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儀式の意味 |
1月3日 |
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午前3時に携帯メールが鳴る。
何事かと起きると、年賀状の返事。
俺は今日から仕事なんだっちゅーの!
世間は休みなのか。パイレーツも古いよね。もう高校生は知らない世代かもし
れぬ。
太陽が昇る前に通勤電車に乗る。
行きつけの喫茶店はまだ正月休みということで地下街のプロントで代用する。
パン2個とワッフル1個とコーヒーをテイクアウトで760円。パンはなかなか旨
いけど、ちょっと値段が高いね。
校舎には講師1番乗り。
電気をつけて暖房を入れて独りメシ。気分は悪からず。
今回の講習は出講確認の電話ナシ。
電話がなかったのは、この8年間で4回くらいか。特に規則性はないようで、
とつぜん電話が来ないことがあるのでややアセル。こっちも一応は大人なので忘
れたりはしないはずだが、代替授業の利かない時期なのでちょっと危険な感じも
する。
確認をしないならしないでケッコウ。
それならば一切やめるべきである。年度の途中で確認があったりなかったりと
いうのが一番迷惑だ。市進でも確認がある校舎と、ない校舎がある。やるならや
る、やらないならやらないで統一するのが本来の姿。個人的には儀式としてやる
ことくらいできるだろリーマンめ、と思わなくもないが、リーマンにはリーマン
の事情がある。
それを知っているからこそ、
どちらかに統一すればシステムとし
て機能する
と提言する。誰も聞いていないだろうが。
儀式とは、つまりシステムに過ぎない。
1・2限はαクラスの連続コマ。
まあまあの客入り。客なんて言っちゃいけんのかな。講座の時間割という事情
もあるので何とも言えないが、最後の講習でガラガラじゃあ恥ずかしいから良か
った。
短文演習を入れるために授業ペースを上げる。
トークを中心にすれば何てことはないが、そうするとノドが痛む。もうこの時
期は市進では(演習→解説授業とはいえ)板書なんてしないから、まあ城南生に
も許してもらおう。
お昼休み。
今年も弁当屋が休みなのでそごうでバイト君に買ってきてもらう。1300円の「
わらび弁当」。わらび?
和風懐石風。
エビしんじょうとかサトイモの煮付けとかキノコ炊き込みご飯、そういう感じ
。おせち料理みたいだ。それなりに旨いが、これもコストパフォーマンスは良く
ない。やっぱり、あたたかくないのが痛いよね。わらびは入っていなかった。
卒業生♂の来訪。
なんと2年前の浪人クラスにいた生徒様である。顔も名前もちゃんと覚えてい
た。訊けば、大学入学直後にも報告に来てくれて、そのときの日記にも記載があ
ったのが良かったという。そうか、人生のどこかですれ違った誰かが読んでいて
くれるんだ。こういうのはすごく嬉しい。小さいながらも確かな幸せ。
午後はβクラスの連続コマ。
こちらもマズマズの客入り。教室割の都合で大教室になっていたけど、ノーマ
ル教室(ノーマル:大=3:5くらい)の方がやりやすかったかも。広々とした
教室に閑散としているより、狭いくらいの教室でチョイ混みのほうが雰囲気は良
くなるものだ。
授業はちょっとネッタリとしてしまった。
予習の時点で「ポイントが少ないなあ」と思っていたのだが、実際に教壇に立
ってみるとそうでもないことがよくある。それを期待して立ってみたら実に予想
は外れず(笑)、何となく読み合わせ的な授業になってしまった。
教室の空気を読みながら進めるタイプだ。
悪く言えば空気に過敏で、気に入らない顔色をなさる生徒様が目に入りやすい
という欠点でもある。逆に言えば何も気にしないで自分の世界になだれこんでし
まえるときもある。今日はたまたま悪いほうに出ただけ。教室の物理的な空気が
乾いていて、声の伸びが悪かったことも原因か。
急ぎ帰宅して夕飯。
実家から持ち帰ったおせち料理も今日で終了。特に旨くはなくて、それでいて
1年に1回くらいは食べたくなって、だからと言って楽しみなわけでもなく、な
おかつ無かったら寂しいのがおせち料理かもしれない。
昔の人が「お正月くらいは手を抜こう」として考えた料理なのだろうが、その
くせ手間が非常にかかる料理でもある。
僕はまだ自分で作ったことはないが、いつか家庭を持ったときにオリジナルで
全てを作ってみたいと思う。それでいて家族に軽めの失望を暗示されて、小さく
落ち込むこともあるだろう。
それでも、儀式として存在し続ける価値はあるだろうと思う。
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