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君のそばで会おう 6月15日
  今日も7時半起床。
  絵に描いたような曇り空。デコレーションケーキ(英語では fancy cake )にグ レーの生クリームを塗りたくったような。もう少しまともな比喩はないのか。


  朝から新居の確認会へ。
  先日の「内覧会」(ヒマここ)で指摘した修理箇所がちゃんと直っているかど うかをチェックするもの。時間も電車代もバカにならんなあ。

  修理箇所は26箇所だったはず。
  そのうち1箇所が同じだったのでダメ出し(実際の発話:すいませんここんと こちょっともう少しナントカしてもらえませんでしょうか?)。壁と床の接地面 あたりに、巨大なナメクジが這ったような跡があるのだ。よくよく見てみると全 部屋のその部分が同じ状態。訊けば床のワックスがけでついたものだろう、直し ますとのこと。

  他に2箇所ほど新しい傷を発見。
  これは簡単に直りそう。意外と言えば失礼かもしれないが、言うだけ言えば直 せるものらしい。フローリングの傷などはかなり綺麗になっていた。たまたまこ の建設屋さんがちゃんと仕事をしてくれているのか、普遍的なことなのかはわか らない。

  ネットで調べると「ちゃんと直してくれない」という批判のほうが圧倒的に多 い。
  日本のネットは匿名が基本という事実もあるだろうが、また同時に顔が見えな いと思えばネガティブな発言が多くなるという証拠かもしれない。あるいは、直 してくれるのが普通で、そうでないときに不満が続出するのが世の中というもの 、なのかもしれない。そのあたりのことを1つずつ考えながら情報を探さないと 、ネットはただの悪意の道具にしかならない。


  話がそれた。
  もう1度確認する必要が出たが、これで本当に購入は決定。来週の頭に代金を 振り込んで、生まれて初めての借金ライフをエンジョイするチョイわる系ナイス ミドルデビューを果たすことになるわけだ。しかし、これが仮にも英語の先生が 書く文章なのか・・・。

  泡を食って帰宅。
  クリーニング屋でピックアップ、ワイン購入など雑用を済ませつつ。少し早め の昼食は今日もタンメン。モヤシが腐るんだよチクショウ。どういうわけか晴れ てきた。あわてて布団干し。これはラッキーですねえ。ここで一句。

タンメンや
梅雨の晴れ間に
布団干し

  すばらしい。
  この句で時代に名前を残しただろう。まさかと思うなかれ。あのゴッホですら 、絵が認められたのは本人が死んでからのことなのだ。また読者が減ったな・・ ・。


  午後は細かい雑用。
  新居関係の書類書きがいまだに終わらない。放置しているのではなくて、入居 への段階が進むと同時にぞくぞくと送られてくるのだ。いくら何でもひどいんじ ゃないかとよく読むと、「これこれの書類は入居が完了したときに・・・」なん ていう文字まで出てくる。自分の名前を何回書いたことか。このことを日記に書 くのもイヤになってきたが、書かないと日記にならないし。


  名前を書くのは、大人になること。
  正確に言うと、名前を書いたぶんだけ人は年をとる。自分の名前が書けるよう になったのは、ひらがなで良ければ小学生になる前くらいだろう。自分の持ち物 全てに名前を書かされて苦痛な思いをしたという記憶のある人もいるだろう。

  学生の間はどうだろうか?
  高校生なら、提出物やなんと言ってもテストで名前を書くことが多いだろう。 大学生なら大学やサークルに提出するもので名前を書く。ところが、このくらい の年齢だと自分の持ち物に名前を書かない。書けとも言われないが、書く必要も なくなるからだ。自分のケータイに名前が書いてある人は少ないはず。

  そして社会に出ると、常に名前を書く。
  僕はまあヤクザな職種なのでそれほど名前を書かされないけれど、普通の仕事 はいつも書類を作り、そこに署名を残すことが求められる。署名があることで責 任が発生し、物事と自分の関連性が明示されるのだ。名前があるからではなくて 、名前を書いたから世界と自分はつながりを持つ。それが認知される。

  この話題に特別な結論はない。
  あるいはひょっとして、大学時代の「法学」みたいな授業でそういうことを習 ったのを思いだしたのかもしれない。名前を持つことがアイデンティティーの基 礎で、名前を書くことが社会的動物になることなんじゃないか。そう思いながら 書類に文字を埋めていただけ。大人になるとか、年をとるとか、そういうことは たったこれだけのことなんじゃないかと思っていただけ。
  その他の雑用記述は省略。


  校舎へ。
  今日からアンケート期間に入ったが、例によって特別な感慨はない。どうでも いいというわけではないけれど、もっと気になることがあるからだ。定例休み明 けのせいなのか、「千葉県民の日」であったせいなのか、授業のノリは今ひとつ のような気がした。出席率は先週と全く同じだったのでヘンな感じ。こういう違 和感はときどきあることだし、あまり気にしないようにしている。
  A型の血は、ときどき必要をはるかに超えて「気にしい」であることを求める から。

  帰宅して夕飯。
  昨日のあなごは予告どおり甘辛煮にする。スーパーのウナギのように濃すぎる 味にしたくないけど、何しろ初体験なので目分量で勝負。あなご1匹に対して、

・しょう油大さじ1
・砂糖小さじ1
・みりん小さじ1
・酒大さじ1
・水大さじ2

といったところ。
  テフロンのフライパンで軽く含め煮、というイメージ。それなりの味。もう少 し薄味にしてもいいかも。

  もう1つのメインは「鶏手羽元のしょう油・昆布煮」。
  いつだったかスペアリブ(手羽中)で作ったことがあった。手羽元が安売りさ れていたので、「それならこっちでチャレンジ」という事情。なかなか旨い。昆 布でダシが出るので味付けは薄くていい。スペアリブより食べごたえがあるので 、小さなお子様がいる家庭なら「大人・子ども兼用」料理として出せるだろう。


  さてここで日記を終わりにしようとTVをつける。
  あんまりオチのない日記だったなあと思いながら。今はちょうど日付が変わっ たところ。将棋の名人戦第6局の二日目の結果を観るのだ。ここで勝てば森内名 人が第十八世名人の称号を得ることになる大事な一局。ところが僕はアレコレ で忙しくてほとんどチェックできなかったのだ。TVの第一声。

「どんでん返しが起きました・・・」

  なんだと思ってみれば、大逆転で挑戦者の郷田九段の勝ち。
  棋譜解説を見ると、たしかにありえないレベルの大逆転。もちろん時間制限の あるゲームなので大逆転はよくあるが、タイトル戦では非常に珍しい。さすがに 森内も「ついに第十八世名人になれる」と気負ったのかもしれない。これで7番 勝負は3勝3敗、1番勝負となった。面白くなってきた。

  ところで、マニアにしか通じないネタで申し訳ないが、たまたま今日の解説担当だった島八段の解説は抜群である。
  シロウトさんの考えそうなところを突き、クロウトしか知らないこともチラリ見せる。分かりやすさは当然として、バランスのとり方や緩急のつけ方など、棋界最高峰だろう。アイマイな物言いをできるだけ排除し、かといって極端な断言をせず、常に対局者を讃え、語彙が豊富。予備校講師としても見習うべきトーク術である。トークというより、進行技術が高いのかも。


  で、ここで日記を終わらせるつもりだった。
  TVを消してメールチェック。名人戦の結果をリークするメールを見たくなか ったので、日記をアップしてからチェックするつもりだった。珍しく3通も来て いる。そのうち1通は「お悔やみ申し上げます」という件名。なんですかそれは 、オレ生きてるっす(ズレ過ぎだろ)。


宮崎あおい、電撃入籍!


  そうかと思ってネットで確認。
  7年越しの恋愛の末に、4歳年上の彼と結婚ということ。そうか、良かった。 おめでとう。死ぬほど悔しいけれど、強がって祝福しておくよ。記憶だけの引用 で失礼。銀色夏生の詩集『君のそばで会おう』から。同名の詩の最後の4行。


いろんなところに行ってきて
いろんな夢を見ておいで

そして最後に
君のそばで会おう


  ぼくはこの詩がとても好きだ。
  「君に会おう」ではなくて、「君のそばで」というところがいい。いろいろな 解釈がある。君のそばで誰か別の人に会うこと、君のそばでもう一人の君に会う こと、君のそばまで行って君に会わないこと。それぞれの人に、それぞれの物語 がある。それぞれを選ぶ権利がぼくにあって、君にもある。

  君が結婚?
  それが、ぼくの君への想いにとって、何か意味があるのか?


  こういう愛し方を、もう少し身近なところで出来ればいいんだけどなあ。
  さすがにあおいさんでは遠すぎるよな、ちくしょうおめでとう、でも愛してるよ!(>_<)

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