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『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』
翻訳をめぐる諸問題を、東大教養学部助教授であり翻訳者でもある柴田元幸と語りあう対談集。同名『翻訳夜話』の続編にあたるが、直接リンクする箇所はなく、本書から読み始めることが可能。ただし後述のように、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(村上春樹訳)または『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝)の読了経験が必要。
村上春樹の本を買ってそのまま積んどく、そんなことをできる人ってほとんどいやしないだろう。
君だってそうじゃないよね? 買った本を買った端から読まないなんて、ちょっと普通の人にできることじゃないし、読まないから買わなきゃいいのにねって思う。そういう連中にかぎって、「僕は積読してある本が多くてね」なんていいやがるんだ。
まあそんなことはどうでもいい。
いま僕が君に話さなきゃいけないのは、僕は春樹の本を買った端から読んできたってことなんだ。それでね、この本だけは――いや本当は他にもあるんだけど、その話はまたそのうち――買ったまま置いといたんだ。なんでかって? 決まってるじゃないか、僕はこの本を買ったとき、まだ『キャッチャー・イン・ザ・ライ』をきっちり読めていなかったんだ。なんだかちょっと金のある家に生まれたお坊ちゃんが、いやこいつがなんか神経症の病気もちみたいなヘンチクリンなヤツなんだけど、ごちゃごちゃ独り言を言ってる小説なんだ。
まわりのみんなは「『キャッチャー』は青春文学の名作だ」とか言っているんだけど、僕にとっちゃ、とてもそんなもんじゃない。
どう見たって主人公のホールデン君は病んでるし、文体も病的だからね。何を言ってるんだかわけのわからないところがたくさんあるし、コレっていう結末もなく終わっちゃうからね。あんな小説のどこが面白いのかまったくわからない、そんなことを一言でももらしたら、
「あいつは文学ってものがわかってない」
って言うのがアイビー・リーガーって連中だからね。あいつら、ブルックスブラザーズの紺ブレなんか着てて、そういうこと言いながら胸にある金のボタンをキラッと光らせるんだ。君だってこういう感じ、わかるだろう。
さて口調を通常に戻す。
本書の感想文を書くには、多くの説明が必要だ。そうすると小学生の読書感想文みたいになっちまうんだけど、まあしょうがないよね、君もそういうのがわかるだろう。僕だって、いやいや書こうとしているんだ。ってまた口調が戻ってますね。もちろん、
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の主人公ホールデン・コールフィールドの口調を真似た
わけである。似てない? そうか、やっぱ読み込んでないからね。
本書のタイトルは『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』である。
ともに翻訳者である村上と柴田が翻訳そのものについて語ったのが『翻訳夜話』であるとすれば、翻訳としてとり上げる題材を『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に絞ったのが本書『2』である。その意味では、「翻訳夜話2」を小文字にして「サリンジャー戦記」を大文字にしたタイトルは適切なものだと思う。
本書は2003年7月の出版。
村上が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』という翻訳書を出したのは同年の4月。翻訳にあたって、村上が言わば翻訳のプロである(もちろん村上もプロではあるのだが)柴田に協力を仰いだのが本書誕生のキッカケである。村上が翻訳したものを柴田が読み、1日8時間、2日にわたって2人で翻訳の洗い出し作業をした。村上の「まえがきにかえて」から。
>「ああだ、こうだ」と役稿をいじくりまわし、かなりへとへとになった末に、ようやく完成稿ができあがった。我々はそのときに、英語的な、事実的な問題点を細かく論じるとともに、その延長線上で『キャッチャー』という作品自体についてもずいぶん語り合った。
これを契機に2人は2つの対談を行い、それらを整理したのが本書である。
さて、この感想文は冒頭の事情に戻る。
今度は仮想ホールデン君ではなく、僕が書く。なんだかしちめんどう臭いことをやってるよね、だったら初めっから自分で書けばいいじゃないか。参っちゃうよな、ほんと。こらホールデン、黙ってなさい……。
買ってすぐに読まなかったのには、2つの理由があった。
1つは、村上訳の『キャッチャー』を読み終えた直後で、まだその内容を咀嚼できなかったからだ。あとで詳しく書くように、本書を読み終えた今でも『キャッチャー』がどういう小説なのか(自分なりにという意味で)理解できていない。せっかく2人が『キャッチャー』を語るというのに、
肝心の読み手の僕の感想文がない
状態では面白くないだろうな、と考えたわけだ。そして実際に本書を読み出すのは、『キャッチャー』を読み終えて6年半後の2009年の秋になる。
もう1つの理由は、本書に先立つ『翻訳夜話』が面白くなかったことだ。
いや、もちろんある水準以上には面白かった。翻訳という行為に興味も関心もあるし、小説家と文学者が翻訳について語るさまは、寿司職人とパスタ打ちの名人がソバ打ちについて語るようだった。どうも比喩がうまくない。それぞれが
自分の専門領域とは必ずしも言えないものを専門にしている
さまが面白かった。が、それでも春樹の本のなかで面白いと言えるかと問われれば「別に」と答えたくなるようなつまらなさだった。これが2つ目の理由。
今度こそ感想文にうつる。
『キャッチャー』の翻訳と同様に、村上が熱く語り、柴田が正確に軌道修正をこころみる。この掛け合い漫才のようなやり取りが非常に面白かった。もちろんハルキストである僕は村上の発言を注意して読むという事情があるにせよ、村上がこれほど何か(この場合は『キャッチャー』だ)へのコミットメントを明確に示すことは珍しい。しかも冗舌に。
>僕は『キャッチャー』という小説が今でも若い人々に読み継がれ、評価されているのは、それがイノセンスを礼賛しているからじゃないと思うんです。そうではなくて、ホールデンという少年の生き方や、考え方や、ものの見方が、そういう時代的な価値観のシフトを超えて、優れて真摯であり、切実であり、リアルであるからじゃないかな。そして彼の語る物語=ナラティブが、人々が巨大なシステムを前にしたときの恐怖や、苛立ちや、絶望感や、無力感や、焦りのようなものを自然に呑み込み、ユーモアをもって優しく受け入れてくれるからです。だからイノセンス自体は、この小説を読む読者にとっては、もはやキーポイントではないんじゃないかと思うわけです。
僕はここを読んで、げぇっと思う。
『キャッチャー』ってイノセンスを書いたものじゃなかったのか、読めてなかったと素直に感じる。そういえば確かに、16歳のホールデンは巨大な大人の世界を前にして畏怖を感じていて、ふつうなら
少年らしさの象徴であるイノセンスを捨てていくもの
なのに(それがジュブナイルという小説のジャンルだ、成長物語ということ)、ホールデンはただただボンヤリしているばかりだ。なるほどと思ったとたんに、柴田はこう答える。
>なるほど。
なんともタイミングが良い相槌だ。村上がこの後も少し熱く語ったあとで、柴田は総括する。
>この小説、イノセンスがポイントではないというのはちょっと衝撃的ですね。
本書をよりよく味わうためにやっておきたいことがある。
『キャッチャー』の翻訳が出版される1年前に出た、春樹の『海辺のカフカ』を読むことだ。春樹がなぜこのタイミングで『キャッチャー』を訳したのかは謎めいていて面白いところだけど、それは措くとして、ある意味で
『キャッチャー』の続きが『海辺のカフカ』である
という解釈も可能かもしれない。極めて微妙なところだから、力説するつもりは全くないけれど。良い本だ。
なんだかこのおっさんゴチャゴチャ言ってるよね。
ハッキリと『キャッチャー』はつまらないけどこの本は面白いって素直に書けばいいのにね、それができないんだな。ダラダラとお説教みたいなもん読まされて、最後は「力説するつもりは全くない」なんて、参っちゃうよね。『キャッチャー』がつまらないなんて書くと叩かれるって思ってるんじゃないか。いいじゃないか、つまらないものはつまらない、で。ほんと何て言うかさ、おっさんって面倒だよ。君もそう感じないか?
追記:『キャッチャー』にはもともと、『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝)という名訳があった。著作権の問題があって、『キャッチャー』は『ライ麦畑』と同じ出版社から出されることになった。旧訳と新訳を同時に存在させるという意向であり、これは僕も高く評価したい。
→僕は村上の新訳のほうが読みやすいと思った。が、新訳を読んでから野崎の旧訳をパラパラめくると、「なるほど、この訳もアリだな」と感じる。サリンジャーが書いた時代の空気を感じさせる訳とでもいうのか。
→もっとも、僕が個人的に野崎の翻訳本を読んだことが多いから、そう感じるだけなのかもしれない。これから読む人には、2作を比べてから買うことをオススメする。旧訳のほうが小ぶりだ。
→僕が『ライ麦畑』を初めて読んだのは大学生のとき。いま持っている本は29歳のときの奥付になっている。『キャッチャー』は2003年の出版。都合3回読んだことになる。
→僕がこの小説を気に入ることができないのは、読み込みの浅さとか趣味とかという問題ではなくて(もちろんそれらもあるけれど)、このように初読が人生の遅い時期にあったこともあると思う。良い小説は時間を超越するが、その人個人にとって「その本をいつ読むか」は極めて重要なことだ。
→なお、同じサリンジャーの『ナインストーリーズ』という連作小説は、大学時代に読んでたいへん面白く感じた。ほぼ同時期に『ライ麦畑』を読んだけれど、「こっちは何だかなあ」と思ったわけだ。
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