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手話教室へ。
授業は新しい項目へ。先生が用意した例文を手話とジェスチュアで生徒(Aと置く)が示して、他の生徒(B、C、D、E、Fと置く)が内容を読みとる練習。もちろん読み取る生徒は文章を知らないし、正確な手話を知っているわけもなく、類推する。すごく難しい。
T先生は意地悪で厳しい教え方を好む。
全員の生徒(B〜F)が読み取りに成功するまで、生徒Aは手を替え品を替え手話を変えジェスチュアを変えて表現しなければいけない、というルール。きついなあ。手話自体がわからないのは別に問題ない。生徒はみんな同じレベルだからね。どうしても通じないときには口話(こうわ=いわゆる口パク)を付け加えてもいいという。しかしこれがよくわからないんだよね。
不思議なことに、僕以外の生徒たちは口話で「あっ、わかった」となることが多い。
日本語の五十音を発音するときの口の形って、個々にそんなに違うのかなあ。たとえば「ア段」の音だったら、だいたい大きな口になるとは見えるけど、「あし」と「はし」の「あ」と「は」なんて区別できるのかしら。もちろん厳密には違うはずだが、見た目で判断できるほどの差があるんかいね?
ところが、これがわからないのは僕だけなので焦る(-_-;)
他の生徒様(全員女性)が正解を出しているのに(もちろん筆記で解答を先生に見せるのだ)、僕だけ「さっぱりわからん人」になってしまう。およそ学習というものにおいて、自分だけわからないという状況ほど辛いものがあろうか、否。ああ、オレ1人が落ちこぼれているのだという挫折感、敗北感、恥辱。
状況がないままにいきなり短文というのがキツイのだ。
たとえば、文脈一切ナシでこういう文を示されるのだ。
「大切なお客様が来るので母が家中を掃除しています」
最初の「大切な」というのは手話単語として存在する。
もちろん生徒Aは前もって先生に教えてもらうが、他の生徒は誰も知らない。だから、その手話表現をしながら
「た、い、せ、つ」
と口話を添えてくれるのだけど、さっぱりわからないのだ。他の生徒たちがわかるということすら、僕にはまったくわからない。当然ながら
「あの(比較的)若い兄ちゃん、わからないのねえ、バカなのねぇ。落ちこぼれね、あなたのせいで授業が進まないのよね、迷惑なのよねえ。さっさと辞めてく
れないかしら」
という目で僕のことを見ている(と僕には思える)。汗でますよ、ホントに。
原因は2つだろう。
1つ目は僕だけが男性であること。女性は一般的に会話に文脈がないから、話題が急にどこかに行ってもすぐに脳のシフトを切り替えることが得意だ。男性なら「おいこの女、今の話からどうしてその話題に跳ぶんだ?」と不思議に思った経験は誰にであるだろう。だから、女性は状況がなくても「あー、そんな感じだ」くらいで見抜けるのかも。
2つ目は僕が文脈依存の言語理解を好むこと。
本を読む習慣によるものだと思われるが、「こういう話の流れで来ているから、この表現はこれくらいの意味だろう」と考えて言葉を理解することが多い。「ヌエのような希望で申し訳ない」とあれば、「わけのわからない、しかもとらえどころのない、かつ身勝手な希望」くらいの意味でそれほど間違っていないだろう、と考える習慣がある。
そう考えると、とつぜん
「大きな石を拾ってきました」
なんて手話で示されたって(どういう例文なんだよッ!)、類推する手がかりがないのだ。
文脈さえあれば、つまり前後がわかれば、ロシア語でもサンスクリット語でも類推することが僕にはできる(かな?)。あいまいに、おおまかに、多少の誤解はあっても80%の理解で進むことが現実のコミュニケーションであり、それは僕の得意科目。
しかし今は文脈無視の勉強。
困ったことになった。T先生によれば
「まあ口話ってのは読み取れない人には読み取れないもんだし、あくまで手話の補助手段なんだから気にすることはないよ」
となるけれど(なぐさめてくれただけだろう)、困るよな。今日初めて手話の勉強って辛いなと思った。がんばるしかない。
これが手話の勉強で初めての挫折体験。
半年ちょっとの期間で、やっと壁にぶち当たったわけだ。次の授業に出るのが怖いよ。これからどうなっていくのでしょう。このエッセイがシリーズ化できればいいんですけどね。
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