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essay エッセイ
I draw poorly. 1月24日
  絵がうまく描けない。
  一般に右脳が映像や音楽といった芸術的活動を司り、左脳が言語などの論理思考を司ると言われている。以前にも何回か書いたように、僕は左半身に障害が多い(耳の聞こえが悪く、目が明らかに悪く、腰は左から痛み、手足が冷えるのは左側から)から、右脳に障害があるんじゃないか、と疑っている。

  しかし周知のように、右脳と左脳にそんな機能の違いがあるのかどうか、科学的には立証されていない。
  そうなってくると、僕の絵が拙い理由を脳のせいにすることはできない。何かもっと違う理由があるはずだ。


  幼稚園のときだった。
  何かの課題で、たぶん遠足か何かの様子を描けと言われた。両親や家族が来る集まりのようなもので、その絵は全て展示されるということ。1つのイベントに向けて努力する、という初歩的な幼児教育の1つだと思われる。

  遠足なので、自分を含めた園児を描かなければならない。
  園児なので、けっこうたくさんの人を描かなければならない。周りの様子も描かなければならない。8つ切りの画用紙(40×30センチくらい?)に描くには、少しスケールの大きすぎる場面である。画材はクレヨン。

  僕は考えた。
  自分を含めた園児1人1人を描いていては、全体が見えないだろう。遠足であることを閲覧者にわからせるためには、人間よりも背景を詳細に描く必要がある。しかし、画用紙は小さい、狭い。園児を描くことが条件の1つになっていたはずなので、まさかゾウさんの絵だけというわけにもいかない(遠足は動物園だった)。


  絵は完成した。
  創作の悩みを初めて体験したといってもいいだろう。展覧会当日がやってきた。もちろん僕の母親も来ていただろうし、他の園児についても母親が来ていたはずだ。僕の絵が話題になった。

  僕は人間の姿を記号に変えることにしたのだ。
  ○が顔をあらわす。その下に伸びる1本の線が胴体をあらわす。胴体上部と下部からは、左右に2本の線が伸びている。合計4本の線は、もちろん手足をあらわす。いまここに書かれた文章に従って描けば誰にでも再生できる、あの「人を示す記号」である。

  こうすることによって、園児たちの画面上のサイズは小さくなった。
  僕が希望した通りに、ゾウさんとオリの絵は大きくすることが可能になり、その周りを記号としての園児が取り巻く、という理想の絵が完成した。

  ところが、僕以外の園児たちは、人間の姿をきちんと絵にしていたのだ。
  それぞれの人間には顔があり、そこは「はだいろ」で塗られていて、目や口といった顔のパーツが描きこまれている。当然それぞれの人間は大きくなりすぎて、いったい何のシーンを描いたものなのかわからない。園児にしては人数も少ない。まあ、4、5人といったところか。これでは遠足らしくないじゃないか、と僕は思った。


  さらにところが、大人たちの反応は僕が予想したものではなかった。
  僕が描いた「記号としての人間の絵」は、かなり異様なものに見えたようなのだ。幼稚園生だから、正確な言葉はわからない。僕の母親がどういう受け答えをしていたのかもわからない。しかし確実にわかったのは、

「信原くんは、人間を記号にして描いてしまっている(けど、アタマ大丈夫?)」

という論調だった。

  僕は特に傷ついたりはしなかった。
  そうか、大人というのは絵を記号化することを嫌がる人種なのだな、と冷めた目で彼らの存在を把握した。でも、この構図は園児を記号にするから可能になったのであって、他の園児がどう描いているかなんて関係ないな、と感じた。


  その後も、絵を描くのは好きではなかった。
  どうして絵を描く必要があるのか、そればかり考えながら描かされた(小学校教育というのは、なぜあれほどに絵を描かせるのか?)。絵にするよりも、言葉で説明したほうが早いじゃないか。絵は、そこにあるものをそのまま写せるわけでもないし、完成した絵のせいで、観る人は絵の見方を限定するしかなくなるじゃないか。

  伝える手段に、なぜ言葉を選ばない?
  なぜ、記号を使ってはいけない?


  高校1年生のとき、初めて油絵を描くチャンスを与えられた。
  それまでは水彩画だけだった。美術の先生の指導は、

「そうなっていることを描くのではなくて、そうあるように見える心象風景を描きなさい」

というようなものだった。さすがに心象風景という言葉は使わなかった(相手が15歳だからなあ)けれど、そういう意味の指導だった。

  美術室には、静物画にするための素材がいくつかあった。
  果物の模型が多かった。プラスチックでできた、生命観に欠けた果物たちだ。僕は赤いリンゴを選んだ。このリンゴは少しも赤くないな、そう思いながら緑や青の入り混じったリンゴを描いた。


  何回かの授業が終わったあとで、美術の先生は僕が描いた絵を見本として生徒たちに紹介した。
  こういう感じで、見えたままを描こうとしないように、という良い例として選ばれたのだ。僕は自分の絵をほめられたという経験を持たなかったから、(子どもらしく)少し嬉しくもあったし、誇らしくもあったし、また同時に悲しくもあった。

  でも、絵なんかで伝えられることって、限界があるじゃないか?


  それから10年くらい。
  僕は20代の半ばを過ぎてから、絵の展覧会を観に行くようになった。それほどの頻度ではない。それからの10年ほどで数えれば、2年に3回くらいのペースだろうか。自分で描くことには限界を感じているけれど、描かれた絵を観るのは楽しいことなのだ、と思うようになった。

  今でも、黒板に絵を描くことがある。
  ウシ、豚、ネズミ、猫、イヌなどはほとんど同じ絵で表現される。たぶん4つ足の動物なら、ゾウだってトラだって同じ絵になるだろう。一般的にあまりにも下手なのか、生徒たちは僕の絵を観て笑いをこらえることができない。そういう彼らの反応を観て、いつも思う。

  おかしいなあ、通じないなあ、うまく描けているのに。
  ひょっとして、下手なのかな?
  もっとうまくあらわす方法があるはずなんだけどな?


  僕はこれからも下手な絵を喜んで描き続けるだろう。
  今では絵を描くのがとても好きだ。

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