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なつかしい響きです、学級委員。
やったことありますか?
小学生のとき、6年のあいだに4年間やったと思う。
学級委員というのは「再選」「多選」が原則で、その地位を占める人の数は少なかったはずだ。僕の時代だと1クラスに40数人の生徒がいて、在学期間のうち6回当選のチャンスがあった。そのうち4回を僕が取ってしまったわけだ。
僕のこの極端な例を差し引いても、「学級委員をやった人」は少数で「やってない人」が圧倒的多数であろう。
ということは、必然的に「学級委員=特権階級」「非学級委員=平民」という公式が成立する。いや、成立させたいわけじゃないけど、事実として。だってしょうがないですよね、我々の大多数は日本国総理大臣にはなれないじゃないですか。
学級委員はどういう人だったか?
頭がいい(勉強ができる)、人気がある(人望がある)、ハンサムである(当時は女子の学級委員っていなかったような?)、運動ができるなどの条件が考えられる。場合によっては複数の条件を満たしていた学級委員もいただろう。天は二物を割に軽々しく人に与えるからね。
僕がどの条件を満たしていたか。
たぶん「頭がいい(勉強ができる)」だったような気がする。「人気がある(人望がある)」にも該当したかもしれないが自信はない。今になってみると、小学生の1つのクラスで「頭がいい」というのはかなり低レベルの話なんだけどさ。
そんな話をしたいのではない。
学級委員は一応選挙で選ばれたという話である。厳密な方法は記憶の彼方だが、おおむね小学校では以下のようなかたちで選挙が行われたような気がする。
1、自薦・他薦により数人の立候補者を募る。
2、投票して決定する。
1で真面目に自薦する人はいなかった。
学級会(っていう感じの名前の会議)でワイワイガヤガヤと声が大きくて自意識の過剰な奴が人の名前を挙げるわけだ。候補者が1人では選挙にならないので、対抗馬が数名出ることになる。だいたいさっきのウルサイ奴が他の人の名前を出す。
しかし実は、1の時点で当選者は決まっている。
小学校のクラスの中には、すでにハッキリとしたヒエラルキーが成立しているのだ。だから、さきの「ワイガヤ」会議においても、出るべき人の名前が先に出て、あとから出てくる人の名前は帳尻合わせなのである。小学生とは純粋でも純朴でも朴訥でもなくて、狡猾にして用意周到で策略家なのである。
ここで唐突に告白する。
僕は衆愚思想を昔から持っていた。
集団でゴチャゴチャ言っている・やっている連中がバカに見えて仕方がなかった。まとまるはずがない意見をつきあわせ、そこで議論をすることが有意義だと思っている愚民ども。それが民主主義だと思っている愚民ども。「○○君がいいでーす」と声が上がっても「えー俺やだよー」などとマンザラでもない顔をする○○君を筆頭とする、愚民ども。
学級委員選出会議(別称:ワイガヤ会議)に話は戻る。
もう、面倒くさいのである。名前が最初に出たら当選者はそれで決まっている
のだから、さっさと信任投票にすればいいのだ。だから僕は自分が誰かに指名推薦されると「はーい、わかりましたぁ」と先生向けのおべんちゃらをやらかす(スネた小学生である)。どーでもいいっての、こんな会議。早く終わらせようぜ。
学級委員の主な役割は、クラス会議の議長である。
ときに学年会議のようなものがあったが、そこは教師の出先機関のようなもので民主主義はないと知っている。だから学級委員が本領を発揮できるのは、事実上はクラス会議に限られていたのだ。逆に言えば、クラス会議の議事進行だけちゃんとやれば、1年間は「よい子の証」である学級委員という尊称を得ることができるのだ。そんなこともわからないのか愚民ども、と小学4年生くらいの僕は思っていた(つくづくイヤなガキだ)。
そのクラス会議というのが実に下らない内容を議題にするのだ。
もちろん今になれば「ああ、あれは社会のルールを教えようとする教育手段の1つだったのだな」とはわかる。しかし当時の僕は「なーんでこんな下らないことに時間を使うんだ、愚民の意見なんて聞いても意味がないんだ」と思っていた(今も少し思っているけど)。
たとえば、掃除方法に関する議題。
小学校なので掃除をするときには個人の机40個強を移動しなければならない。掃除中は椅子に座っているわけではないから、全ての机を教室の前方に片寄せて後方を掃除するわけだ。後方の掃除が終われば今度は机を後方に片寄せて前方を掃除する。最後に机をもとの位置に戻して終了となる。
小学生だから、中学生のようにグレているわけでもなく、誰かに統率させればちゃんとやれる。
だから「今週は机を移動させるのは男子で、来週は女子」と決めておくわけだ。決まりさえあれば小学生は無邪気に行動する。「男子が机移動」の週であれば、女子の誰かが(リーダー格だ)
「だんしー、つくえ前やってぇー」
と叫ぶわけである。もちろんブーブー言いながらも男子は「ルールだから」机を移動させるわけである。
ところが、この「今週は男子が移動」と決めるためには新学期の時点で「男子スタートか女子スタートか」を決めなければならない。
小学校のクラス会議とは、こんな下らないことが議題なのである。もちろん男子が先だろうが女子が先だろうが、1週間で交代するのだから同じことである。机の移動が重労働なら、そして掃除をする週の数が奇数(例:1年間が3週間であれば、スタートした側の性が2回やることになる)であるならば、不平等感もあるかもしれない。
そんなの対して変わらないじゃん。
僕はそう思うのだけど、世の中というか愚民どもはそうは思わない。
女子は男子スタートを主張し、男子は女子スタートを主張するのである。くじ引きは1回目に引いても最後に引いても当選確率は同じ、そんなこともわからないお利口な大人と同じレベル(早く引かないとアタリくじがなくなっちゃう!)の話だ。
こういうことがバカバカしくてたまらない。
男子と女子で代表を1人ずつ出して、それこそくじ引きをすれば1分で決着である。議論のための議論なんかしてもしょうがないだろ。議論ってのは解決するためにあるんだから。というわけで学級委員=クラス会議議長=特権階級の僕は愚民に命令を出すのである。
「どうせ男子か女子のどちらかが損する(わけではないのだが)のだから、代表出してくじ引き。今日は6日だから、出席番号6番の男子と女子は黒板の前に出る」
くじ引きは僕が用意する。
すると愚民が
「どっちが先に引くんだ、先に引かないと損じゃないか」
と騒ぎ出す。お前ら本当にバカだな(思うだけ、言わない)。
どっちでも確率は同じなんだよと説明しても愚民にはわからないだろうから、議長の僕は「じゃんけんをして下さい」と指示を出す。以下、スムーズに進む。ハイ、次の議題は何ですか先生?
学級委員って、1つ間違えると独裁者ですよね、たぶん。
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