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最近はこんな読書27 5月4日
  文章を書くことについて書かれた本を2冊紹介する。



すぐに稼げる文章術』  日垣隆

  作家でありジャーナリストである著者は、自分が書きたい文章を書くのではな く他人が読みたい文章を書くのがコツだとしている。
  こういう発想というか発言は一般に嫌われるものだろう。書き手の中からほと ばしる想いが凝縮されたのが文章だ、みたいなお利口さん発言のほうが好まれる だろう。しかし著者はそんなことお構いなし。完璧に無視。読まれるための文章 がどこにあるのか、コトバの選択から資料の集め方に至るまで具体的に語る。

  個人的な題材を枕として書かれる文章のコツは3つだという。



1、その体験がどれだけ普遍性を持つか検証する
2、読者が異論を挟もうが共感しようが、個人的な体験に対してどれだけ距離を 取れるか
3、「それがどうしたの?」というような素朴な疑問に答えられるようにしてい く


  これらが3つ揃って初めて文章成立、となるということだ。
  僕はこのHPを書くことで稼いでいるわけではないが、自己検証をしてみる。

1、普遍性
→ある出来事をベツの事象に置き換える、これは日記では意識的にやっているこ と。簡単にできることではないが。
2、距離感
→自分と読者のあいだに文章を置いて、コンテンツと自分、また同時にコンテン ツと読者が離れた位置に立つように書いている(つもり)。
3、素朴な疑問
→これが完璧にダメ(例:布団干し)。

  こうやって考えてみると、たしかに自分の文章が「稼げない」ものに入るとわ かる。
  次に読者をどう設定・想定するかに移ろう。


>プロでない場合にも、少なくとも3種類の読者は想定したほうが良いでしょう 。
1、身内の読み手など、自分に興味を持っている人、
2、上司や取引先、
3、意地悪な人、
の3種類ですね。(中略)加えて専門家、さらに高校生や子どもなどまったく予 備知識がない人も含めていけばなお良いと思います。


  この引用の直前に「プロなら7種類程度の読者を想定しなければ」とある。
  これも自己検証してみよう。

1、生徒様
→話題や文章が「少々練れすぎ」かなと思う。変なところに授業の復習が入った り、語句の解説をつけたりしているのは僕なりの工夫。有益・無益はベツとして 。
2、卒業生
→コンテンツそれ自体、特にエッセイは大学生から20代前半の人が読みやすいく らいの内容または文章を目指している。このHPを始めてから5年になるので、 開設時の生徒様が大学高学年の読者になって戻ってくるころか、と狙っている。
3、友人・知人
→内輪ウケにならないように要注意。
4、仕事上の関係者
→大まかに職員系と講師系に分かれており、どちらにも「あーそれねー」とやや 不満を感じさせるように書いている。上記のように距離感をとって頂くのが難し い。
5、(僕が見知らぬ)業界の関係者
→僕の生き恥をさらすようなもの。何かの話題なり考え方の一助になっていれば いいが、なってないだろうな。
6、無関係な人(例:若奥様)
→どのくらいの人数が読者に含まれるか想像もつかない。授業や英語の詳細に入 り過ぎないように注意してはいるが。

  こうして考えていくと、本書は間違いなく「自分の文章はどう読まれているか (いないか)・どう読ませるべきか」を考えるヒントになる。
  単純に書くだけじゃしょうがないよね、と改めて痛感する良書であった。



小説作法』  スティーヴン・キング(訳:池央耿)

  アメリカの小説家による「文章読本」。
  「文章読本」というのは、一般にモノカキがシロウトのために文章の書き方を 伝授するものである。古くは谷崎潤一郎の『文章読本』に始まり、今は・・・に 至ると書くほどのまともな作品はない。谷崎から始まったのかどうかも不明。最 近はブログの流行のせいもあって

「こうすればうまく文章が書ける!」

という類のアーパー本がたくさん出版されている。アーパーぶりでは引けをとらない僕もその手の本を読むたびに金返せバカヤロー的失望を味わい、それでもまた新作を見かけると買ってしまって以下同文の次第だ。

  しかし本書はそうではない。
  その手のマニュアル的な本ではない、まっとうしごくな本格派だ。第2章「道 具箱」と第3章「小説作法」が本書の根幹部分である。抽象的ないわば心構え論 じみた部分もありながら、いやに具体的な部分もある。第3章「小説作法」から 後者の例。


>作家は何であれ書きたいことを書いて、息を吹き込み、人生、友愛、対人関係 、セックス、職業などについて自前の見解を示すことによって個性を主張しなく てはならない。わけても職業は重要である。読者は作中人物の職業に強い関心を 示す。何故だか知らないが、これは事実である。SFファンの配管工が小説を書 く気なら、配管工が宇宙船なり、どこか別の惑星なりで仕事の腕前を見せる話な どはお誂え向きだろう。


  例にあげる「SFファンの配管工」というのが面白い。
  なんで配管工がSF好きで、しかも小説を書こうとするんだよという可笑しさ がある(もちろん別にいいんですけど)。そもそも本書はアマチュアに対して小説あるいは文章の書き方を紹介するもので、こういう「面白さをセットにしたアドバイス」があちこちに見られる。簡単に言えば、読ませる文章だ。

  第1章「生い立ち」は、直接的には文章の書き方を記したものではない。
  ここで著者が示すのは、何かを書くに至る動機や人生の背景である。日本人が 読むとアメリカ国内の固有名詞が意味不明という箇所がたくさんあって困るにせよ、まあそんなのは読み飛ばせばいい。たぶんアメリカ人はその例の1つ1つに 面白みを感じているのだろう。ちょっとした脱線で読者をクスリと笑わせるとこ ろも非常にうまい。

  それはさておき、著者が高校生だったときに、プロの文章添削を経験した話題。
  引用中の「グールド」が新聞の編集長。


>グールドはほかにも含蓄のあることを言った。ドアを閉じて書け。ドアを開け て書き直せ。すなわち、文章の出発点は自分だが、書かれた文章は人の目にさら されるということである。書くべきことはしっかり把握して正確に、そう、でき る限り正確に表現するならば、完成した文章は、それを読み、また、それを批評 したいと思う人々全てのものである。幸運な書き手であれば、批評するよりは読 みたいと思う人間の方が多いはずである。


  この「最初はドアを閉じて、次はドアを開けて」という表現は、本書に何度も 出てくる。
  全300ページほどの本書は、一見すれば「文章読本」と関係ないこの第1章に 100ページも割かれている。上記の引用文は63ページ。第1章「生い立ち」が文章 を書く姿勢の根元にあることを踏まえて、著者は意識的にこの文章をこの場所に 置いたのだと思われる。書くことは書き手が自分の内面に向かう作業である一方で、読者に視線を向けた再考が必要とされる行為でもある。

  たとえば、さきの下りが第3章「小説作法」178ページにつながる。
  物を書く場所としての書斎設定の話題である。


>ただ一つ、必要なのはドアを閉じて外部と隔絶することだ。閉じたドアは、人 はもちろん、自分自身に対しても、覚悟の表明である。書くことによって、作家 は言いたいよいうに言い、行きたいところへ行く。それが、ドアを閉じるという ことである。


  ほかにも小説を書くときの注意点が数多く出てくる。
  それらが全て的を射ているものであるかどうかはわからないし、あまりにも量 が多いから引用すればキリがない。読者様の興味もひかないだろうから先を急ぐ 。小説に限らず、文章を書くうえで有用と思われるアドバイスだ。副詞をできる 限り減らせ。


>地獄への道は副詞で舗装されている。私はビルのてっぺんから叫びたい。別の 言い方をすると、副詞はタンポポである。芝生に一つ咲いている分には目先が変 って彩りもいい。だが、抜かずに放っておくと、次の日は五つ、また次の日は五 十、そのまた次は……と切りがない。しまいに芝生は、全面的に、完全に、淫蕩 に、タンポポに占領されてしまう。タンポポは雑草だ、と気がついた時は、悲し いかな、もはや手遅れである。


  僕は文章を書くことが好きだ。
  読者様にとっては無意味な日記やエッセイを書き散らしている。もちろん僕に とっては意味のあることだ。体験したことや考えたことを文字に直していく快感 は何にも代えられない。文字になったものが読み手に届き、読み手がどのように それを体験し、どう考えるかを想像するのが楽しい。読み手に、適切なバトンを 渡す手段を知りたいと思っている。

  僕のそういう気持ちに励ましの声をかけるように、スティーヴンは書く。


>人は誰しも、それぞれの考え方があり、興味の対象や、懸念の種がある。私と 同じで、それは人生体験の波風から生まれたものだろう。私の主題と共通するも のもあれば、かけ離れたものもあって不思議ではない。が、いずれにせよ、人は きっと何かを持っている。だったら、それを書けばいい。関心や疑問の形で意識 に上る心象がすべて作品の素材になるとは限らないが、使えるものがあるとした ら、活かさない手はない。


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