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最後の最後は「引渡し会」。
入居の1ヶ月ちょっと前には売買契約会というのをやって(調印式みたいなものです)、内覧会のあとのチェックも終わり(結果的に僕は2回もやった)、カギを引き渡して完全に売買が成立することを示すイベントである。全ての住人または代理人が都内某所に集められる。不動産業者の本店である。どこまでも面倒ですな。
引渡し会の会場には、同じマンションに住む人々が集っていることになる。
現実的な「お隣さん」になる人たちだ。僕のように1人で来ている人もいれば、4人で来ている人もいるし、欠席者もいる。今までにもいろいろな機会で「住人」の様子を観察してきたが、
特にこれといって問題のありそうな人
は見当たらない。いて欲しくない、という気持ちがそう思わせるんだろう。
何を引き渡すのかというと、単純にカギである。
上記のように売買の契約書はすでに取り交わされていて、カギを受け取ったことで「物件の引渡し」が完全に終了したということになるらしい。もちろん再び書類に書名して、捺印。この1日でも3回くらい同じことをやった。ああ今日でこの地獄も終わるのだなあと思う。
「引渡し会」自体は1時間足らずで終わる。
僕の場合、オプション工事で最後に残ったのはフローリングのコーティングで、その業者にカギの1本を貸与しなければならない。同じような作業をしている人が半分くらいだろうか。お隣さんにご挨拶といった特別な行事はなく、人々は散り散りになっていく。そんなもんですか。入居は2日後。もう一息盛り上がらないな。関心事は引越しを無事に終えることだけ。
2日後。
新居に着いたのは7時前くらいだったか。荷物を入れる前の掃除をするために、早めに来たのだ。天気は湿度の高いくもり。雨が降らなければいいけれど。僕はリュックサックを背負い、手には小物を入れるカバンを持っている。掃除道具や貴重品やパソコンや、新居のカギ。
マンションには人の気配がない。
早ければ一昨日の午後から入居できたはずだけど、実際に住んでいる人はまだ少ないのだろう。朝も早いし。無人のエントランスを抜けて、セキュリティーシステムがまだ稼動していないエレベーターを使い、部屋に到着。できるだけゆっくりとカギを回す。
感傷的なシーンを迎えると、感傷的になろうと努力するタイプだ。
わりに事務的・論理的・非情緒的な思考や行動を好むから、「おセンチ」な気分を味わうことが少ない。感動していないというより、感動している自分を別の場所において考えたり行動したりするのが好きなようだ。だから、こういうシーンを迎えると、
「感動するんだ、感傷的になれ、頑張れ、泣け、今のオレ」
と自分に呼びかける。が、やはりモクモクと非情緒的な自分が首をもたげ、論理的に事務的に行動しようとしてしまう。
ゆっくりとカギを回し始めた瞬間は感傷的になろうとしていた。
しかし回し始めると「どっちに回すのかな、スムーズに回るかな、ちゃんと施錠されているかな、ちゃんと施錠できるかな、ダメだったらクレームをつけねば」と考え始めている。こういう性格なんとかならんか、たぶんならんなと入室。
全ての窓を開放する。
持参した荷物を分類する。ぞうきんは水場に、トイレットペーパーはトイレに、パソコンは安全な場所に、貴重品は所在がわかりにくいところに、灰皿は目立つ場所に、ゴミ袋は使いやすいように1箇所にまとめて。感動も感傷もどこにもありやしない。
バルコニーに出てみる。
空はどんよりと曇っていて、いつ雨が降ってもいいけれど、まあ一応は降らない予定だからという顔色をしている。布団は干せないよなとどこかで考えている。煙草に火をつける。一服したら行動しなきゃ。雨が降らなくて助かったな、今日は一日が長いだろうな。
そこでやっと気がつく。
僕はこの瞬間まで空しか見ていなかったと。見える景色が変わったのだと。
こうして、僕は人生で初めて家を買った。
(完)
追記:それにしても、本当にここまで来るのが大変でした。購入を決心するまで2年半くらい、入居は1年後だったから3年半もかかってマンションを買ったことになります。何もかもを独りでやらなければいけないというのは、何もかもを独りで決めなければいけない、ということなんですね。これからマンションを買おうとする人に役立つドキュメンタリー風に書いたつもりだけど、ただの困惑エッセイにしかなってないような気がするなあ。
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