予備校講師でわるかったな!





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代打たけし、振り逃げで出塁。 11月17日


  8時半起床。
  7時間ちょっとの睡眠で二日酔いレベル1。朝風呂に入ってスッキリするくら い。昨晩の僕の飲酒量は

・生ビール1
・日本酒(生酒)600ml

くらいだったので、たいした量ではない。やはり冷たい酒が堪えたのだと思う。


  サシ呑みの相手は古い友人であった。
  友人と呼ぶか知人と呼ぶか先輩と呼ぶかむずかしい。「よびわる」では予備校 関係者は全て「知人」扱いしているから、これは除外か。以前の職場の同僚であ り、彼が上司だったから「先輩」が適当なのかな。しかし付き合い的には、タメ 口をきくし遠慮もお酌もしないから「友人」と呼ぶべきなんだろう。

  もう18年の付き合いになる。
  僕には、友人はできるだけ少なくするというポリシーがある。そんなに簡単に 友人になりたくないし、長く付き合わなければ友人とも呼びたくない。直接のコ ンタクト回数が少なくても本当の友人とは絶対に離れないというポリシーもある 。じっさい、

彼に会ったのは4年ぶりくらい

だった。メールのやり取りが1年に2通あるかないか。それでも友人と言いきれ る。あまり好かれない考え方ではある。

  忘れていた話が多くて困った。

・「信原さんの実家で一緒に呑んだじゃん」
・「みんなで新潟までクルマで競馬を観にいったじゃん」

  はい、どっちも覚えていません(-_-;)
  また同時に、自分たちが今より若かったこともあって、あの出来事はああいう 事情だったのか、あのときはそんなことを考えてもいなかった、という話題が頻 出して楽しかった。18年もたてば、

付き合いや人生というのも「歴史」

になっていく。歴史とは事実ではなく、事実を後世にどう解釈するかということ でもある。またこういう機会を持ちたい。


  午前中は定例試験のプリント作り。
  もう1度読んで内容をチェックしてから、実際の授業で配布するプリントにな るようにレイアウト。文字数を削るのが非常に面倒。削らなかったバージョンは 例の通り。ついでに、どの問題をどのクラスで解説するか検討しておく。3年生 の生徒様は、

19日(水)〜22日(土)の授業で試験問題を持参するように

ここでもお願いしておく。

  昼食は住宅街にある居酒屋のランチ。
  家庭料理の店を謳っている小さな店。サバの味噌煮定食はわるからず。もう 少しショウガを利かせて、砂糖を減らせば良くなると思う。付け合せの小鉢も砂 糖過多だったから、店主のおじさんの好みなのかも。

砂糖を増やすと味が下品になるが、大衆ウケは良い

という鉄則があるのは確かだ。ご飯がきちんと炊けていたし、安いからたまには 使えそう。シャワーを浴びてから早くも出勤。


  代講という仕事。
  面倒だなという気持ちと、この3コマで昨日の負け分がピッタリ取り戻せるな という気持ちと、しかし千葉県以外の校舎は遠すぎるよという気持ちと、いつか は僕も誰かに迷惑をかけるかもという気持ちと、結局これってヤ×逃げだよなと いう気持ちと、全ては市進予備校のために! という気持ちが入り混じっている 。偽善の疑いを持つまえに、受験生は

「全部でいくつの気持ちだ?」

と考えよう。冗談だけど。

  代講は1年ぶり。
  事情や僕の思考はその時の日記に書いた(ヒマここ)。今日の場合は前日に依 頼があったので準備はラクだ。問題は通勤時間で、正直なところ電車の乗り換え 方法がわからない。授業が終わってから千葉まで帰れるのかという心配が先立つ 。たぶん帰ることができるのだろう。

  気持ちの持って行きかたが難しい。
  何しろ火曜日から仕事が再開するというつもりだったから、事前の設定をチャ ラにしなければいけない。本当はプリント作って、泳いで、銀玉打って6,000円 くらい稼いで、早い夜にビールっていう予定だったんだ。


  しかし千葉から遠い(@_@)
  ひょっとして、羽田から那覇に飛ぶほうが早いかもっていうくらい。ここ本当 に日本なんですかっていうくらい。雪は積もってなくて良かったっていうくらい 。今回も行き先の校舎については書かない。お休みの講師に迷惑がかかるといけ ないし。

  おおざっぱに言えば「西のほう」の校舎である。
  僕がこの校舎に行くのは初めてだ。出勤前にネットで真面目に通勤経路を調べ ておき、ちゃんと校舎の地図も持参した。そもそも、この街の存在は知っていた けれど、人生で初めて来る街でもある。

  「西のほう」という呼称について。
  市進の中では、千葉県にある校舎を「千葉のほう」、東京西部にある校舎を「 西のほう」、埼玉県にある校舎を「埼玉のほう」と呼ぶ。と書いてはみたが、こ れは僕が「千葉のほう」に属する講師なので、それぞれの地域でそれぞれの呼び 方があるかもしれない。でも、なんとなくだけど、

「千葉のほう」を「東のほう」とは言わない

ような気がする。都心には水道橋校のみがあり、これはそのまま「水道橋」と呼 ばれる。市進予備校カルチャー研究家と呼んでください。


  校舎の場所はわかりにくかった。
  街が大きいせいはあると思うけど、地図を持っていて迷うというのは少し考え ものかな。あまりニギヤカなところにあっても困るのが予備校で、あんまり過疎 っても困るのが予備校の立地である。

  受付に行って名乗る。
  ワタシは代講で来たもので、あおいの婿に内定している信原健志と申しますが、お邪魔してもよろしい でしょうかと質問したところ、

「あんた、誰ぇ?」

と言われた(-.-)
  ひどい。そこまでイジめなくてもいいじゃないか、いくら俺が落ち目だからっ て、そこまでしなくても。というのはほとんどウソで、ちゃんと代講の講師が来 ることは知っていたみたい。講師室の席は決まっていたし、校舎長の先生が来て アイサツもしてくれた。むかし市川校にいらしたカンフェリーの先生などもいら した。


  校舎の作りが面白かった。
  1階に講師室や受付があって、教室は2階以上にある。教室に行くためには、 建物の外階段を使う。なかなかの異空間だ。校舎には早めに着いて、独りで校舎 内を歩き回って見物してきた。

  喫煙所を探したが見つからず。
  やむをえず校舎長に質問すると「屋上です」とのこと。ビルの屋上です。まじ っすか。ちゃんとカギがかかっていて、生徒様が入れないようになっている。

屋上に上がってみると香港だった。

  照明なんてナイ。
  イスと机と灰皿はあった。屋根の続きみたいなのが少しあって、雨露(あめつ ゆ)はしのげる。壁のタイルが剥がれ落ちているのが見える。使われない場所で 、手入れはまったくされていない。まるで廃墟である。ホンコンしてるぅ、って 感じ。以上の記述で市進関係者は「ああ、あの校舎か」とわかるだろう。

  授業直前に本部のエライ人から電話。
  なんとまたまた代講依頼。どうなってんのいったい。それは木曜日に「埼玉の ほう」である。もちろんありがたく受諾したら、今度は同じく本部の某高級幹部 から電話。何かと思ったら、

「イヤイヤ、遠くからありがとうございますというお礼の電話です」

とのこと。恐縮の限り。いやまあ、別に、代講の担当って精神的にはともかく金 銭的にはありがたい仕事だからいいんですけどね。


  授業は順調だった。
  5・6限連続コマの授業なんて、出席率100%である。少人数ではあるが、去 年と違って5限後に逃亡した生徒様もいなかった。学力は不明だが態度は非常に 良い。「なんだよコイツ?」なんていう排他性はなく、みんな真剣に受講してい た。なんだか申し訳ないくらい良い子たちだった。

  しかし、これが今の市進の良くないところだろうか。
  従順で真面目であることが、必ずしも生徒増の要因ではない。たしかに講師に とって腹立たしいことはあっても、

「ざっけんじゃねー、このクソ講師が!」

という雰囲気のあるほうが、生徒様の数は増えるような気がする。バランスの問 題はあるし、一概に言えることでもないが、生徒様が多い時代はそういう気概の ようなものがあったかと思う。アットホームでフレンドリーというのは、究極的 に予備校を苦しめるだけではないかと、あくまで体験的に思う。だからと言って 僕に改善点の意見があるわけでもなく、その事実が僕を苦しめているという面も ある。


  泣きそうになるほどの長距離を帰宅。
  なんとか全航路にわたって座ってこれたけれど、職住接近の大切さを感じた。 職場が近くて、労働時間がそれなりに短くて、でも収入は少なくて、それでいて 生活保障はちゃんとしていて、自分の時間をそれぞれが持てる社会の実現を希望 する。豊かになったといわれるのに、

現実には日常生活に苦しむ人が多く、

それでいてGDPは下がっていくのが問題なんていう社会でいいのかという疑問 もある。低成長、マイナス成長でも楽しく暮らせる社会はないのだろうか。たか が1回コッキリの代講体験で再度自覚したことでした。

  簡単な夕食。
  来年度の授業依頼書も到着した。今日は長くなったので、その辺はまた明日。


追記:会員ページ「語る:初級編:その他」に記事を追加しました。
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