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確認は不在の不安から |
12月23日 |
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9時18分起床。
いやに時間が正確なのは夢のせいだった。
・気がつけば11時57分、おいおい関東の天気予報が始まるじゃないか。いやちょ
っと待て、それ以前に授業は1時50分からじゃん。いま起きて間に合うのかよ俺
!
寝室にハエがぶんぶん飛んでいる。
いつのまに入ったのかしら。窓を開けて追い出して朝食。トロロをおろしてト
ロロソバ。おやつだハンパな昼食だと外食が多いため。ソバは茹でたあとに洗わ
なければいけないのが面倒。
結果的にやや早起きだったので、時間には余裕あり。
日曜なのか。コーヒーを淹れてTVで将棋観戦しつつ、本を読む。ここのとこ
ろ、朝は整骨院が続いていたから、少しでもゆっくりできるのはありがたい。郷
田九段と藤井九段の力戦(りきせん)を堪能してから出勤。疲れてはいないけど
、いいかげん毎日授業で飽きてきたよ。さっさとこの期間が過ぎて、お正月が来
て、嫁も来ないかなあ。それじゃあ昨日の日記と同じだよ(^^ゞ
出勤途中はクリスマスモード。
はじまったよ。今年は明日のイブが振替休日になったこともあるせいか、街全
体が浮ついている。楽しそうによ。けっ。ファミリーだの夫婦だのカップルだの
が
「自分たちは幸せなんです!」
と宣言するイベント。その3つに該当しなかった人を、のけ者・人でなしとして
社会から精神的に抹殺するファッショ。おめでてーな。いつになく僻んでるな俺
。
ま、とりあえず市川校で授業。
今日も全員出席。いいことです。やっと生徒様のレベルがつかめてきたような
気がする。あくまで一般論だが、ハイレベルのクラスの生徒様は聞いていないよ
うで聞いていることが多いようだ。ノートやメモを取る判断も自分でしているし
、わかりきったところは聞き流している。たぶん。
校舎スタッフからの要請。
来年の受験学年のレベルを見るために、明日の授業分を添削課題にして提出させ
ろ、とのこと。面倒くせぇなぁw。明日の最終回は国立C大学の長文で、記述ば
かり8問で、全て説明問題。和訳すらナシ。今の段階でスラスラと回答できるよ
うなものではない。どのくらいの能力があるものか、それはそれで楽しみ(しか
し面倒)。
校舎移動。
「ぼくたちは幸せだから、そこの下流系校舎移動予備校講師は目に付かないとこ
ろにいなさい。なんてったってぼくたちは幸せを確認しているんだから、あなた
の存在のような穢れたものは目にしたくないのです、しっしっ」
という視線に囲まれて。本当に腹立つな。本当にしつこいとも思うがのう・・・
。
検見川浜校で授業。
国公立英語は市川と検見川浜で担当している、いわゆる再放送の講座だ。いろ
いろと比較しながら授業をしている。こういう下線部和訳。
>Sensible of 〜 , he....
指名してみると、さくっと
「 being 省略の分詞構文です」
とのこと。なかなかやりますね(^^)
鍛えてきた甲斐があった。
検見川浜では2年生を担当してきた。受動態を単純に be p.p. と考えていたり、
受動態の分詞構文は Being がかならず省略されるといった、あまり応用の利かない
考え方をしていると、こういう回答は用意できない。もちろんそれらは大切なこ
とであり(少なくとも間違ってはいない)、補語という考え方があれば大したこ
とでもない。
でも、教える立場からすると、生徒様がこういう考え方を脳みそからさっと取
り出せるようにするまでには、あまりにも長い時間と手間がかかるものだ。
そしてまた、こういう脳の働きをいつも(つまり受験の当日も)使える状態に
まで持っていかせるのが、死ぬほど難しい。一つの状況で使えたルールが、別の
例に変わっただけで、ルールを応用できなくなる。これが学習という行為の難し
さの大きな1つだろう。僕が手話を学び始めたことで、こういう
「むずかしいという感覚」
がつかめてきたかもしれない。
というわけで、日記と関係ないけど手話の話の続き(前回はヒマここ)。
手話表現=手話単語にだけ頼るのが1対1対応型の「日本語対応手話」、手話
表現に幅があるのが「日本手話」であった。極端なことを言えば、「日本語対応
手話」は100%暗記をする手話で、「日本手話」は使い手が独自に表現できる手話
ということになる。柔軟性があるかないかの違いと言える。
「日本語対応手話」は普通の言葉の世界なら、人造言語としての共通語にあた
るだろう。
共通ルールを覚えることで利便が増えるが、融通が利かないことが不便にもな
るということだ。
しかしだからと言って、「日本手話」が優れているということでもないし、「
日本手話」を使う人が何も覚えなくて良い、ということにはならない。
どうしても共通言語(表現)として必要とされるのは、名詞である。名詞だけ
はどちらの手話でも同じものを使うしかないそうだ。たとえば、「日本」を表す
には、体の前で本州のかたちを両手で描くかんじ。「アメリカ」は手のひらを相
手に向けて(右利きなら)左から右へと移動させつつ手を上下に振る。星条旗を
描くイメージなんだそうな。
帰宅の電車でも読書。
『売れないのは誰のせい?』山本直人を読了。
モノを売るためにどういう広告が効果的なのか、そうでないのかを語る本。
副題の「最新マーケティング入門」でわかるように、初心者向けに書かれたもの
だろう。類書の経験が少ないこともあり、ピンとこないような感じ。
著者によれば、広告の効き方には2種類あるという。
引用するのが面倒なので(忙しいんです)簡単に要約すると以下の通り。
1:情報受動型。広告に接したことで購入意欲が高まるもの。わりに安価で購入
失敗の経験がそれほど痛手にならないカテゴリー。
2:情報検索型。欲しいものがある消費者へ訴えて関心を持たせるもの。購入失
敗のリスクが高い商品が対象になる。
1は従来のTVやチラシ(という記述は本書にはなかったが)であり、2はネ
ットである。
1がもうダメで、これからは2だ、なんていう単純な議論ではない。消費者の
行動よりも心に注目して、個別具体に戦略を練る必要がある、というのが著者の
主張らしい。違ってたらすいません。何しろこの手の本って、今までほとんど読
んでこなかったので。
それでも本書を手に取ったのは、興味があったからだ。
卑近なところでは予備校の広告だ。予備校のイチ兵卒(ってか二等兵)に過ぎ
ない僕にできるのは講習の講座の宣伝くらい。景気の問題はさておき、以前なら
、つまり5年以上前なら、
「これこれという理由でこの講座を取りなさい」
と言えば良かった。それで話は通じた。宣伝が功を奏したのである。
しかし今はそうではない。
予備校全体の講座の
受講単位数は間違いなく落ちていると思う。講座を多く取ってくれないのだ。そ
れがただ単に予備校の求心力の低下とか不景気とかなら良いのだが(それなら問
題解決方法が絞れるからだ)、それ以外の力が働いているように感じている。
つまり、従来の宣伝方法が機能しなくなっている。
消費者が宣伝をどう捕らえるかが変化しているからだ。それがどう変化してい
るのか、まだ僕にはわからない。だから本書を読んでみたのだけど、スッキリし
た答えは出ない。もちろん本書の責任ではない。それほどに広告とは難しいもの
なのだ。
これ以上は感想文を書けない。
でも、「ああ、アレのことか」と気がついた読者様もいるだろう。ある意味で
心理学とかに近い本なのかな。経済学という面もあるだろう。そのあたりのアイ
マイな領域に興味のある人はちょっと立ち読みしていいんじゃないのかな。でも
正直、よくわからなかったです。
夕飯は昨日の残り物で。
冷蔵庫がカラッポになった。キャベツとゴボウと柚子と納豆しか残っていない
。明日は買出しに行かねばならないし、まさにクリスマスイブで大混雑している
だろう。ああやだやだ。幸せをイベントで確認するのって、本当に幸せ?
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