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essay エッセイ
ペットの外出許すまじ 9月7日
前記:ペットを飼っている人は絶対に読まないように。苦情は一切受け付けない 。読んだほうが悪い。責任は取らない。


  ペット飼ってる奴っているじゃないすか。
  犬とか、猫とか。癒しだとかナンだとか言って。なんですか、アレは。精神の 病でも抱えてんですか。


  犬、でしょう。畜生なんですよ、あんなもの。
  バカ殿の綱吉って知ってますか。

「俺的に、犬に萌え〜だから、犬は大事にしろ from 殿様」

  こんなことを江戸中に宣伝して回ったんですよ。自分にサマつけるなよ。


  猫、だって。化けるに決まってるんですよ、あんなもの。
  T.S.エリオットって知ってますか。

「猫に名前をつけるのは、人に名前をつけるより難しい by エリー」

  文豪だからって調子に乗るんじゃないよ。エリーじゃないだろ。


  さて、これだけ書けば冷静ならざるペット偏愛者はもう読んでいないはずだ。
  ひるがえって考えるに、「ほう、このあとに続きがあるのだな?」と思ったま ともなペット偏愛者だけが残っているはずだ。言い換えるに「ちっ、ペット批判 毒舌系エッセイじゃないのかよ」と思った読者も去るだろう。それでいいのだ。

  問題はシンプルである。

「ペットの飼育者は、ペットを屋外に持ち出していいのか?」

  最近はよく見かけるドッグランとかキャットウオーク(←こういうのはあるの かね?)の話ではない。
  そもそも、ペットという、ペットを飼わざる人にとって意味のないものを巷に 出していいのかという問題である。極端なことを言えば、「ワイセツ物陳列罪」 などに属するような行為ではないのか、という提言をさせていただく。


  晴れた日曜日の午後に公園に行くとしよう。
  そこには大きな広場がある。あちこちハゲかけているけれど芝生がある。芝生 を取り囲むように大きな樹木が並んでいる。樹木の下には散歩道があり、またあ るいはベンチがある。芝生のはしっこには樹木の陰があり、何組かの家族はそこ に敷物を敷いて食事や昼寝をしている。照明の中に浮かび上がる円形劇場のステ ージのように、太陽の光につつまれた広めの芝生が展開している。

  人はある程度いるけれど、人口密度は高くない。
  たとえば、先のように芝生の片隅を陣取ろうとしたときに、「お隣さん」との 距離は10メートルくらいに保つことができる。閑散としてはいないが、混雑から はるかに離れた日曜日の午後。

  その円形劇場の中心に犬を連れた親子がやってくる。
  犬は、たとえば、土佐犬のような無闇に強そうな種類ではなく、かといってチ ワワのような必要以上に弱そうな種類でもなく、ダルメシアンのような不自然に 大きな種類でもない。たとえばウェルシュ・コーギー・ペンブロークのようなや や小さめの中型犬だ。

  親子はサリー(♀2歳)のクサリをほどく。
  サリーは楽しそうに円形劇場の中心を駆け回る。そのまわりには、その親子を のぞけばということだけど、半径40メートルくらいには、人はいない。

  しかし、この公園には「犬を放すことは厳禁」という掲示があちこちにある。
  そこであなたは、この親子を注意できますか。特徴のない30代の年収400万系の パパと7歳くらいの娘にむかって、「おい、犬を放すなって書いてあるだろう、 やめろよ」と言えますか?


  サリーが誰かに迷惑をかける可能性は、まず、ない。
  確かにルール違反ではあるだろう。ペット飼育者のモラルは全般に上がってい る。悪質な飼育者は非常に少ない(少なくとも路上喫煙者より頻度は低いだろう )。この親子も

「さすがにここなら問題ないだろう、人もあたりにいないし、サリーは逆に人を 恐がるから・・・」

と考えたことだろう。
  もちろん犬が嫌いな人もいれば犬が恐い人もいるだろう。しかしそれは、どれ ほど近くにいたとしても40メートル以上離れた、対岸の火事でしかないのだ。こ こで彼ら親子を注意するのは、正義としては正しいし論理としても正しいが、推 奨できる行為ではなく嘲笑も招きかねない行為だろう。

  じっさい、僕がそういう現場に出くわしたとしても、注意したことはない。
  これからもないだろう。あるわけがない。特に犬が好きでもなければキライで もないし、危険度はあまりに低いからだ。これが世の中研究家見習いとして、ま た普通の市民として常識的な行動であり判断であるといえるだろう。


  しかし。

  この例はあまりにも多くの条件を満たしすぎているのではないか。
  犬アレルギーの人間がいたらどうする。彼らは犬がクサリから解放された姿を 見ると、ひきつけを起こし、呼吸困難を発生し、ああAEDはどこだ救急車を呼 べという騒ぎを引き起こすのだ。これは全て親子が犬を放したからいけないのだ 。

  極端すぎる、というかもしれない。
  うちのサリーは迷惑をかけない、と主張するペット飼育者も多い。ちょっと待 て。迷惑をかけないのは一般的傾向であって、そんなことが断言できるのか。手 負いのケモノ、という言葉もある。ペット飼育者は、自分のペットだけ特別扱い し、必要以上に愛し、神格化さえするという傾向が多い。

  考えてもみろ。
  お前が飼っているものが犬ではなかったらどうする。たとえば、イグアナとか 。イグアナは足が遅いから大丈夫と言えるか。オランウータンだったらどうする 。昼食をとっている家族の下に駆け寄り、バナナを奪い取るくらいのことはする だろう。ピラニアだったらどうなんだ。あいつら、人のような動く物体を見たら とりあえず噛み付こうとするんだぞ。ダイオウイカ(全長8メートル、足は2メ ートル×10)ならどうなることか。科学特捜隊の電話番号を君は知っているか。

  マンモスはどうか。

「いえ、うちの花子(マンモス♀14歳)は内気なやつでして、絶対に人様に襲い 掛かったりしません」

  カンチガイするな。
  公園の真ん中で、マンモスが放し飼い状態になっているのだぞ。牙とかむいて 、パオーンと吠えているのだぞ。体高6メートルの巨大なマンモスが。ジュラシ ックパークか、ここは。ペット飼育者のお前がどれほど主張したところで、

「内気なやつだから大丈夫だろ」

と思う一般市民がいるのか。よく考えろ。


  つまり、ペット飼育者およびペット偏愛者は、自分の趣味がどれほど異常であ るのかを強く自覚しなければいけない。
  家族同然というのは本人だけであって、他者からすればただの恐ろしい動物か もしれないのだ。やはり、場合によってはペットを公共の場所に連れ出すのは、 わいせつ物陳列罪と同等の扱いをするべきだ。


追記:実際のところ、このくらいペットを嫌がっている人は多いと思う。大きな 声で言えないだけで。ペット擁護の声は、少し大きすぎるのではないか。ちなみに僕の場合、犬と猫なら他人が飼っているのはOK です。ダイオウイカはちょっとねえ・・・。

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