだ書き足りない。忘れていることがありそうで、あとからたくさん思い出すことがたくさんあるような気がしている。この笹塚日記をやめてしまえば、思い出してももう書く場がなく、あれも書いておけばよかったとあとから後悔するのではないか。そんな気がする。けれども、きりがないので、もう幕としたい。
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