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僕の仕事に関係する本を3冊。
『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(文庫特別版)坪田信貴を読了。
文庫は単行本からストーリー面を抜粋したもの。
あんなに話題になるほどストーリーが優れているとは思わなかった。
単行本と作りが違うからだろうか。
この文庫版では受験勉強のノウハウが削除されているようだ。だいたいのストーリーは知っていて、単行本では立ち読みしたこともある。そのときは
『ドラゴン桜』から10年ちょっとかあ、周期的に流行するんだろうなこういうの
と思い、文庫で100円になったら買おうと思い、そうなった次第。
実話だろうけど、「そうかなあ?」と思う個所はあった。
>(前略)東大に行くような子も、学年ビリの子も、地頭の差など、たいしてないと思います。
要は、遅れているか、いないかだけなのです。
どんな子でも、難関大学に合格できない地頭の子なんていない、と僕は長年の経験から信じています。
著者は塾の経営者で1,300人以上を個人指導してきたという。僕は学生時代を含めても個人指導は100人くらいしかやったことがないから経験の差かなとも思うが、
ウソだろ、個人指導のほうがそういう見たくない地頭の差が見えるはずだぜ
と感じる。僕自身がそうであるように、地頭の差ってあるじゃんかさ。きれいごとでしょ。
まあそれは見解の相違だから構わない。
ビリギャルが9月に受けた模試の結果。
>英語が偏差値70を超えてました。学年でも187人中13番の成績です!
なんだよそれ、ビリギャルったって、そもそもかなーりの進学校じゃん。
偏差値70で上位10%は、準トップレベルの学校だ。千葉県なら渋×とか市×ほどじゃなくても、×英とか×習あたり。まあ確かに
学校に入ってからは落ちこぼれた
んだろうけど、どう考えても地頭がいいじゃないですか(注:本書でいう偏差値は入学時じゃなくて大学受験のための偏差値です)。そのレベルで高2の夏から始めて、英語と小論だけの慶応SFCは夢物語ではない。
いっぽうで、まあ一応そうだねと頷いた個所も。
>よく塾生やその親御さんに「早稲田、慶応、上智、東大、医学部ですと、合格確率はそれぞれどれくらいですか」と聞かれます。
それに対して僕は、「正直、そのレベルまで行くと、どんなに勉強しても、全部五分五分ですよ」としか答えません。
後ろの2つは当然として、早慶上智もだいたいそんな感じだ。ただ僕の場合は、早慶上智に関しては
この子は9割がた受かる
と確信を持てるときもある(集団授業でもそういうのは空気でわかるもの)。著者は個人指導というスタンスなので、「そのあたりはどこも2分の1」と答えるしかないのだろう。
受験生に本書を薦めるか?
微妙または後ろ向きだね。『ドラゴン桜』と同じように読めば得られるものがあるけれど、
真に受ける受験生ほど役に立たない話
とも言えるから。入学時偏差値が50くらいの学校に入って落ちこぼれて、この本を読んで「私にもできる!」と勘違いしているパターンが多いと思われる。
いっぽうで「こういうケースもあるのか」という冷静さを持って読める人は、けっして真に受けないだろう。
だから逆説的に、上記のように
・自分がビリギャルになれないという運命を背負っている受験生が、夢物語としてビリギャルに自分を仮託してしまう
という現実があるはず。今の意味がわかった人は読んでも(まあ)いいんじゃないの。
『世の中それほど不公平じゃない 最初で最後の人生相談』浅田次郎を読了。
週刊プレイボーイの人生相談をまとめたもの。
エッセイではなくインタビュー風にしたところまでは良かったがイマイチ。
人生相談って、ぜったいに面白くない。
誰が書いても同じ。新聞でも雑誌でもそういうコーナーがあって、作家だの各界の著名人だの人生の達人だのがアドバイスをしているけれど、
そんなの何の解決にもなってないだろ
と思わせるものばかり。中島らもの「明るい悩み相談室シリーズ」(馬鹿馬鹿しいが名著)くらいまで開き直ればいいのだろうが。たぶん相談したいというニーズがあるのかも。
1つ、笑えない相談があった。
身につまされるというか。56歳の男性から。
>私は38年間、中高生に英語を教えてきた英語講師です。大手予備校に勤務しているころは収入も多く、英検1級、通訳ガイドの国家試験、ニュース英検A級などに合格して順風満帆でした。それが(以下略)
要約すると、予備校にリストラされて女房に去られて家族なし、仕事なしになってしまった。生き残るためにはなんでもやる覚悟だが、何も仕事がない。やむをえず近所の中高生に教えているけど、食っていけない。どうしたらいいでしょう?
著者の答えは「人格が良ければなんの能力がなくても仕事に就ける」だった。
それだけの資格があるなら、仕事はあるだろうよ、と。人格に問題があるからじゃないのか、仕事をなくしたことと女房に逃げられたのは関係ないぞ、と。
そうだけどね、なんか腑に落ちない回答だなあ。
人格に問題があったところで、人格なんてそう簡単には変えられないだろ。いっぽうで、僕がこの相談を読んで思ったのは
「過去の自分と比べて嘆いているだけじゃないか、ノンキだなあ」
である。ご本人がここ『よびわる』を読んでいたら申し訳ないんだけどさ。
2012年で56歳。
38年間というのは、大学時代のアルバイトを含めての話だろう。僕より14歳年上だから、僕が受験生時代(1980年代末期)にデビューしているはず。当時はちょうどバブルの終わりに差し掛かったところで、
予備校講師ウハウハの時代
だった。僕なんか300人教室とか当たり前で受講していたもんね。で、ハッキリ言います。
>先生ね、その時代を謳歌しておいて、何やってたんですか? 50を超えたら引退できるだけ稼いでたのでは? 備えておける立場にあったのに、備えなかったのはご自分でしょう。無駄にクルマ買い替えたり、計算もしないで意味もなくリゾートマンションとか買ったでしょう? 女房に逃げられたのはお気の毒ですけど、金を稼ぐ程度の魅力しかないと見切られたってことですよ。そもそも、それだけの英語力があれば、TOEIC関係(社会人相手)の仕事はいくらでもあるでしょ。え、時給が安い? 1コマ60分2,500円とかでは働けない(まあ確かに専門職としては安すぎると僕レベルでも思うけどねw)? 「生き残るためには何でもやる」つもりなのに「仕事がない」とか、ウソでしょ。だからさ、いつまで過去の自分と比較を続けるんですか?
ちょっと手厳しいですかね(*^。^*)
でもね、ホント失礼ながら、過去と比べても意味ないよ。僕の世代(というか僕)でも、
この10年の時給の落ち方はすさまじい
と感じているのだから(まともな賃金を出しているのなんて2社だけでは)、バブル世代の講師ならなおさら。「食っていけない」とかウソじゃんね、そんな人が「週刊プレイボーイ」なんか買うはずないじゃん(僕は雑誌を1冊も買わないし、自販機で飲み物を買うこともないし、菓子パンもめったに買わずサンドイッチを自作している)。ということで、感想文から逸脱してすみません。浅田次郎ほどの名手でも、人生相談はイマイチですね。
『傷だらけの店長』伊達雅彦を読了。
書店の店長が書店の暗い未来を嘆く実情系エッセイ。
感傷的になりすぎる文章はともかく、「そうだよなあ、未来ないよね書店は」と思った。
雇われ店長である。
明示されてはいないが、中堅の書店と思われる。本社からの厳しいノルマを達成しようとあがくが、近隣に大手書店ができたことで、自分の書店は閉店に追い込まれる。2000年を超えたころの話らしい。閉店が決まり、在庫の本が減っていく。残り1週間。
>閉店後、ひとり薄暗い店内を見て回る。
「クソだな」
心の中でつぶやく。
「本屋の体をなしていない。こんなの俺の店じゃない」
そして過去のデータを参照しながら、ここ数日間の売上動向を眺める。
揃えておきたい本を次々と返し、補充したい本を補充せず、私から見れば、現在は大事なものがあれもこれも欠本している店のはずなのに、なぜか売上は、店にぎっしりと本が詰まっていた頃と大して変わっていない。
「結局、俺の自己満足だった、ということなのだろうか?」
書店業界の人が好む表現に「本棚を作る」がある。
それぞれの書店員が自分の縄張りを持ち、好きな本を「本棚に差していく」という表現も彼らは好む。しかしこの状況だと新しい本は入荷できず、書店員としてはスカスカの本棚に過ぎないのに
売上は従来と変わらない
という悲劇だ。つらいだろうな、と想像できる。
僕も本好きであり書店が好きだとは断っておく。
著者が店長をしていたような、本棚が工夫された書店にも何度か行っている。「ああ凄い本棚だな、本の森みたいだ」と感心することも(ときに)ある。でも同時に、こういう実情本を読んでみると、または読んでみるまでもなく、
この手の本屋って、限界あるんじゃないか
とも感じる。そういう書店があれば嬉しいが、では現実的にそういう書店でよく本を買うかと言われれば、答えはNOに傾く。良いものではあるのだけど、商売としてはNGなのだ。そういう切なさをやや乱暴な筆致で描いた本だ。その後、著者は書店を退職し、別の仕事に就くか就こうとしているらしい。
え、どこが予備校講師と関係あるんだ、と思った人もいるかもしれない。
でも僕は、この3冊の中にある共通点を見つけた。残念ながら僕にとって好ましいものではないから書かないけれど、
いやあ参ったな、こういうことなのかもしれないな
と思うしかなかった。若いころに好きだった女の子がおばさんになっているのを見てガックリするみたいに。でも、時間の経過は平等に(たとえば僕にも)やってくる。そして、あなたのところにも。
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