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意味不明を超えるもの 3月13日


  9時前起床。

・サイドカーではなく、前と後ろにシートがあるオートバイの後ろの座席に僕は 乗っていた。バイクは千尋の谷を駆け下りていく。はたして、バイクでこんな谷 を下りきることができるのだろうか?

という夢だった。この続きがどうなるかを知りたくて40分くらいベッドでうとう としていた。夢をみるのも趣味の1つだったりして。


  いつものような休日。
  以前は木曜日と言えば必殺独りデートの曜日だったけれど、新居に移ってから はそうではなくなった。特に何をするということもなく家にいることが多い。正 確には、家の周りを徘徊する生活をおくることが多い。お金もないし、家にいる のは楽しい。根暗だ。いいじゃないか、根暗。

  午前中はヒミツの花園。
  はっきりと暖かかったのはおとといだけで、昨日今日は普通の気温。マフラー はまだ欲しいかな、くらい。今日はよく晴れて布団も洗濯物もよく乾いた。「乾 かす」という行為も趣味の1つ。

  お昼前にプールへ。
  しぶく650メートル。クロールは「S字」で腕を回す練習を続けているけれど、 やはり今日も進歩しない。同じ「進歩しない」にも2種類あって、1つは「進歩 の兆しが見えるのに進歩しない」状態であり、もう1つは「進歩の兆しが見えな くてつらいだけ」の状態である。今は後者でもがいている。そこで、

気晴らしのために苦悩を言語化したい

と思うけれど、その元気もないくらい停滞している。そういうこともありますわ ね。


  垢を落とす話題。
  先日、これも誰かに聞いた。本当かどうか、考えてみてください。シモではあ りませんので食事中の人も大丈夫(なんだそれは?)。以下はその知らない誰か の発言。

・シャワーを浴びるだけだと、きちんと垢が落ちないんだよね。風呂につかって 洗って初めて、垢がちゃんと落ちる。代謝の問題らしいよ。運動してから体を洗 うのと同じ理屈なんだって。だから、シャワーを何回も浴びるより、ちゃんと湯 船に使ったほうがいいんだってさ。

  さあどうなんでしょう。
  理屈は正しいように思える。うら若い女性が(または若くない女性が)長く風 呂につかるというシーンを見ることがある。この場合の「見る」は本当に見るの ではなくて(見たいものだがw)、よく耳にするということ。ドラえもんのシズ カちゃんとかね。

  確かに、泳いだあとに体を洗うとよく落ちるような気がする。
  僕の場合は、プールに行けばサウナと風呂の両方を利用することが多い。今日 もそれぞれ5分ずつ堪能した。だからよく垢が落ちるのであって、運動との相乗 効果なのかもしれない。プールに行かない日は、夏場をのぞけば湯船につかって いる。だからまあ、一応は清潔なのだろうか。

  でも、夏場はシャワーを1日平均3.5回くらい浴びるけれど、湯船は使わない。
  するってぇと、一番汚い夏場の体が、実は一番汚いままなのだろうか。この話 を聞いてふりかえってみると、「シャワーしか浴びない」という人は、以下省略。


  いま、読まなきゃ良かったと思った人が8割、読んで良かったと思った人が2 割というところか。
  どっちにしても人の体の汚れは簡単には落ちない、つまり

人の体は非常に汚いもの

であるという事実は忘れないようにしたい。日記に戻ろう。


  新古書店に久しぶりに行ってきた。
  自転車で散歩をするついで。比較的目がよくあって、10冊買った。2,000円しな かった。最近は新しい本1に対して古本4くらいの購入比率。文庫・新書派の僕 としては、

最近の文庫・新書の質の低下

にウンザリしているから、ちょうどいいかもしれない。イチかバチかのベストセ ラー狙いのような本の作り方が多すぎると思う(特に新書がひどい)。700円も払 ってこれですか、という事態を避けるために新古書店を使うしかない。目先の利 益を狙うのに汲々として、安物売りに客を奪われるという悪循環。

  お昼ご飯にラーメンを作って食べた。
  今日のは美味しくなかった。生ラーメン業界も銘柄の入れ替わりが激しくて、 どれが美味しかったか記憶が続かない。ラーメンは自宅で週1回以上も食べるも のではないし。

  遅い午後はタラタラと読書とか。


  『この日本人に学びたい』松尾スズキを読了。
  益子直美、飯島愛、テリー伊藤、裕木奈江といった有名なのかそうじゃないの かよくわからない有名人を「××に学びたい」というタイトルに据えるエッセイ 集。
  しかし何をどう学びたいのか、だから何なのか、どこが面白いのかよくわから ないのが面白い。

  以前にも書いたように(ヒマここ)、松尾スズキの文章は意味がわからないの に面白い。
  理詰めで面白いのでもネタが面白いのでもなく、無意味な話で無意味に笑わせ るのが非常に面白い。わけわかんねえという反論も多くありそうだけど、飛びぬ けた才能を持った作家(本業は一応演出家)であるのは間違いない。

  「知念里奈に学びたい」から。
  著者はデビュー当時からの知念の危うさにやきもきしてきた。結婚前の安室奈 美恵の頼もしさには「ゴガボンギンババ」というバ行やガ行の音が似合っていた というのに、知念からはハ行やラ行しか聞こえてこない。



「ヘレヘンホラ」
例えば、あの、なんというか、非常に飲み込みにくい不思議なルックス。
  確かに、安室だってそうだった。ああなる前は只の顔の小さな怪獣だった。あ れほど彼女を信仰するコギャル達も最初は「あの沖縄の怪獣、何食うの? やっ ぱりにがい瓜みたいな奴?」と、よくトイレなどで話あっていたものだ。スピー ドを見ればわかるように何故か沖縄の少女はかわいければかわいいほど顔の造作 が怪獣方向に走りがちである。

(中略)

その(信原注:上原多香子のこと)ルックスが将来的にたどりつかんとしている 所は鈴木杏樹であり、私の中では鈴木杏樹=怪獣であって、その杏樹がたどりつ かんとしている所ははっきり言えばプテラノドン(翼龍)なのである。すなわち 、沖縄のかわいい子と言えば、・・・(中略)。だから逆に、知念は、沖縄怪獣 仲間ということでは特に問題があるわけではない。


  なんだかサッパリわかんねえ(-_-)
  それでも僕はこの人のエッセイ集を見ると必ず買っちゃうんだよね。なんだろ うね、こういうのって?


  今日も地味な夕飯を済ませた。
  毎日同じような生活をすると同じようなことしか考えられない。というのは嘘 だろう。考えてようとしていないだけだ。同じ生活をしていれば、その退屈から 抜け出すために考えるしかない。

  芸能人のブログなぞ見ると、よく「どこそこに行ってきて、これこれの感想を 持ちました」という趣旨のことが書いてある。
  芸能人だから、あちらこちらへ行く用事があるのだろう。うらやましいと思う 。でも、それが何だと言うのでしょう。違う場所に行けば、誰でも違うことを感 じたり考えたりするものではないでしょうか。

  それを必死に読む人々。
  自分が同じ場所にしかいられないという不満を解消するために、居場所がコロ コロと変わる芸能人の様子を知って、カタルシスを得る。違う場所で違う体験を することではなく、同じ場所で違う体験をすることが大切だ、ということを知ら ずに。自分の問題点は、

同じ場所にいて同じことしか考えていないこと

だと知ることもなしに。


  あ、芸能人批判でもないし、彼らを崇拝する人々を批判してるんじゃないです よ(^^)
  違う場所にいても同じ体験をすること、同じ場所にいても違う体験をすること 、それが大切なのでは、という自責の日記です。松尾スズキに、我々はどこまで 近づけるだろうか?
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