各ページのご案内はコチラ
Copyright (c) 2004
takeshi nobuhara All Rights Reserved.
|
|
|
200冊・うどん・亥年 |
12月31日 |
|
7時半起床。
朝食前に大掃除の仕上げ。来客があるので時間を見ながら。9時前に朝食を取
りに出る。目玉焼き定食。片目玉だったのが気に入らないが、鬼太郎のお父さん
のようなものか。不気味なたとえで失敬。
11時前に来客。
親友S君とその妻Y嬢と息子Z君。ちょうど去年の今日にも彼らを迎えている
(ヒマここ)。その当時は旧居で、今日は新居。ああ1年が本当に過ぎたのだと
感慨も深く。
Z君は少し成長したようだ。
ちゃんと文節のある言葉を操り、トイレも独りで行けるし、フォークを使って
食べられるし、ハサミやのりも使えるし、シールも貼ることができる。最後の2
つは一人遊び用の道具を持参していたため。
しかし、まだソバが食べられないという。
正確には食べさせたことがないとのこと。ソバはアレルギーが怖いから、最初
の1回は親としては緊張するのだろう。Z君は何の問題もなくすくすくと育って
いるようだ。具は鶏肉・白ネギ・シイタケ・油揚げ・水菜。薬味にベランダで作
った青ネギ。少しは感謝しろよな。
僕との会話。
僕「おじさんのこと覚えてる?」
Z 「おぼえてない」
僕「(即答かよ)ウソだぁ、京都で一緒に機関車みたじゃん」
Z 「・・・」
僕「(無視かよッ)ここに来るのは初めてなんだよ」
Z 「・・・」
僕「(マジギレ)おいこらお前、ソノ年で無視するなよ」
Z 「・・・」
僕「おじさんがうどんを作ってあげたよ」
Z 「・・・うどん」
僕「去年と変わらないじゃないかッ」
Z 「飲み物は?」
僕「(お、自分で質問した)水でいいだろ」
Z 「うん」
僕「ほら」
Z 「・・・(無視)」
僕「お前なあ、人としてどうなんだ」
Z 「(母親に)ふーふーして」
僕「自分でしろよッ!」
Z 「・・・(僕をチラ見)」
抱っこしてあげると、今年も泣かなかった。
Z君に会うのはもう8回目くらいで、3歳半。きっと彼も
、偽善という概念を理解し、形作りとしての笑いや社交辞令や根回しなども身に
つけたのだろう。たぶん。2時前にお帰りになる。
僕「Zくん、バイバイな」
Z 「・・・」
僕「バイバイは?」
Z 「ばいばい」
僕「ちゃんと覚えておくんだよ」
Z 「・・・」
僕「きみに会うの、もう8回目くらいなんだけど」
Z 「・・・」
僕「こら、何とか言え(-_-メ)」
Z 「・・・ばいばい」
昨晩読み終えた本の感想文書き。
『人はなぜ太るのか』岡田正彦を読了。
著者は医者。
副題の「肥満を科学する」でわかるように、肥満という事象の説明とその予防
について語られている。文句なしに良書。あとがきから。
>ダイエット本のたぐいが無数に出版されているが、その多くは、単に個人的な
経験を綴ったものにすきない。したがってそれらの本で紹介されるダイエット法
は、読んだ人にも有効とはかぎらず、それどころか、まったくナンセンスだった
り、ときには有害でさえある。
本書は、そのようなたぐいの話とは一線を画し、学術論文と同じくらい新しく
、間違いがなく、役に立つ情報を、わかりやすくまとめたつもりである。
非常にバランスの取れた内容だ。
この「あとがき」のように、最近は『いつまでもハゲだと思うなよ』(じゃな
かったかなw)のような本も流行している。もちろんこれらのダイエット本にも
長所があるとは思うが、普遍的なものと言えるかどうか、僕も疑わしく思ってい
る。しかし本書はきわめて科学的で、ムリのない、悪く言えば面白くない結論が
並んでいる。
もちろん僕も肥満を気にしている。
日記における体重やダイエットへの言及は数え切れない。僕なりに太らない、
太っても元に戻すというシステムを作っている。そのシステムを守るために、そ
して自分を勇気づけるために書いている。初期中年というのは、そういうことを
気にするべきだと考えている。
本書の要点は最後の章の最後の数ページにある。
著者には失礼ながら、立ち読みですませたい人はそこだけ読めばいいだろう。
そして、それで済ませる人は決して減量に成功することはないだろう。結果しか
求めない人は結果すら手に入れられない、という世の中のパターンを踏むと思う
。
最後に、本書で僕が嬉しく思ったことを2つ。
1つはアルコール摂取それ自体は肥満に関係ないこと。もう1つはダイエット
と運動はセットで減量効果を発揮するということ。前者は誤解していたし、後者
は実践してきた。あやしいダイエット本に誘惑されている肥満の人は読んでみて
ください。
これで、ついに達成した。
1年で200冊を読破!
よくもこれだけ下らない本を大量に読み継いだものだと思う。
200冊のうち10冊くらいは図書館で借りて、140冊くらいは新古書店で買って、
40冊くらいは普通の書店で買った。残りの10冊くらいは昔から持っていたものか
。数字は適当。買った180冊のうち、売り飛ばした・売り飛ばす予定のものは10冊
くらい。選別の目は少し肥えてきたかもしれない。
去年は194冊だったかな。
本当はそれよりも少なくしようとしたけれど。今年は最後の2週間くらいで猛烈に追い込んで、競馬で言うところの「ピッタリ差し切り」で記録更新だった。来年は100冊くらいで抑えたいところですかね。少しだけ仕事も増えるし、3日で1冊って理想的なペースに見えるし。
HPの年越し作業。
今まではサポーターに頼んでいたけれど、今年こその意気込みで自分でやって
みる(追記;過去日記を見たら、去年も自分でやっていたよw)。階層構造はわかっているつもりなので、面倒なだけの単純作業か。1時間
半くらいで完成かな。2005年12月の日記のリンクにミスがあって、今まで読めな
かったみたいだ。まあ昔の日記なんか普通は読まないからいいか、という問題で
はないな。すいません。
続いてエッセイのアップ作業も。
今年は合計で49本か。これは予定通り。ほぼ週1ってことです。去年までは「連休前だからダブルアップか」などと読者様の都合を考慮してきたけれど、今年は完全に無視しました。エッセイってそんなに読まない人が多いだろうし、このくらいでいいのかな、という気分。全体に文章を長くして30本くらいにするのが理想かな、これはまだわからない。
さらに元旦ぶんの日記の先書き。
というよりも上の2つの作業と同時進行で。作業だけやると能率が落ちるし、目にも悪い。更新の都合で日記を先に必ず書くのは元旦と年度代わりの2月1日だけ。結果的にこれらの当日が「休載」ということになっている。2月はともかく、元旦は「今日は日記を書かなくていいからラクだな」と感じる。すでに1,200日くらい欠かさず書いているわけで慣れてはきたけれど、しんどいことはしんどい。それでも書くことはやめられない。
そう言えば、先のS君にこう言われました。
「のぶの日記ってさあ、デキの悪い生徒しか出てこないね」
実際がそうだということではありません。
デキの良さを説明するのって難しいし、難しい記述だと多くの読者が読めなくなっちゃうからね。辛さが1種類しかないカレー店と同じで、甘めに設定しないと嫌がられますから。
記述にも時間がかかる。
そもそも、英語(の話題)がネットに出てきたら読まない、という人のほうが普通じゃないかと思っているわけです。僕も人様のサイトを読んでいてサンスクリット語とか出てきたら読まないし(読めないし)。ネット上で文字を読むのは非常に負担がかかることだし、文字どころか内容を読み取るなんてのはとても面倒だし。
つまり、書き手からすれば書くのに苦労して読み飛ばされるから、非常に効率が悪い記述になってしまうわけです。
「語る」シリーズの上級編がいつまでも公開できないのはそういう理由も。読みやすいということは、とても大事なことなのです。
そんなこんなで今は夕方5時過ぎです。
今まさに書いているのです。酔ってからの更新アップ作業とチェックに難航が予想されるため、前倒ししておくってこと。先ほどもう1度部屋に掃除機をかけて、これから入浴→夕食です。大みそかはTVが楽しみですね。受験生の皆さんはそのヒマもなくて大変ですね。今年1年くらいは我慢しましょう。
え、TV観るんですかって?
もちろん観ませんよ。さっきのはイヤミです。TVを観るって、よっぽどヒマか内省のない人生を送っている人のやることでしょう。そういう僕も、天気予報とニュースと将棋だけは観るから、同じようなものなんでしょう。同じ穴の狢(むじな)です。「目×そ鼻く×を笑う」ってのもありますが、あの表現ってすごく下品だよね。まるでTVのようだ。
地味な夕食を終えた。
昼間のウドンに入れた残りの鶏肉で小さな鍋。昨日の続きでシマアジの刺身。明日は暴飲暴食が予想されるから、全体に軽めに。ああもうすぐ紅白歌合戦が始まるな、見逃せない・・・しつこいですね。
Y嬢に頂いたバラの花束がダイニングにある。
色はワインレッドとオレンジ。ダイニングとリビングは基本的に茶色・オレン
ジ系統のものが多く、ぴったりする。彼女が花瓶にアレンジをしていってくれた
。ありがとう。同じく頂き物のテリーヌをつまみにワイン。飲みながらこの日記
の仕上げ。
無事に亥年(いどし)は終わり。
新居騒動に明け暮れた1年。今日でちょうど半年です。全体にはそれなりに楽しい1年だったかな。皆様はいかがでしたか?
良いお年をお迎えください。
|
|