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護岸工事 10月17日


  7時半起床、うす曇。
  いつもより早起き。昨晩は体調ではなく気分が冴えなかったら、お酒をあまり 呑まなかったためだろう。世間にはヤケ酒という言葉がある。しかし僕の辞書に は載っていない(表現がチンプだな)。お酒は気分を増やすために呑むもので、 気分を変えるために呑むものではない。だから機嫌が良いと呑みすぎる。今日は どうなるだろう。

  新聞をエントランスまで取りに行く。
  7時半過ぎというのは小学生の登校時間のようで、エレベーターの中で2人の 坊やに会う。ちゃんと「おはようございます」と挨拶すると、どちらにも見事に 無視される。僕はアイサツに関しては年下でも目下でも敬語を使うようにしてい る。敬語が必要ないのは、よほどの仲良しに限られるし、そういう仲良しの間に はアイサツすらいらないだろう。

  アイサツくらいしろよクソガキ。
  今の風潮で、知らない人と接点を持たないようにと教育されているんだろう。 こうしてコミュニケーション能力過小の人間が増えていくと思うが、まあ人様の 勝手なのかも。確かに「知らない人=危険をもたらしうる人」という公式が成立 しないとも言えないし。


  質問に来る生徒様が、ちゃんと会話しないことがある。
  よくあるのではなく、たまにある。質問への回答に納得がいかなかったのかも しれないが、何も言わずに去るのである。そのやり取りの質は別として、質問す るなら

「質問があるけどいいすか」
「いいよ、何?」
(中略)
「ってことで、頑張ってください」
「(納得いかねーなぁ)ありがとうございました」

くらいに流れるのが会話というものではないか。

  形式としてのアイサツがあることで、人は精神の一区切りをつけるものである 。
  そのあとで「あれ、今の説明はヘンだったかな」とか「わかりにくかったかな 」と考える余裕も出てくる。ところが何も言わずに即去りされると、

「なんなんだよ、失礼な」

というネガティブな発想しかできなくなる。アイサツというのは、人間関係を近 くする手段である一方で、とりあえず離れてから先ほどの人間関係を振り返るキ ッカケを作るアイテムである。


  朝は予習。
  将棋の竜王戦のTV中継は9時半から。9時から9時半は囲碁の名人戦の中継 らしく、時間を分け合った格好。いつもは9時から10時までが将棋か囲碁の時間 枠とされているようだ。

  僕は囲碁ができない。
  ルールも知らない。「ツグ」とか「中押し」とか、そういう専門用語だけ知っ ている。「ノゾき」とか「ツケコシ」なんていう言葉もある。囲碁が好きな人は 「将棋なんて」と言うし、将棋が好きな人は「囲碁なんか」と言うことが多い。 どっちも好きではない人は「囲碁将棋、じじい?」とか言うし。おだやかに棲み 分けていきたいものだ。

  早い時間にスーパーへ。
  旨そうな「ひじきご飯弁当」を購入して帰宅。珍しく味噌汁を作る。3ヶ月に 1階くらいかも。味噌の賞味期限は1ヶ月前に切れていて、油揚げ2枚は明日ま でだ。ネギの青い部分が余っているから味噌汁、実に健全な行動だ。うまうまと 食べる。


  手話教室へ。
  相変わらず僕の学習進度は遅れている。前回書いたように(ヒマここ)指文字 の読み取りができないので、ちょっと練習してもらう。僕が自分でやるぶんには 何とかできるのだが(たとえば「カエル」を3つの指文字で表すなど)、相手が やっている手話を見て言葉に頭の中で置き換えるのが非常に難しい。

  受験の英語でたとえれば、

1、failure を見て「失敗」とすぐに認識できるけれど、
2、「失敗」と言われてもすぐに failure と頭に浮かんでこない、

というあたりか。
  受験勉強なら、「 failure と頭に浮かんでこない」くらいは初心者として普通の ことではある。しかし手話はあくまで「会話」だから相手の手話が読み取れてこ そ意味があるわけで、粘り強くやるしかない。

  慣れの問題は別として、どうして読み取りを僕が苦手にしているのかを考えて いる。
  手話単語(つまり手の動作だ)がある意味を示して、僕はその意味を言葉で置 き換えようとしている。外国語の勉強の場合と同じで、その外国語そのものをそ のまま(嫌いな言葉だがネイティブのように)理解できれば理想形だ。でもその 段階を迎えるには、かなり時間がかかりそう。今のペースでは3年以上は軽くか かるだろう。だから今は、手話を一度言葉に置き換えて理解するくらいでいいと 思っている。

  すると、見た手話の「意味」から頭の中の「言葉」に置き換えるときに時間が かかる。
  ああそうだ、その手話はああいう意味なんだと思う瞬間の川岸と、言葉に直す 川岸が遠く離れている。両岸を渡す橋が完成していない。まわりの他の受講者は この橋がかかっているか、そこまで行かなくても川幅が狭いように見える。T先 生と僕以外は女性である。つまり男性の生徒は僕だけ。

  前にも書いたかもしれないが、手話の世界は女性中心社会なんだそうだ。
  今日まで何人かの体験受講生がいたけれど、みんな女性。すくなくとも、今の 僕の住む手話社会で、手話ができない男性は僕だけということになる。

  こうなってくるともちろん、僕が男性であることが手話習得の障害になってい るのでは、と疑いたくなる。
  女性のほうが、空間把握と言語把握の距離が近いのでは。脳の働き方なり構造 なりが違うだろうということだ。こういうことをチクチク考えるのもいかにも「 男性的な」脳の使い方という気もする。考えても上手くなるわけでもないし。あ あ本当につらい。これから数ヶ月の手話教室は僕にとって厳しいものになりそう だ。


  処々記述を省略して校舎へ。
  テキストはマイナー文法である形容詞や名詞などに入った。頻度という面から すれば、低い。かなり低い。

  先週の「代名詞」までで、出題頻度が高くて理解も難しい項目は全て終わった 。
  あとは冠詞とか副詞とか、いわゆる周辺項目を扱うばかりで、授業をする僕の 方はラクになってくる。先の授業をそれほど意識せずに進めることができるから だ。逆に言えば、これからはどういう感じで受験までの3ヶ月半を詰めていくか (いかせるか)を考えることになる。

  とはいっても、実際に教壇に立つと悩むことしきり。
  叙述用法だ限定用法だと、あるいは生徒様が初耳のことを僕が一方的に話して いるだけかもしれず、生徒様の顔色をいつも以上に見ながら進めることになる。 あまりマニアに走ると上記のように出題頻度という意味でロスになるし、かと言 って入試直前で

「あの、叙述用法って何スカ?」

なんていう質問が来ても困る。

  特にQクラスの場合は上位大学での正誤問題という側面もあるので、具体例を 薄くするわけにもいかない。
  それでいて具体例に触れながら抽象化していって、生徒様が自分で赤本を解く ときの助けになるようにしなければならない。具体的でありつつ抽象的な授業と いうのはパラドックスのステキな例だ。まあ、CとLクラスではテキストの出題 内容だけに絞れば充分かな、と思うのは例年と同じかも。


  帰宅して即座に竜王戦の結果をネットでチェックする。
  渡辺竜王の勝ち。先手の佐藤は積極的に動き過ぎて自滅したかも。森下システ ムから歩を渡さない将棋へ。右銀の活用を見せたまでは良かったものの、矢倉の 先手が9六歩を突いて後手の攻めを催促するのはちょっと無理があったかも。専 門用語がゼンゼンわからないですよね、すいません。ワザとだけど・・・(^。^)

  夕食は地味に。
  シメサバとアジ刺と湯豆腐など。日本酒は1合半呑んだから、それなりに充実 した一日だったのかも。酔うと思考のスピードは上がるけれど、それを表現する のが難しくなる。それでも、考えることは捨てられない。川幅は広がっていくけ れど。
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