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「こまち」に乗って直線一気 2月21日
  田沢湖駅に舞い戻ったのは午前8時39分。
  宿からバス停まで送迎してもらったあと、バスを待つのは痺れた。人どころか クルマもほとんど通らない山の中で、しかも

積雪1メートルくらいのバス停

だったから。雪はこんこんと降り、山の中だから無音だった。もしバスが来なか ったら凍死したかもしれない。それでもバスは8分遅れでやってきて(人生でい ちばん長い8分だった)、こうして無事に駅に到着したところ。あ、今日は実況 中継ではありません。


  以下、テツ活動及び思考または嗜好の詳細を書いたが長くなりすぎたので後日 にエッセイで。
  結論から書けば、運よく田沢湖9時発の「こまち」を確保できた。昨日の夕方 までは取れなかったのに、キャンセルが出たようだ。ラッキィ。

  しかし「こまち」は20分遅れで到着。
  関東の人は信じられないだろうが、今日の秋田・青森は悪天候で鉄道ダイヤが メチャクチャ(羽越線と五能線と東北本線青森・八戸間は朝の時点で全面運休)になっていたのだ。この「こまち」の遅れは

大曲駅のポイント凍結

によるもの。ちょうど僕が田沢湖駅に着いた直後に入ってきたニュースだった。 これ以上書くとまたテツ話になって読者が嫌がるだろうから、以下はカンタンに (要するにテツ話な)


  遅れがなかなか取り戻せない。
  秋田新幹線はいわゆる「ミニ新幹線」であり、在来線(ふつうの路線)を走る 。標準軌と呼ばれる幅の広いレールを使ってはいるものの、しょせんは時に踏切りのあるような路線であり、路盤もフル規格の新幹線よりはるかに軟弱だから、飛ばすにも限界がある。もともと田沢湖付近は豪雪地帯でもあるからなおさらだ。

  また、「こまち」は盛岡で八戸からやってきた「はやて」に連結する新幹線だ 。
  「こまち」が遅れると、盛岡でペアとなる「はやて」は待たなければいけない 。つまり、秋田新幹線の遅れは東北新幹線という

大動脈のダイヤを乱す攪乱(かくらん)要因

の大きなものである。今の記述の意味がわからない・読み飛ばしたという非テツ は、「ここ」のエッセイにある本を即座に読むこと。


  盛岡着は18分遅れ。
  遅れを取り戻すべく「はやて・こまち」はスピードを上げたいが、盛岡南部も 雪でせいぜい平常と同じ程度のスピードしか出せないようだ。仙台着は16分遅れ。次の停車駅は大宮。福島を通過してしばらくはまだ雪模様。

  しかし、この「はやて」って、スゴイよね。
  八戸を発車して東京に着くまでの停車駅は(注:最速タイプ)、

盛岡・仙台・大宮・上野

の4つだけなのだ。盛岡・東京間が2時間半を切るんでっせ。新幹線建設は戦前 に「弾丸列車計画」と呼ばれていたそうで、なるほどこれは弾丸だなあと思うが 、これは日記と関係ないね(^^ゞ

  東京着は14分遅れ。
  はるかかなたの大曲駅でのアクシデントは、こうして東京まで続いていくこと になる。また面倒くさいのが、秋田新幹線の遅れが上越新幹線などの遅れを併発 する(東京→大宮間では同じレール上を走るため)ことだろう。いやいや、こん な巨大なシステムが、よくも40年以上死亡事故ゼロで維持できてるよね。テツは 偉大だ。我田引水。


  早い午後に帰宅できたので、旅の後始末。
  3日分の新聞を取り出し、3日分の洗濯をして、スーパーへ食材の買出し。明 日は来客があるので仕込みと料理の検討も。夕方にはコーヒーを淹れて、不在ぶ んの日記の整理。ここまでこの日記を書く。今朝方まで

雪の降る秋田県のバス停

にいたのがウソみたいだ。本当だけど。

  夕飯は素早く作れるのですき焼き。
  自宅のベッドで眠れるのも3晩ぶり。旅の最終日に時間のゆとりがあるのはあ りがたい。ふつうの旅は夜にクタクタになって帰宅するものだから。そしていつ もの考えに行き着く。

せっかく旅に出たのに、死ぬこともできないで帰ってきてしまった。

こういったことを考えさせる力が、旅にはあると思う。行けて良かった、帰って これてきっと良かった。まだ、死にたくない。
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