予備校講師でわるかったな!





各ページのご案内はコチラ 

proflile 自己紹介

diary 日記

essay エッセイ

bbs 掲示板
  

Copyright (c) 2004 
takeshi nobuhara All Rights Reserved. 

首尾一貫から遠く離れて 3月26日
  カーテンのすき間から光がもれる。
  遮光カーテンは光を通さないけれど、すき間から光はもれる。光をみれば覚醒 するのが普通の人間。
  だから6時半に起きる。快晴の天気予報だったけど、くもり。


  Eメールは短くあるべきだ。
  手紙は返事を書かなくても構わないけれど、Eメールは引用するのが技術的に 簡単なだけに、相手のメールに応じて返事を書かなければならないからだ。する と、あんまり長いものを書くと相手が困惑する。僕も長いメールを貰うと返事を するのが遅くなる。長くなればなるほど文意や気持ちが伝わらず、やり取りする 相手とかえって疎遠になる(ような気がする)。
  だからメールの返事を7時半から30分かけて書く。2通。ちょっと時間をかけ 過ぎた。思うようにはいかない。

  モノゴトには、やり終えるのに適切なタイミングがある。
  明後日の夕飯の準備を昨日から始めるのは大変だ。食材が腐ってしまうかもし れない。かといって、明日の夕飯をあさっての朝に作り始めても意味がない。空 腹が満たされないからだ。
  だから8時から春期講習の準備の仕上げに入る。2時間かけて100%完了。こ れで授業直前にざっと見直すだけでいい。開幕まであと2日。

  食事には自分のペースがある。
  僕の場合は起床直後にたくさん食べられない。夕食が1日のメインだというこ ともあるし、1回の食事で満腹になるのが嫌いなのだ。
  だから7時前にうどん、10時過ぎにご飯と納豆を食べる。後者を早めの昼食と いう人もいれば、2回目の朝食という人もいる。やっと晴れてきた。


  本は自分の好みで読むべきだ。
  たとえ「愛読書は『ジョジョの奇妙な冒険』です」という人がいても非難して はならない。「僕なら『純粋理性批判』です」という人を賞賛する必要がないの と同じことだ。読書は、そこに書かれていることから自分の物語を作るためのも のであって、その起点である書物が何であるかは、実は問題ではない。
  だから遅い午前中は本を読んだ。

  『先生はえらい』内田樹を読了。
  哲学者が中高生に向けて書いた「学び」に関するエッセイ。タイトルからは想 像しにくい教育論でありコミュニケーション論でもある。

>みなさんの「先生」というものについての考え方そのものを根底から改めて頂 きたいというのが本書のねらいであります。

  話し口調で、しかしこの著者らしく(以前に紹介したこの著者の著作はここの 日記)回り道の多い丁寧な説明が続く。
  「先生はえらい」となぜ人は思えないのか。いい先生とはどういう先生なのか 。もちろん教え方が上手いといった次元の話ではない。思い切って最後の段落の 一部を引用する。

>え、ここまで読んだけれど、ウチダが何を言いたいのか、わからない?
   「あなた、こんな本書いて、いったい何が言いたいんですか?」(後略)

  この直後の1文が本書の見事な要約になっている。
  僕がここでその内容をはしょって紹介することには意味がない。「いい先生は××ではない」と読めば、「じゃあ『いい先生は○○』って書いてあるんですよ ね?」と感じることだろう。少しでもそう思った高校生はゼヒ読んでみてくださ い。これはかなりの良書のはず。もちろん大人の読者様にとっても同じです。


  若者でない人のケータイメールのやり取りは遅い。
  1つの用事を決定するのに、若者は双方が3通程度を5分程度でやり取りすれ ば済む。それだけ手が空いている時間が多いとも言えるし、決断力があるとも言 えるし、決定が浅はかだとも言えるし、進化が迅速だとも言える。しかし非若者 はそうではない。全てが逆なのだ。読者様は自分で全てを逆にした文章をココロ の中で書いてください。
  だから一昨日からの3往復のケータイメールで、今夜の飲み会が決まった。2 人でも「会」だ。

♪ いっぽんでーもニンジン、にほんでーも・・・

  サンサンサンガリア、だっけ。忘れたっちゅーの。あれは「だっちゅーの」だ っけ。懐かしいなあ。


  ところで、こういう書き方は難しい。
  いつもは「日常=具体(瑣末)→抽象=教訓(内省)」というスタンスで日記 をつけているのだけど、今日はここまで逆にしたのだ。こうすると、先に一般化 してから事実を例として紹介しなければならず、一般化できない(またはしても 意味がない)事実を記述できなくなるのだ。人は、たとえば僕は、生活のほとん どを具体のレベルでしかおくっていないということになる。普通か。


  いつもの記述順番に戻そう。

  夕飯まで腹が持ちそうにないので2時過ぎにオヤツ。
  サッポロ一番のカップ麺「焼ラーメン」。包装には「博多で今話題(流行?) の焼ラーメン」のようなことが書いてある。そうなのかな。流行に疎いことでは 人後に落ちない(じんごにおちない=簡単には負けない)僕なのでそういうこと もあるのか。

  感想は「なんじゃこりゃ」。
  旨いマズイの前に、こんな食いもんアリなのかという感じ。カップ焼きそばの 麺にラーメンスープの原液がかかっているようなもの。とても体に良さそうだ。 きっと毎日食べると痩せるだろう。

  ほぼ1ヶ月ぶりのプールへ。
  外耳炎が治ったかどうか確信はない。できるだけ水中に入らないように泳ぐ。 しかしブランクがたたっているのか、右肩と右股関節が痛くてどうにもならず。 左耳を気にしながら泳ぐのもつらく、粘りにねばって450メートルでギブアップ 。平常時は平均700を何も問題なく泳ぐだけに屈辱ではあるが、体調の問題なら 仕方がない。北京五輪を目指さなくて良かった。


  友人と松戸市某所の焼肉店へ。
  大学のクラスメートである彼と会うのは2年ぶり。年賀状のやり取りすらして いないので、こういうときはケータイメールが役に立つ。サラリーマンの彼は年 度内に有給休暇を使い切る必要があり、ほぼ10連休とか。

  いろいろとサラリーマン的なグチを拝聴する。
  その内容は僕のようなフリーター的な雇用者でも同じようなものでウンザリす る。不満のない職場なんかありえないっつの。上司や同僚が無能に見えない職場 もあるわけないから、勘違いするなっての。もちろんそんなことは言わない。

  しかし考えるに、そういう不満を職場で発散できないのがサラリーマンなのだ ろう。
  生きている限り不満があって、それは解消されるはずもない。そんなのは職場 も人生も嫁取りも同じだ。それでいてグチのはけ口が限定されるのが辛いとこな んだろう。ふーんそうなんだと聞き役に回る。話し役は教壇で慣れているから、 これはこれでバランスかも。僕のように来年の無職におびえるか、彼のように例 年の不満に苦しむか、どっちも厳しい心境ではある。


  帰宅の電車が長い。
  やや泥酔して日記を書くのも大変だ。文章を反転させる気力は萎えて、締まり もなく日記は終わる。そして日常は続く。

diary 日記  
これまでの日記はコチラ