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望むことが必要条件 |
11月2日 |
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9時半起床。
・釧路発東京行き寝台列車は7時8分の発車だ。今は6時40分。間に合うだろう
か? おい、君はクルマを呼んでくれ。僕はこの皿を洗う。うん、きっと間に合
うさ。
という夢でした。
TVで将棋を観ながら午前中は授業準備。
今年のものではなく、来年度のプリントの準備だ。気が早いにもほどがあるか
な。ここから1ヶ月くらいは特にやるべきことがないので、今のうちにリニュー
アルを進めておこうという狙い。
今年まで通年授業で配布している、あの27枚組のプリントである。
毎年かならず部分改訂して使ってきたが、レベルを落とした基礎バージョンを
作ることにした。内容を減らして、文字数は増やす。ワープロ仕様からPC仕様
に変わるため、文字フォント数を落とせるためだ。
レベルを下げるという意味よりも、内容の深化という面のほうが強い。
この5年くらい、学力低下なんていう側面では語れない部分があることに気が
ついていて、レベルダウンとは異なる発想が必要だと思ってきた。それをできる
だけ反映させようという狙い。同時に、会員ページでも公開するようになる。こ
の1ヶ月で基礎工事を進めておきたい。
正午過ぎにスーパー。
カニチラシを昼食用に買ってくる。連休の中日ということで世間は混雑してい
た。人嫌いの傾向がどんどん強まってくる秋だ。
食後にエッセイ書き。
旅行記を書いていると、次々に調べないといけないことが出てくる。今の時代
はネットがあるから、
ペッペケペ
という感じで検索すればいいけれど、昔の人々はどうやって書いていたんだろう
。ものすごい量の資料を用意したり、もちろん足繁く(アシシゲク=しょっちゅ
う)図書館に通ったりしたのだろう。
たとえば、日光の戦場ヶ原。
あそこで戦ったのは誰と誰なんだろう。知らない。昔だったらその手の旅行本
とか、場合によってはそれ系の史書を探していたことだろう。図書館にあるかも
しれないし、自分の書架にあったかもしれない。大変な騒ぎだ。
こうなってくると、逆のことも言える。
ネットで調べられるようなことは、わざわざ書く意味が薄れてくるということ
だ。戦場ヶ原ってのは、むかし誰かが戦争したんだって、ふーん、という流れの
書きかたで済むことになる。
しかしそうなると、読んでいるほうの楽しみが薄れる。
究極的には、読者が楽しみのために読む文章に求めているのは、
1、知っていた・思っていたことが違う言葉で表現されている
2、知らなかった・知って良かったことが書いてあった
という2つの現場だろう。このバランスが取れると面白い文章になる。調べすぎ
て2に片寄るとウンチクがうるさく、1を主流にすると書き手に高いレベルの感
性が求められる。むずかしい。
遅い午後はヒミツの花園。
午前中こそ雲が出ていたけれど、お昼から晴れた。空気は乾いて洗濯物も乾い
たし、少しだけ布団も干せた。窓をあけておくと室内でもスースーするかな、と
いうくらいの気温。最高でせいぜい20℃くらいだろうか。夕方にかけて読書。
『名文を書かない文章講座』村田喜代子を読了。
芥川賞作家による文章読本。
類書にありがちな平凡な内容。
文章読本好きだという話は、前にも書いた(ヒマここ)。
本書はふつうの書店で新刊で発見して、購入に悩んだ。ぜったい面白くないん
だよな、ロクなことないんだよな、でも俺こういう本が好きなんだよな。つまん
ねーんだろうなあ。しかし、
いまここで買わないと今後に入手できる可能性は低い
という判断で買った。新古書店に落ちてくるのを待とうにも、そんなに売れるわ
けないからね。
で、感想だが、じつにつまらない。
まいっちゃうなあ。それでも文字ギッシリの文庫で300ページ以上あるから、
なんとか良いところをみつけるのも可能ではある(効率は悪すぎるが)。本書で
引用された本の1つが『高校生のための文章読本』。その引用文をここで引用す
る。こういうのも一種の「孫引き」なのかしら?
>良い文章とは、
1 自分にしか書けないことを
2 だれが読んでもわかるように書く
という二つの条件を満たしたものだ。
うーん、なるほど、これは確かな事実だ。
1がコンテンツ、2がフォームやスタイルの問題だ。1は自分の発掘で、2は
書斎のドアを開けて書くこと。そんなこたぁ誰でもわかっていて、問題はその実
践が難しいと悩んでいることなのだ。説教の種類としては、
努力はおおむね報われる
といったたぐいの、「そりゃそうだけど、じゃあどうすりゃいいのよ?」という
疑問に収束されるものだろうか。読んで損したとは全く思わないが、人に勧める
のはチトきつい本かな。
朝から腹具合が悪く、あまり良い1日ではなかったなと思いながら夕食を作る
。
こういうときこそ、ちゃんと作りたい。料理は創造であり、自分を発掘するこ
とだ。毎日きっちり積み上げていくべきもの。食べるのが自分ではなく、食べた
結果が自分である。こうしたことは、続けることが大事だ。
豚バラ肉とキャベツの煮込み。
こんなん作ったことない。レシピの下調べなんかするわけがない。酒・塩・砂
糖・しょう油で味付け。酒の臭みが出てイマイチのでき。アルコール分を飛ばし
てから煮るべきだったかも。
レンコンとゴボウのキンピラ。
ゴボウが5センチくらい余っていたから。相変わらずキンピラの正しい作り方
は知らないが、酒・砂糖・塩・しょう油・ミリンで味付け。この手の料理は適当
に作ってもそれなりの味になるもの。トウガラシを入れ忘れたけれど。
カブの甘酢漬け。
これはときどき作る。塩もみしたカブとその葉っぱを絞り、砂糖とお酢とトウ
ガラシを適当に混ぜて和える。よほどのことがない限り、ハズシはない料理であ
り、日持ちするから(4日くらい)常備菜になる。
食後は久しぶりの『篤姫』。
我が未来の嫁を鑑賞できるのも、残り5回くらいだろうか。ここ数回は再放送
で観ることが多かった。本放送のほうが「近い」と感じるのは錯覚だろう。早く
うちに嫁に来ればいいのにね、わかってないなぁ。
幕末問題、ややこしいな(@_@)
長州征伐とか薩長連合とか徳川慶喜とか小松帯刀とか。日本史で勉強したはず
なのに、「どうしてそうなるの?」という箇所が多くて大変だ。固有名詞が出て
くるたびに辞書を引く。辞書における歴史事項の説明はシンプルだから、それで
わかりやすくなるというか、逆にわかりにくくなるというか。
辞書を引きながらTVを観る
というのはかなり奇妙な行動かもしれない。
以前「2行で一言」に書いたように、坂本竜馬役の玉木宏が絶妙。
知らない役者だが、奴はすごい男だったんだなと伝わってくる演技。そうか、
>望めば、そうなる
と信じていたんだね。 |
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