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最近はこんな読書34 6月17日
  たまには難しい本も読む。
 理解できたかどうは別にして、最後まで読みとおしたなら、いつか自分の肉になると信じている。読 書は、自分の中に鉱脈を作っていく作業でもある。

 と書けばもっともらしいが、このエッセイの題目はそこにはない。
 人から本を借りるとはどういうことなのか。今までにも何度か論じてきたことだけど、あらためて書 いてみた。最後まで読んで、

「ま、こういう非道な結論に(やっぱり)なるんだろうな」

と思えた人は立派である。


 『時間と自己』木村敏
 精神病理学者による時間論。
 たいへん興味深い内容だが気が狂いそうになるほど難しかった。

 ご存じのように、時間論はこの『よびわる』のテーマの1つである。
 時間とはいったい何なのかわからなくて、自分なりに説明しようとして書かれているのが日記であり エッセイである。そんなところあったかなあと思う人が多いかもしれない。が、数年に渡って読み続け ている人の中には、

ああそうか、それであんな感じの記述というかトーンが多いのだな

と思う人がいるはずだ。賢明なる読者なら、ハイデガーやベルグソンの記述を下敷きにして書かれてい る箇所を見つけているだろう。僕自身は、時間という問題が(すくなくとも僕の中で)解決すれば文章 を書くことを止めるつもりである。


 で、内容ですが。
 三部に分かれていて、第一部では「こと」と「もの」がどう違うかが論じられている。「こと」と「 もの」を分け隔てているものが時間であろう、みたいなことです。え、ついてこれない? 要約まちが ってる? 後者は諦めてください、僕の限界なので。

 第二部では、精神疾患から推測される「時間」の概念が語られている。
 疾患は主に3つ、分裂病とうつ病とてんかん。この中では「てんかん」の箇所に納得がいかなかった 。てんかんの中に祝祭を観るという視点には「ほう」と思わされたけれど、合点はいかなかった。初版 が1982年の本だから、今となっては間違いとされる記述もあるはず(それこそ、よく知らないが)。

 第三部がまとめ。
 こんな難解な本は読んでらんね、という人は、この10ページばかりを読めばよい。それだけで

「『時間と自己』? ああ、ざっと読んだよ」

と公言して大丈夫だと思う。そもそも、本書の問いの立て方にムリがあるかも、という内容だ(それ言 ったらオシマイじゃないかとも思う)。では、最後に引用。

既知と未知としてのいままでといまから、生の既存性と死の未来性、有限な人間の個 別的存在に対してその有限性それ自身によって必然的に課せられているこの両方向性が、われわれの日 常の時間に以前以後過去未来の区別を与えているのであり、時間 に絶対的に不可逆的な流れという外観を与えているのである。原理的には可逆的な等質性を有 するはずの物理学的時間にすら、そこに人間による観測という操作が加わることによって不可 逆性が与えられる。
(強調文字は本書では傍点)

もうね、読むの大変すぎだったよ(@_@;)


 ところで、上記の本は知人に借りたものである。
 面白そうだなと思って借りて、読んでみたら異様に難解だったので放置した。読むべきとき、読める ときがいつやってくるだろうと思っていて、

借りて7年を過ぎた今年になって

読むことができた。十全に理解したとはとても言えないにしても、最後まで読み切ることができたし、 半分くらいの内容は自分のものになったと思う。

 知人からはうるさく返却の催促を頂いた。
 まあ、そういうのは、無視するに限る。だってそうでしょう。借りた本を返してしまったら、僕のと ころに残らないですよね。借りてまで読むくらいの本なんだから、

自分の手元に置いておくべき価値がある

と言っても良い。むしろ、返してしまったら「(自分で貸してくれと言っておいて)面白くなかった」 と言っているようなもので、失礼だろう。

 つけ加えよう。
 借りて面白かった本は、返さないのが原則だ。なぜなら、本はそのコンテンツにこそ価値があり、そ のヴィークルに価値はない。そもそも、

本の言う「こと」は人類共通の財産であるから

本それ自体(「もの」)がどこにあるかは本質的に問題にならない。ゆえに、借りて良かった本は返さ なくて良い。貸す方はそのくらいの覚悟をしなくちゃいけない。そう、ムチャクチャな話である。


 貸してくれた知人もそのくらいのことはわきまえている。
 ある程度の読書家じゃないと『時間と自己』なんて買わないだろうし、読書家であれば

「貸した本なんて返ってこないよな(貸した自分が悪い)」

と悟っているはずだ。しかしもちろん、まあ多くの読者様も同じようにすると思うが(たぶん僕も)

>ふざけるなよッ! それ俺の本だよっ! 返せよ、返してよぉぉぉぉ!

と絶叫しているかもしれない。実際に、彼からの年賀状には(しかも数年にわたって)

>あの、『時間と自己』は?

と書かれていた。しょうがねえなあ、仮になくさなかったら、もし覚えていれば、万が一気分が乗った ら返してやるか(^。^)y-.。o○
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