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受験前に大学を見学するのって、どれくらいの意味があるのだろう?
18歳だった僕は、受験を控えた秋に横浜市立大学を見学に行った。
今のようにオープンキャンパスなんてものがある時代ではない。インターネッ
トもない。だから千葉県から横浜市立大学の最寄り駅である金沢八景まで電車で
どれくらいの時間がかかるのか、時刻表で調べなければならない。大学の場所そ
れ自体も赤本で確認する。駅から徒歩3分、進行方向左手だな、と確認してから
出かけた。
記憶はハッキリしない。
京浜急行は品川駅が始発で、横浜駅を経由してから金沢八景駅にたどりつく。
横浜駅に行ったことはほとんどなかったから、品川駅で乗りかえたはずだ。ウワ
サに違わずスピード感のある電車で、しかしそれでも金沢八景駅に着くまでかな
りの時間がかかったような気がする。ここまで通学するのはちょっとしんどいだ
ろうな、と思った記憶はある。
37歳になった僕は、大学潜入家としてのスキルを磨くべく、金沢八景駅に到着
した。
金沢八景駅は意外に海に近い駅だった。というのは、僕が18歳のときは駅から
大学に直行したため気がつかなかったのだけど、37歳になって八景島シーパラダ
イスから徒歩でたどり着く前に、海側から駅に近づいたからだ。道を知っている
人なら、駅の改札を出て5分もかからずに海が見える。釣り船が出る場所にもな
っているようで、港には多くの漁船がある。
海側から金沢八景駅に向かって歩く。
つまり駅をはさんで向こう側に横浜市立大学があるはずだ。100メートルほどの
商店街を抜けて金沢八景駅に着いた。駅の記憶は全くない。駅付近の海側には関
東学院大学への案内があるけれど、横浜市立大学への案内はない。改札口にある
地図を見ると、案内を書くまでもないほど近くにあるとわかった。海側から山側
に抜ける小さな道は、京浜急行の線路の下をくぐり抜ける。
最果てに近い場所だ、と思った記憶はある。
横浜はこのあたりに限らず山と海が近い土地で、急に崖がせり上がる地形が多
い。大学の施設の記憶はないけれど、ああこれが横浜なんだ、林ではなく山がす
ぐそばにあるんだな、と思ったことだけは確かだ。いまになれば、その小さな山
に吹き付けていたのは海風だったとわかるけれど、18歳のときはそんなことには
気がつかなかった。とにかく、遠い場所なんだ、と。
正門を抜ける。
ふつうに大学の授業がある日なのか、人通りは多い。様子をうかがうと大学生
の年齢には見えない人がたくさんいるから、守衛さんに何かの断りを入れる必要
も感じない。門の左手には体育館のようなものがあり、その前が大学内のメイン
ストリートになっている。イチョウの葉が黄色くなっている。昼間なのに、どこ
か斜めに首をかしげたような、11月の太陽の光に覆われている。青山のイチョウ
並木ほど立派ではないにしても、なかなかの景色だ。写真を撮る。
ちょうどお昼を過ぎた時間だったので学食を探す。
が、見つからない。さきほどの体育館の隣に「喫茶・軽食」と書かれた店はあ
った。もっとちゃんとした、できれば教職員食堂のような落ち着いた学食を探し
たけれど、結果的に見つからなかった。そのかわりなのか、学内の2箇所ほどに
弁当だのパンだのを売る店が出ていた。生協のような大規模な店も見つけられず
。
国際交流センターのような建物のわきを抜けていくと、サークル棟がある。
どこの大学にもある、サークルの部室を蚕棚のように並べた建物だ。その汚さ
や退廃感も全ての大学に共通する。あまり人の気配がないなと歩いていくと、そ
うだ、やはり崖の下に出た。小さな山のふもとに張り付くようなキャンパスなの
だ。
樹木や森林や山に対する恐怖感が昔からある。
畏怖の気持ちに近いかもしれない。古代の人々が山岳信仰を持ったように、「
何か恐れ多いものがある」という気持ちがある。恐怖が6、畏怖が4くらいの割
合かもしれない。37歳になった僕も山を見上げて、ああこんなに山が近いのだ、
ここは横浜なんだと思う。
サークル棟と山のあいだに、ハリボテの「阿吽の像」が二体ある。
身長は2メートルくらい。台座の上に乗っているのでけっこう大きい。学祭の
ときに使われたものらしい。毎年使っているものなのか、この秋に使われて放置
されたままなのか、よくわからない。それにしても、こんなところに置いておく
なよ。
校舎はどれも古ぼけている。
国公立大学はどこでも同じ。本当にギリギリの段階になるまで建て直したりは
しないんだろう。どんなに新しくても昭和50年代くらいに建てられたものだろう
。小さな教室やゼミ室が多い。どこに行ってもチラホラと人がいる。男女比率は
7:3くらいか。男子も女子も冴えないというか、地味なかんじ。
中庭に出た。
池があって、周囲に石でできた椅子がある。日陰になっている部分が多いせい
か、お昼どきなのに学生の数は少ない。全体に活気がない。近くに「第1講堂」
と呼ばれる建物があったので入ってみると、ざっと300人くらい入れる大教室だっ
た。補助椅子も出ているから、何かのイベントなどで使われる教室なのかもしれ
ない。もっとも、今は人の気配はない。結果的に「第2講堂」は見つからなかっ
た。
この大学を受験しなかった。
あまりパッとした印象がなかったこともあるし、千葉からも遠すぎたこともあ
るし、共通一次試験(今のセンター試験)の成績が悪かったこともある。浪人し
てから受けようと考えたこともなかったし、その後の人生で具体的なイメージを
もってこの大学のことを考えることもなかった。なにか、山の近くにある最果て
の大学だったな、という気持ちだけは心のどこかに残っている程度。
正門の前に大きな踏切があった。
少し遠回りになるが、金沢八景駅の海側に出ることができた。小さな商店街で
食事ができるようなところを探したが、ほとんどない。街そのものも、とても小
さい。学生たちはどこで昼食を食べるんだろう。考えてみれば小さな大学だし、
あの弁当売り場くらいで充足しているのかもしれない。
駅のホームに上がる。
正門付近は直接見えないけれど、その方向に何かが(大学だ)あるな、という
ことはわかる。電車はさきほどの踏切を超えていく。おい、大学なんか見ただけ
じゃわからないんだぞ、見たってしょうがないんだ。そこに行くことで、そこに
通うことで、そこで暮らすことで、ああこういう大学だったんだって、わかるん
だよ。
僕は18歳の僕にそう語りかける。
僕は37歳になって、18歳の僕はもうそこにいなかった。きっと、こういうこと
をいつまでも繰り返していくのだろう。歳を取るなんて、その程度のことでしか
ない。
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