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わけのわからないことばかりである。
「人は全てのことを知悉(ちしつ)できるわけではない」という英語の諺だか警句があったように、世の中にはわからないことがたくさんある。
たとえば、意味不明の文字である。
マクドナルドのメニューの「スマイル 0円」くらいだったらまだいい。許せる。人は「そうかスマイルはタダなんだ」とムリヤリ思えなくもないからだ。
でも、そうやって「俺的には了解」と思えないこともたくさんある。
たくさん、なんていうレベルではない。わけのわからないことばっかりだ。上の「スマイル」だって、無理に了解したことにしただけなのだ。許せないとまでは思えないにしても、「だから、何?」と言いたくなる。なりますよね?
1、本のあとがきのお礼
あとがき自体の存在は、まあいい。
本の内容によっては、著者による補足説明が必要なものも多いからだ。あとがきが特に必要なさそうなのは小説のようなフィクション系の本で、それ以外はあとがきがあって初めて「そういう意図(の本)だったのか」と理解できることも多いからだ。
しかし、あとがきの、たいていは末尾に加えられる、あの記述は何だ?
適当な感じで創作してみる。この手の文章を見たことがない人はいないはずだ。
>出版にあたりまして、新潮社の潮坂今日子さん、『AERA』編集局の近藤幸彦君、またその他たくさんの皆様に構成などについて有用な助言を頂きました。お礼に代えさせていただきます。
お礼なのか。
本を出版するために、著者以外の人々が大いに力を貸す、これはよくわかる。製本会社のおじさんや書店員などもそれらに含まれる。出版後になるが、わざわざその本を買った読者なども力を貸している。
しかし、この「潮坂今日子さん」というのは、いったい誰なのか。
「『AERA』編集局」はまだしも、「近藤幸彦君」というのも全く知らない人である。「その他たくさんの皆様」に至っては、特定しようがないし、特定しても意味がないから「皆様」なのではないか。どうなっているのだ。
この「あとがき」を読んで「そうか、著者は感謝しているのか」と思う読者はどれほどいるのか。
・本人(例:潮坂今日子さん)
・その周辺の人(例:近藤幸彦君の幼なじみ)
いったい、全ての読者の何%が含まれるのか。有名人なら、まだいい。
「本書は黒柳徹子さんの助力で上梓できました」
とか、
「全ては小野妹子のおかげです」
とか。それなら「ほう、そうだったのか!」とほぼ全ての読者が納得できるじゃないか。余分な情報は削除するべきだ。
2、得点を保証するものではありません。
TOEICなどの参考書のどこかに書かれていることが多い。
たとえば「600点目標」と書名に冠がつけられている場合に、「600点を目標としてこの本は作られているけど、購入が600点を保証するわけじゃないからね」と注意喚起しているのだ。
ばかか。
まさかこの表記が、製造者責任ナントカ法に準じた記述だとでも思っているのか。責任を回避する文言を入れておくことで、「いえ、ちゃんとここに得点保証ナシって書いていますから」と問題が解決するとでも思っているのか。
おそらく、本当にクレームが来るのだろう。
「この本で勉強したけど、600点取れなかった。この本はサギだ。金を返せ」などと。相手にするな、ばか。ばかを相手にするのがばかなのだ。ほれ、昨今のシュレッダー事故とか考えてみろ。
「幼児が指をはさまないようにご注意ください」
こんなもん、当たり前だろうが。
ばかに付き合うな。道具が常に危険を隣り合わせにして、その見返りに利益(紙を切り刻めるなど)を得るものであるのは当然だろうが。ばかの消費者に付き合うな。この調子でやっていると、たとえば包丁に
「人を刺さないように注意してください」
とか、あるいはケータイの充電器に
「この充電器は食用に適しません」
なんて書く羽目になるじゃないか。だから、「得点を保証しません」なんて書いてもしょうがないのだ。
3、TV局の電話番号
新聞のTV欄の上部に必ず記載されている。
むかしから、「なんでこんなところに電話番号が?」と不審に思っていた。市役所の広報誌に市役所の電話番号があるならわかる。ゴミ回収遅延の苦情を言うとか、健康相談はサギなんじゃないかと苦情を言うとか。
つい最近、と言っても10年くらい前だが、TV局の電話番号が記載されている理由を知った。
視聴者がクレーム電話をするためなんだそうである。世の中にはヒマな奴がいるものだと思ったが、ニーズはあるのだろう。アナウンサーの失言だとか、文字テロップの間違いだとか、そのくらいの苦情なら良い。クレーマーというのは商売をやる者にとって不可避の存在だからね。
ところが、旧聞に属するが、ボクシングの試合だ。
亀田3兄弟の長男が世界戦に挑戦して、疑惑の判定で勝ったという例のアレだ。なんと、中継局であるTBSに「あの判定はおかしい」という苦情が電話が殺到したのだそうな。
だ、か、ら。
ばかを相手にするな。まさか、TBSが試合の判定をしたと思っているのか。TV局に電話をすると判定が覆るのか。ひょっとして、自分の納得いかない気持ちをTV局のコールセンターに勤める時給1,200円のオペレーターに告白すれば、そいつの気分はスッキリするのか。そんな目的のために、オペレーターは受話器を取っているのか。そんなことのために、TV局の電話番号が記載されているのか。
だいたい、TV局にクレームつけているような人というのは、常連ばかりだろう。
よほどヒマか、正義感が過剰で家族に嫌がられているか、どっちかあるいは両方だろう。じっさいに、このエッセイを読んでいる読者の9割以上は、次のような行動を取る。以下は確信を持って言い切れる。そうだ、
「TV欄に電話番号なんて載ってたか?」
と新聞を取りに行ったのだ。
ほら、載ってるでしょ。そんなもの、ほとんどの人が意識することもないくらい無意味で瑣末な情報なんだから。
結論としては、一部の狂信的マニアにしか必要とされない余分な情報は、削除していただきたい。
まあ、相手が狂信的なだけに恐くてできないだろうけど。
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