予備校講師でわるかったな!





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笑いの鉱脈 6月28日
  元気の良い女の子たちの在籍するクラスだった。
  僕が予鈴の1分後に入室すると、

「え〜、それ先生に質問してみようよ」

などと言っている。「先生」が僕のことかわからないので、僕からは話題に加わ らない。授業をしにきたのだし、配るべきプリントもあり、始業チャイムまであ と1分40秒くらいだろうか。


  始業チャイムが鳴る前に、生徒様♀が大きな声で質問。

「せんせぇー、おくさんいるんですか?」

それ質問するなぁぁぁぁ!
そこだけは禁句だぁぁぁ!
よびわるを嫁ぇぇぇぇぇ!


  とは言わず(最初の2行は言ったが)、いないよと答える。
  生徒様は揃って爆笑。なんだよそれと事情を訊くと、先週の僕のギャグについて議論していたという。それは

「去年マンション買ったけどさ、オプションで嫁がついてこなかったんだよ。納 得いかねぇ」

というもの。


  どうやら彼女たちは、藤原紀香のCFにからめたギャグだったのかと検討して いたらしい。
  家具や家電もついてくる賃貸不動産のもの(レオパレス?)。そこで紀香が

「(家具はついてくるけれど)私はついてきません!

と微笑むやつらしい。え〜、別の意味でもう君はいらないよと思うのはこの件と は関係ないのでパスする。

  こいつら、改め目の前の生徒様、偏差値は低くてもアタマいいじゃんと思った 。
  笑いの文脈がどこにあるかを探ることが、新たな笑いの源泉になっている。も ちろん意識して話題にしていたわけではないだろうが、笑った瞬間が笑いの終わ りではなく、次の笑いの始まりになっている。アタマの悪い人は、絶対にこうい う思考はしない。笑って全てが終わるものなのだ。


  トークとしてのギャグが受けるか受けないかという問題については、またいつ か別のエッセイに書こう。
  おもしろいのは、僕の意図と彼・彼女たちの受け取り方が全く違っていること だ。僕はもちろん「よびわる」を前提としたギャグで言っていて、彼女たちは藤 原紀香のCFを前提としたギャグだと受け取っていたのだ。

  お互いの齟齬(そご=いきちがい)があるのに、笑いが共有されたのだ。
  じっさいに、先週の上記のギャグは非常に受けた。僕としては、そんなに受け るほど面白いギャグだとは思わなかったし(ギャグを言うにあたって必要なのは醒めていること)、受けてみると

「そんなに『よびわる』読者が多いとも思えないが・・・」

という違和感があった。だから、今日の藤原紀香絡みという「解釈」を聞いてみ ると、なるほどそうだったのかと思う。

  ちなみに、僕はその藤原紀香のCFを観た記憶がほとんどない。
  そもそもTVは見ないほうだし、民放は2ヶ月に1回も見ない。それでも「私 はついてきません!」のCFの存在を知っている。こうして指摘されれば、ああ そんなのあったな、くらいだ。「嫁がついてこなかった」という冗談は、このCFを下敷きにしたものではないわけだ。


  笑いは、文脈に左右される。
  発信者と受信者の文脈が一致するのが普通だが、ソースが違っていても、こう してちゃんと笑いが起きる。

バナナの皮を踏んでずっこける

という古典的ギャグがあるが、あれを悲劇として笑う人もいれば喜劇として笑う 人もいるだろう。それぞれが、それぞれの歴史と文脈を抱えて、ギャグの発せら れた場所にいた。文脈が一致しなくても、たまたまそれぞれの

「笑いの鉱脈」

とでもいったものに合致すれば、笑いは共有される。たぶん、きっと。むしろ、 同じ文脈の共有だけで成り立つ笑いには、ファッショに似た危険を感じる。TV の画面を観て笑うといったような。


  それにしても。
  教壇に上がった予備校講師に、

「せんせぇー、おくさんいるんですか?」

なんて普通は質問しないと思うよ。ま、その質問に、真面目に答える講師もいないと思うけどねぇ(^_^;)





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