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最近はこんな読書29 11月20日
  鉄道(テツ道)を語りながら、その世界に留まらない名著たち。

  ここに紹介する2冊である。1つの世界(ここではテツ)にいることで、一般 的な意味での世界を語る。



最長片道切符の旅』  宮脇俊三

  最長片道切符とは、国鉄(今のJR)の鉄道(但し連絡船を含む)を利用し、 一度も同じ駅を通らずに日本を縦断する切符である。
  本書で著者が実行するのは1978年のことで、もちろん現在の最長片道切符とは 路線が異なっている。首都圏にいれば鉄道は増えているように感じられるけれど 、全国規模で言えば鉄道路線は大幅に減っているのだ。だから僕が乗ったことが ないままに廃線になって線も出てくれば、武蔵野線の西船橋〜新松戸間のように 「最近開通した」路線も出てくる。

  1978年当時、国鉄の路線の総延長は21,000キロ。
  最長片道切符は13,000キロ。一筆書きにするからには終着駅のあるローカル線 は通れない。したがってテツならば「あ、この線は乗ったことがあるな」という 箇所が多い。僕のようなテツ修行やり直しの身でも、本書にのっている路線の3 割以上は乗ったことがある。

  著者は編集者であった。
  伝説の名編集者と呼ばれるほどの大物だったらしい。しかし、デビュー作『時 刻表2万キロ』を上梓するにあたり、自分が勤める出版社を辞めてしまった。

今まで編集者としての自分が人様の本の出版を断り続けてきた以上、他社から自 分が本を出すからには、この職を辞さねばならない

(注:『2万キロ』に以上のような趣旨の文章があったはずだが未確認)とした 人である。とても律儀で謙虚な人柄である。

  文章がうまい。
  文学的とか描写がうまいとかいうことではなく、リズム感とスピード感にあふ れ、くどくない文章である。僕自身がそうなので恥ずかしいのだけど、シロウト の文章は説明や副詞がくどくて読みにくいものである。そういう文章を斬ってき た編集力とでもいうものが、著者の文章には感じられる。本書の書き出し。


  自由は、あり過ぎると扱いに困る。
  籠の鳥は外に出されるとすぐ空へ飛び立つのだろうか。
  暇ができたので心ゆくまで汽車に乗ろう、思う存分に時刻表を駆使してみよう 、と張り切っているのだが、どうもこれまでとは勝手がちがう、いったい、どこ から手をつけたらよいのか。


  会社を退職した著者は、2ヶ月ほどかけて最長片道切符の旅程を組み上げる。
  北海道の広尾を出発し、鹿児島の枕崎にいたる切符を買うのに4日間もかかる 。


  最長片道切符のルートが決まれば、つぎは乗車券の購入である。
  「広尾から枕崎まで、いちばん長い経路の切符をください」と言っても相手は 当惑するばかりだろうから、ルートを書いたものを示す必要がある。


  切符の有効期間は68日間だが、それほどのまとまった時間が取れるはずもなく 、旅は細切れにしておこなわれる
  朝はたいてい6時ごろに発車する汽車にのり、夜は早ければ6時くらい、遅け れば10時過ぎまで乗る。ダイヤを詳しく語ることもあれば、通過する地域の歴史 を語ることもあり、夜の飲み屋の話題に及ぶこともあり、マニアならではの「旅 客営業取扱基準規定」の詳細を説明することもある。かなりややこしい話題が多 いのに、著者は軽々と(でもないのかもしれないが)記述を続けていく。

  34日間で旅は終わる。
  あとがきから。

>あまりに長々しい鉄道旅行であり、読者はうんざりされたにちがいないが、私 にとっては思ったほどの大旅行ではなかった。終着枕崎では呆気なく、乗り足り ない思いさえした。

  著者の最高傑作であり、鉄道旅行記の金字塔の1つに数えられる。



定刻発車』  三戸祐子

  人間が動かすもので最も時間に正確なのは日本の鉄道だろうか。
  これはちょっと言いすぎかな。バスや飛行機はよく遅れるし、自転車が遅れる のは運転している人が遅刻するから。竹とんぼとか紙ヒコーキは時間以前に暴走 するし、待ち合わせの相手なんてのも時間とおりには動かせない。他には、恋人 とか妻とか、こっちの言いなりになることはない。

  冗談はともかく。
  1つの物体(の移動)に最も多くのシステムが盛り込まれているのはスペース シャトルだと聞いたことがあるけれど、かなり多数の物体(の移動)を維持する ために最も多くのシステムを使っているのは鉄道かもしれない。1人の人間が1 つの時間に乗ることができるのは1つの車両だけだが、

その瞬間を「時間に正確」なものにするためには、

たくさんのシステムが同時に正確に稼動していなければならない。こんな書き方 ではわからないか。

  たとえば、ある駅で電車が止まり、

「後続の電車が遅れているので当駅で1分ほど時間調整をします。お急ぎのとこ ろ申し訳ありません」

というアナウンスを誰でも聞いたことがあるだろう。
  ご存知のように、いま当該の電車が遅れているわけではなくて、その電車がす でに通り過ぎた駅に乗客がたまらないようにするために、わざわざ時間調整をす るのだ。日本の鉄道の正確さは、こういう微妙な調整のうえに成り立っているの だ。


  本書は、この日本の電車の異常なまでの正確さが、どのようなシステムや意識 (!)に支えられているのかを詳説する。
  江戸時代から育まれた日本人の時間意識、土木作業の正確さ、基本となるダイ ヤ、あるダイヤから別のダイヤへと変更されるときの臨時ダイヤ、ダイヤが乱れ たときの修正ダイヤ、「攪乱要因」の減らし方、その対処、新幹線の自由席はな ぜ全列車で一定ではないか、24時間絶えることのないメンテナンス・・・。

  電車は定時運行で当たり前、と誰もが考える。
  そして実際に定時運行であることがほとんどだし、もし仮に電車に遅れが出た ら「ちっ」と舌打ちをする。

なんで電車が、しかも俺が乗る電車が遅れていやがるんだ、

と誰もが思う。鉄道が時間を守らないというのは、ありえないことだと考えてい るのだ。だがもちろん、その正確さは人間が作り出した英知の結晶であり、その 維持にも莫大な手間がかかっている。

  本書よりも詳しく「定時運行」を論じた本は、おそらくないだろう。
  少なくとも、文庫で入手できるものでは最高傑作だと思われる。文字ギッシリ で350ページという長大さではあるけれど、

「こんなところまで計算されていたのか!」

と目を瞠らされるばかりで一気に読める。決してテツ本ではない。巨大なシステ ムをきっちりと説明しきった見事なノンフィクションとして、全国民にオススメ できる。ぜひ読んでみてください。



  シェイクスピアという人は「人生は、舞台だ」と言ったらしい。
  本当に言ったのかどうか怪しい。この人が言いそうな言葉であるだけ のような気がする。人間というのが、実は舞台でのロールプレイングを演じるだ けの存在に過ぎないっていう世界観も、いかにもこの人っぽい、というだけの逸 話かもしれない。

  そこで僕も、新しく名言を作ることにした。
  鉄道とは、人智を結集させて完成した、そして完成することのない巨大なシス テムである。それをハード面で支える鉄道人と、ソフト面で支える我らがテツが いる。どちらの歴史も、まだ2世紀に満たない。未完であり、これからも未完で あり続ける。それは、世界のありさまに似ている。


  テツ道は、世界だ。



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