各ページのご案内はコチラ
Copyright (c) 2004
takeshi nobuhara All Rights Reserved.
|
|
『さらば新宿赤マント』椎名誠は週刊文春で23年にわたって連載されたエッセイ(全24冊)。
このシリーズが読めなくなってしまうとは、あまりに残念。
連載が終わったのは2013年の3月。
このシリーズは連載からいくつか削除されて単行本になり、その2年後くらいに文庫化されている。僕は1996年ごろまでは単行本で買っていて、それからは文庫化を待って買うようにした。その程度のエッセイだし、
連載が長くなりそうなので切り替えた
わけだ。本棚にはスペースってのもあるからね。たしかめていないけど、僕は24冊すべてを持っているはず。
恐るべきほどの無内容である。
基本的にはシーナの近況報告で、日記に近い。だから何なんだよ、という記述も多い。健康でいることの条件を書いた「青い空が待っているか」から。下記のトレーニングとは「スクワット300回・プッシュアップ200回・腹筋100回」だったはず。
>適度な運動については、これもどうやら逆で、自宅にいるときはむしろ「過度」の運動をしていることが多い。高校生の頃からの癖で、三十分ぐらいウェイトトレーニングをしている。床とたたかっているのだ。夏など汗だらけになってしまう。これだけは健康にいいように思う。床ならどんな床が来ても負けない自信がある。
何事にも「勝ち負け」を導入するのがシーナの思考癖だが、床は来ないと思うし、だいたいこれでどうして「青い空が待っているか」なんてタイトルになるのか。まあ最後まで読めばいちおうわかるんだけど。
連載が終わったことは事前に知っていた。
だからこの最終巻の文庫化を楽しみにしていた。気になるのは、この長寿連載を終わらせる理由だった。しかしそれは、最終回にもあとがきにも書かれなかった。連載が終わる半年ほど前の「店じまいの準備」に書かれているのだと思う。シーナには珍しく、体力の衰えと老化が語られている。
>で、酒に弱くなったのかなあ、という自覚の話だ。半月前に釣り取材で(中略:キャンプして昼過ぎからビールを飲みだし、夜はたき火の前で焼酎にかえてストレートでぐびぐび飲んでいたら)、急に椅子に座ったまま寝てしまい、バランスを崩して椅子ごと倒れてしまった。
それまで千回くらいキャンプをしてきたのに、初めてのことだったとか。
>ショックだった。
シーナはこのころ67歳くらい。
同じ文章に、原稿が多すぎるという記述もある。
昔から異様なほどの量を書く作家だった(33年間で230冊ほど出版したそうだ)。2012年の10月、スタッフから受け取った原稿締め切り表には、二十七件の締め切りがあった。
>通常月は平均二十二本。それはもうここ二十年くらい同じだから慣れてしまっていて、あまり気にならない。短い原稿は一日に三本くらい書いてしまうからだ。粗製濫造の極地。
けれど、この十月の表を見て、やや愕然とした。殆ど毎日が締め切りではないか。サラ金ってやったことないけれど、追われる気分としてはこんなもんのだろうか。
もうそろそろ縮小均衡の道に入っていってもいいのではないだろうか。――そう思った。これも初めての思考だった。これまで原稿の量なんてあんまり負担に思わなかったのだ。原稿書くのオレけっこう好きみたいだな、と眠れない夜などに思っていたからだ。
さすがのシーナも衰えを自覚したようだ。この文章は以下のように締めくくられる。
>そんな気分になったのも、順当に我が身が総合的に衰えてきたからではないか、と思うのである。
連載が始まったのは1990年。
1944年生まれのシーナは40代半ばの働き盛りで、僕は大学に入ったばかりの若者だった。23年が過ぎてシーナは初期老人になり、僕は開始当時のシーナと同じくらいの年齢になった。こうやってクロノロジカルに書いてみると、
なんだか「一回り」してしまったみたいだなあ
と思う。人は年を取らなければいけないし、時間はその経過の代価を人に求める。代価とは成熟であるかもしれないが、老化でもある。
シーナのエッセイの良さは、量だ。
とにかく文字ぎっしり。そのへんにあるモノゴトや考えたことなどを、わしづかみにしてガリガリ書く。そのぶん無内容で無意味なことも(かなり)多いのだけど、
この人は必死で生きているのだ
という感覚を読者に、たとえば僕に与える。まあその必死さが「今日もビールがうまかった」なんて例に落ちることが多いにしても。
僕がシーナを読みだしたのは11歳のとき。
文庫や新書になったエッセイは見つけられる限り新刊で買い、すべて読んでいる。赤マントシリーズは僕の文章にも大きな影響を与えている。もちろんプロとアマだから違いというか隔たりは大きいのだけど、
もりもりと書くことのなかに人生の意義を探している
のは同じだと思う。ある種の人々にとっては、書くことは生きることの大きな一部である。さらば赤マント、またどこかにヒラリと現れることを期待しているよ。
|
|