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首尾一貫から遠く離れて |
3月26日 |
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カーテンのすき間から光がもれる。
遮光カーテンは光を通さないけれど、すき間から光はもれる。光をみれば覚醒
するのが普通の人間。
だから6時半に起きる。快晴の天気予報だったけど、くもり。
Eメールは短くあるべきだ。
手紙は返事を書かなくても構わないけれど、Eメールは引用するのが技術的に
簡単なだけに、相手のメールに応じて返事を書かなければならないからだ。する
と、あんまり長いものを書くと相手が困惑する。僕も長いメールを貰うと返事を
するのが遅くなる。長くなればなるほど文意や気持ちが伝わらず、やり取りする
相手とかえって疎遠になる(ような気がする)。
だからメールの返事を7時半から30分かけて書く。2通。ちょっと時間をかけ
過ぎた。思うようにはいかない。
モノゴトには、やり終えるのに適切なタイミングがある。
明後日の夕飯の準備を昨日から始めるのは大変だ。食材が腐ってしまうかもし
れない。かといって、明日の夕飯をあさっての朝に作り始めても意味がない。空
腹が満たされないからだ。
だから8時から春期講習の準備の仕上げに入る。2時間かけて100%完了。こ
れで授業直前にざっと見直すだけでいい。開幕まであと2日。
食事には自分のペースがある。
僕の場合は起床直後にたくさん食べられない。夕食が1日のメインだというこ
ともあるし、1回の食事で満腹になるのが嫌いなのだ。
だから7時前にうどん、10時過ぎにご飯と納豆を食べる。後者を早めの昼食と
いう人もいれば、2回目の朝食という人もいる。やっと晴れてきた。
本は自分の好みで読むべきだ。
たとえ「愛読書は『ジョジョの奇妙な冒険』です」という人がいても非難して
はならない。「僕なら『純粋理性批判』です」という人を賞賛する必要がないの
と同じことだ。読書は、そこに書かれていることから自分の物語を作るためのも
のであって、その起点である書物が何であるかは、実は問題ではない。
だから遅い午前中は本を読んだ。
『先生はえらい』内田樹を読了。
哲学者が中高生に向けて書いた「学び」に関するエッセイ。タイトルからは想
像しにくい教育論でありコミュニケーション論でもある。
>みなさんの「先生」というものについての考え方そのものを根底から改めて頂
きたいというのが本書のねらいであります。
話し口調で、しかしこの著者らしく(以前に紹介したこの著者の著作はここの
日記)回り道の多い丁寧な説明が続く。
「先生はえらい」となぜ人は思えないのか。いい先生とはどういう先生なのか
。もちろん教え方が上手いといった次元の話ではない。思い切って最後の段落の
一部を引用する。
>え、ここまで読んだけれど、ウチダが何を言いたいのか、わからない?
「あなた、こんな本書いて、いったい何が言いたいんですか?」(後略)
この直後の1文が本書の見事な要約になっている。
僕がここでその内容をはしょって紹介することには意味がない。「いい先生は××ではない」と読めば、「じゃあ『いい先生は○○』って書いてあるんですよ
ね?」と感じることだろう。少しでもそう思った高校生はゼヒ読んでみてくださ
い。これはかなりの良書のはず。もちろん大人の読者様にとっても同じです。
若者でない人のケータイメールのやり取りは遅い。
1つの用事を決定するのに、若者は双方が3通程度を5分程度でやり取りすれ
ば済む。それだけ手が空いている時間が多いとも言えるし、決断力があるとも言
えるし、決定が浅はかだとも言えるし、進化が迅速だとも言える。しかし非若者
はそうではない。全てが逆なのだ。読者様は自分で全てを逆にした文章をココロ
の中で書いてください。
だから一昨日からの3往復のケータイメールで、今夜の飲み会が決まった。2
人でも「会」だ。
♪ いっぽんでーもニンジン、にほんでーも・・・
サンサンサンガリア、だっけ。忘れたっちゅーの。あれは「だっちゅーの」だ
っけ。懐かしいなあ。
ところで、こういう書き方は難しい。
いつもは「日常=具体(瑣末)→抽象=教訓(内省)」というスタンスで日記
をつけているのだけど、今日はここまで逆にしたのだ。こうすると、先に一般化
してから事実を例として紹介しなければならず、一般化できない(またはしても
意味がない)事実を記述できなくなるのだ。人は、たとえば僕は、生活のほとん
どを具体のレベルでしかおくっていないということになる。普通か。
いつもの記述順番に戻そう。
夕飯まで腹が持ちそうにないので2時過ぎにオヤツ。
サッポロ一番のカップ麺「焼ラーメン」。包装には「博多で今話題(流行?)
の焼ラーメン」のようなことが書いてある。そうなのかな。流行に疎いことでは
人後に落ちない(じんごにおちない=簡単には負けない)僕なのでそういうこと
もあるのか。
感想は「なんじゃこりゃ」。
旨いマズイの前に、こんな食いもんアリなのかという感じ。カップ焼きそばの
麺にラーメンスープの原液がかかっているようなもの。とても体に良さそうだ。
きっと毎日食べると痩せるだろう。
ほぼ1ヶ月ぶりのプールへ。
外耳炎が治ったかどうか確信はない。できるだけ水中に入らないように泳ぐ。
しかしブランクがたたっているのか、右肩と右股関節が痛くてどうにもならず。
左耳を気にしながら泳ぐのもつらく、粘りにねばって450メートルでギブアップ
。平常時は平均700を何も問題なく泳ぐだけに屈辱ではあるが、体調の問題なら
仕方がない。北京五輪を目指さなくて良かった。
友人と松戸市某所の焼肉店へ。
大学のクラスメートである彼と会うのは2年ぶり。年賀状のやり取りすらして
いないので、こういうときはケータイメールが役に立つ。サラリーマンの彼は年
度内に有給休暇を使い切る必要があり、ほぼ10連休とか。
いろいろとサラリーマン的なグチを拝聴する。
その内容は僕のようなフリーター的な雇用者でも同じようなものでウンザリす
る。不満のない職場なんかありえないっつの。上司や同僚が無能に見えない職場
もあるわけないから、勘違いするなっての。もちろんそんなことは言わない。
しかし考えるに、そういう不満を職場で発散できないのがサラリーマンなのだ
ろう。
生きている限り不満があって、それは解消されるはずもない。そんなのは職場
も人生も嫁取りも同じだ。それでいてグチのはけ口が限定されるのが辛いとこな
んだろう。ふーんそうなんだと聞き役に回る。話し役は教壇で慣れているから、
これはこれでバランスかも。僕のように来年の無職におびえるか、彼のように例
年の不満に苦しむか、どっちも厳しい心境ではある。
帰宅の電車が長い。
やや泥酔して日記を書くのも大変だ。文章を反転させる気力は萎えて、締まり
もなく日記は終わる。そして日常は続く。
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