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俺、トシいくつなんだって(-_-;)  









「中入れ」アリでした。  







































































よびわる史上もっとも美しい写真?  




ヘンなもんばっか撮影してるな・・・  
  








  

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essay エッセイ
天橋立まで激走! 9月22日
  京都駅北口の左手には大きな郵便局がある。
  ちょうど東京駅の丸の内口と同じ位置関係だ。京都郵便局の裏側の店でレンタ カーを借りる。始発の「のぞみ」に乗った甲斐があって、まだ朝の8時半だ。想 像以上に広いとされる京都北部と若狭路にまたがる激走旅のはじまり。

  京都駅近辺には土地カンがある。
  とりあえず北上して、適当なところで右折すれば鴨川のほとりに出る。下鴨神社の手前だったか、出町柳の交差点からさらに北上する。ナビや地図を見なくても、おおよその道はわかる。比叡山へのロープウェイを右手に見ながら、三千院のある大原へ向かう寂しい国道に入る。このあたりが

鯖街道

と呼ばれる国道367号。敦賀方面から京都に入る道を逆行していることになる。大原を過ぎたところからが未踏の道だ。朽木(くつき)の交差点で右に曲がり、琵琶湖方面へ。琵琶湖を右手に見ながら走ると、10時半ころに敦賀に着いた。


  とりあえず気比の松原というところに行く。
  日本三大松原の1つということで、確かに立派だ。まあ、海辺に松がたくさん あるというだけの風景ではある。人生で1回くらい訪れる価値は・・・あるかな あ。ないような気もするなあ。

  西へ。
  次の目標は三方五湖(みかたごこ)。関西圏を旅行すると、地名が読めなくて 困る。僕は東京に生まれて千葉に育ったという関東人なので、読めない地名にカ ルチャーショックを感じる。さっきの朽木(くつき)なんていうのも、ちょっと 読めない。「くちき」じゃないのかと思ってしまう。

  5つの湖の総称。
  久々子(くぐし)、水月(すいげつ)、菅(すが)、日向(ひるが)、三方( みかた)という湖たちだ。ホラ、どれも関東の常識では読めないじゃないですか 。このあたりでお昼どきになったので、ウナギ店に入る。

『源与門』(げんよもん)

だから読めないって(-_-;)


  ウナギは旨かった。
  さらに西に進み、小浜市に入る。海べりにフィッシャーマンズワーフを見つけ 、コーヒー休憩。連れに言わせれば

「旅先のコーヒーは旨い」

となる。同感だ。また同時に、田舎では旨いコーヒーがなかなか飲めないとも 言える。350円。

  さらに西へ。
  このあたり、土地は広いが観光地はほとんどない。何も見るもんないねと言い ながら走っていたら、大飯(おおい)原子力発電所があった。ほう。日本海側っ て原発が多いんだよね。小さな岬の先端にあるようで、国道27号線を外れる。10 分くらい走ったところで先端につく。行き止まりの手前に

エル・パークおおい「おおいり館」

という建物があった。地元住民を納得させるための施設だろう。

「原子力、危なくないですから! 安全ですから! 地域住民と一体化してます から! 公共サービスですから!」

という主張の具現ね。きっとアブナイんだろうね(-.-)

  我々以外に誰も客はいなかった。
  係員はムダに6人くらいいたと思う。我々が駐車場にクルマを止めて建物に向かって いったら、「おい、なんか来たぞ! 活動家か?!」という雰囲気で受付のお姉 さんが立ち上がっていた。もちろん入場無料で、もちろん面白くなかった。


  高浜で泊まる。
  宿はまあふつう、くらい。かなりの田舎で、良い宿の選択肢がなかったのだ。それに、これくらいまで西に来ておかないと明日の激走距離が長くなりすぎるのだ。ちなみに、若狭湾沿岸には、日本には珍しくほとんど温泉がない。

  舞鶴を通過して、午前10時にやっと天橋立に着いた。
  この旅の唯一の目的はここに来ることだった。今世紀の初めごろ、「雪舟展」 を観にいった。50年に1度の公開というだけあって、国宝級ではなく国宝の絵が 並んでいた。

  その1つ「天橋立図」は、この不思議な景勝地を空(たぶん東方)から見下ろ した構図だった。
  のちにこうして現地に行ったからわかったことは、この構図を見るには描き手 は鳥にならなければいけないことだ。現代でも天橋立を見下ろす展望台はその南 方と北方にしかない。つまり雪舟は画家としての想像力を駆使してこの絵を描い たことになる。僕は「天橋立図」を観ながら、雪舟はどうやってこの構図を想像 して描いたのだろうと不思議に思っていた。


  左の写真は南方から観たもの。
  松林に覆われた砂州(さす)は南北に4〜5キロくらいの距離を持つらしい。 なるほど風光明媚である。雪舟の時代にはこの展望台すらなかっただろうから( 登山した、という可能性はあるのかな?)、彼は自分の目と同じ高さで天橋立を 観て描いたのだと思う。

  僕と連れは展望台から降りて砂州まで歩いていく。
  砂州はほとんどが松林で、ちゃんと道もありクルマは通れないが人は歩けるようになっている。貸自転車店もある。連れは、

「おい、自転車に乗って向こう側まで行こうじゃないか」

という。えー、マジっすか。けっこう距離ありそうなんですけど。このエッセイ 、あくまでクルマで激走するんであって、自転車激走の予定ないんですけど?


  予想通りに距離がある。
  自転車で向こう岸に至るまで15分くらいはかかったから、全長は6キロ近くあ るようにも思えた。砂州の真ん中に舗装された道があり、砂州は狭いところで20 メートルくらい、広いところで60メートルくらいはあるように思えた。印象なの で、詳しくは読者様のほうで調べてください。ときどき倒木もあった。

  往復して戻れば少し汗ばむくらい。
  天橋立は京都府に属する。京都の北のはずれ。お昼過ぎにここを去った僕と連 れは、京都の山を越えて京都駅に4時過ぎに到着した。天橋立は遠かった。雪舟 は、この道のりを超えて観に来たのだ。この感動を、

ふつうの人が想像できない視点で

描く必要を感じたのだ、きっと。
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