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食券を店員に手渡したあとに、彼は店員と何かのことばを交わした。
僕は注文の詳細を確認(ハンバーグのソースは和風か洋風か、といったような
こと)したのかなと思いつつ、そのやり取りを眺めていた。僕の席と彼の席は8
メートルくらい離れていて、会話の内容は聴き取れない。
朝の8時半という時間帯は、定食屋さんにとって微妙な時間だ。
出勤前のサラリーマンが時間に追われて朝定食を注文するタイミングではない
し、ランチタイムという混乱がやってくるまでにはあまりに時間がある。まだ朝
定食の客はいないこともないし、じっさいに販売している。お客の中にまともな
勤め人がいないというのは、まともな勤め人ではない僕にとっても奇妙な状況だ
。
彼と店員のやり取りの内容がわかった。
僕より何歳か年上に見えるその男は生ビールを注文していたのだ。定食屋とい
ってもチェーン店でどちらかと言えばファミリーレストランに近い店だから、き
っと店員はマニュアルどおりの質問をしたのだろう。
「お食事の前にお飲み物をお持ちしますか?」
といったような。生ビールを食後(しかもご飯が含まれる定食を食べたあとだ)
に飲みたがる客がいるとも思えないけれど、マニュアルとはそういうものだ。
彼の前には生ビールの中ジョッキが置かれる。
朝からビールかよ、どんな下賎な客なんだと僕は彼の風体を観察する。特徴の
ある服ではない。何かの作業服のように見えなくもないけれど、作業服から着替
えてみたものの作業服のイメージが体にしみこんでしまった、そんな服装だ。長
袖の、色のはっきりしないシャツだ。僕のところからは彼の上半身しか見えない
。
そうか、何かの夜勤明けなんだなと気づく。
彼の肉体は決して過酷な肉体労働者のものではない。身体の全てを使って労働
する人の筋肉は、ふつうの人のそれとは全く異なる。たとえふつうの服を着てい
ても、服の下にある力強い(そうでなくては肉体労働はできない)筋肉は主張を
する。俺のからだはお前らの弱々しいからだとは違う、と。
ふしぎなことに彼は生ビールに口をつけない。
食前の、そして彼にとってはおそらく1日の仕事が終わったあとの大切な1杯
ではないか。朝の8時に仕事が終わるというのは、まともな仕事ではない。人々
がこれから新しい1日作り出そうとしているときに、自分は1日の仕事を終えて
くつろぎの時間に入る。けっして卑下するわけではなくても、自分が少しだけア
ウトローになっていると感じる。
でも、この夜勤明けの1杯は彼にとって大切なものだ。
何しろ1日の終わりを祝福する生ビールなのだ。世間様がどうであろうが関係
ない。自分には自分の生活があり、彼らには彼らの生活がある。お前らだって、
夕方なり夜なりに仕事が終われば居酒屋に行くだろう? ビールを注文するだろ
う? ああ今日も長い1日が終わったと最初の一口で感じるだろう? 俺にだっ
てその権利はある。
彼は生ビールのジョッキを目の前に置いたまま、スポーツ新聞を読んでいる。
なぜ飲まないのだろうか。店員の「お飲み物は先にお持ちしますか」という質
問に、当たり前だと思いながら肯定の返事をしたはずだ。1日の終わりを祝福す
る生ビールがそこにあるのだ。なぜ飲まない?
ビールの泡はしぼんでいく。
5分くらいたっただろうか。僕は自分の食事を終えて、彼がなぜビールに口を
つけないのかと思いながら注視している。やはり、彼は肉体労働者ではない。少
なくとも、いわゆるガテン系のそれではない。たとえば、特に根拠があるわけで
もないけれど、夜間道路工事の交通整理員といった仕事だろう。肉体労働ではあ
るにしても、筋肉を酷使するわけではない。からだを使っているだけだ。それで
も、1日を終えた安堵感は漂っている。
定食が運ばれてきた。
サーブされるまでの時間からして、朝定食ではない。冷蔵庫から生卵と納豆を
出して、ご飯と味噌汁を盛り付けて一丁あがり、といった定食ではない。何かを
加熱して、味をつけて、盛り付けてと手順をふんだ普通の定食だ。その内容はわ
からない。彼はまだビールに口をつけていない。サーブしてきた店員に会釈をし
て、スポーツ新聞をたたむ。
食事の時間だ。
そうか、食事を目の前にしてからビールを飲みたかったんだなと僕は理解する
。彼にとっての「夕餉」が目の前に現れた。そこで1日の終わりを祝ってビール
を飲む。いいじゃないか。僕がそうであるように、多くの人がそうであるように
、1日の最後に取る食事がその日の正餐なのだ。さあ、お兄さん、ビールをぐっ
とやってくれ。彼は新聞をたたみ終え、まさに正餐を始める体勢を整えた。
「いただきます」
彼は食事の膳に向かって手をあわせた。
もちろん声は聞こえなかった。でも、彼の口が「いただきます」という動きを
したことはわかった。昔の日本人がそうしてきたように、今の日本人がそうする
ことが少なくなったように、彼は食事の前に小さな感謝の祈りを捧げたのだ。今
日も1日働いて、神様だか仏様だかが自分に食事を食べさせてくれる。社会が、
世間が、自分のために食事を提供してくれる。ありがとう、今日もご飯が食べら
れて良かった。みんな、ありがとう。いただきます。
彼が最初にご飯を食べたところまで見届けて、僕は店を出た。
おかずから箸をつけたのではない。まずは、ご飯を口に含ませたのだ。きっと
、食事の中心はご飯であり、彼にとってはご飯から食べだすことが正餐の正しい
あり方なのだ。彼はきっとそのあとでおかずに箸を伸ばし、咀嚼しおえたときに
やっとビールを飲むのだろう。もう生ビールのジョッキの泡はなくなっているだ
ろうけど、それが彼にとっての食事の作法なのだ。感謝すること。今日も、食べ
られること。
僕は自問する。
彼のような気持ちをもってして食事をしているだろうか? してきただろうか
? していたのだろうか? 僕は食事に感謝することを忘れていた。当然
すぎることを忘れていたのだ。悔しくてならなかった。
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