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時間の所有者 |
11月5日 |
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9時起床。
風邪の兆候は全くなし。これで晴れていれば気分も爽快だけど曇り。そんなも
んかと思いつつ新聞を読むと、
人類学者のレヴィ・ストロース死去
という記事にぶつかった。合掌。特別な思いいれがあるわけではないけれど、わ
りに最近のエッセイ(ヒマここ)で扱ったので書いておく。100歳まで生きると、
けっこう人生が長かったと思うものなのかな。僕もまだ若くて想像がつかない。
朝のうちに軽く読書。
授業準備の確認をしてから、読書感想文を書いた。
『男はそれを我慢できない』塩田丸男を読了。
ひとつお題を設けて、1編が文庫本で7ページくらいのまとまった
エッセイ。
昭和50年代に書かれた典型的エッセイばかりで、安心して気楽に読
める。
僕もまだ若いから、以下は感覚的に思うことだ。
昭和40年代は「随筆」だった。50年代に「エッセイ」または「エッ
セー」に変
化した。平成に入って文章がガタガタしたものが増えて、同時にエッセイ
ストと
いう職業も確立してきた。平成10年以降は素人でも書けるレベルのものが多くな
った。これが現在「エッセイ」と呼ばれる文章のジャンルの変化だ。
本書は典型的に昭和50年代のそれだ。
随筆にあった重さのようなものが消えて、軽妙洒脱になってくる。
とくべつな
芸のある文章ではないが、そのぶん気楽に読める。ありがたみは少ない。別につ
まらないわけでもないんだけど、という中途半端な感じ。
>私の故郷は山口県の西北端の寒村で、福岡から汽車で東京へ向うのだったら、
下関で山陰線に乗り換えれば二時間足らずで立ち回ることができる。それが、飛
行機では出来ない。ライターでは、マッチのように耳の穴をほじくったり妻楊枝
の代用をさせることは出来ない。文明の利器というやつは便利なようで、案外不
自由なものだ、などと思っている間もなく、故郷は遥か彼方に飛び去ってしまう
のである。
なんとなく「どっちなんだよ、何が言いたいんだよ?」と思ってしまう。とにか
く気楽には読めるんだけどね、そこで終わるだけとも言える。
プール。
今日もクロールのみで500メートル。距離がかせげないからウオーキングを300
メートル。体重は昨日と同じ。スーパーに買い物に行き、いつもと同じようなも
のをいつもと同じように悩みつつ買う。日常を維持するのがとてもつらく、同時
に楽しい。
人生とはそういうものか、
なんて考えてしまうのはヒマだからだろう。午後もずっと曇って洗濯物は乾かな
かった。
柏校へ。
通勤の電車で、僕の隣席にすわった高校生♂。iPod のイヤホンをあて、右手にケータイ、左手に任天堂の何とかというゲーム機。なんとマルチなヤツなんだと感心してしまった。そそくさと座席をゲットしたので、
高校生男子なんて、たつだけが得意技
と思っていた僕は不意を突かれた。
ゲーム機でやっているのは競馬ゲーム。
スーファミで言うと『ダービースタリオン』(懐かしいな)のようなものらしい。レース発走後にケータイにメールが来たらしく、返信。とうぜん僕は盗み見している。
>これから石井んちへ遊びに行くんで
これまた虚を突かれた。
石井って誰だよ、じゃなくて、そうか、イマドキの高校生は、平日の放課後に友だちの家に行ったりするんだと。そういうのは小学生で卒業したという記憶があるけれど、僕が古い世代であることがよくわかった。なるほど確かに、予備校に通う時間はないだろう。時代が進めばタスクが増える。
授業は順調に。
Qクラスでは時間意識に関する余談を少し入れた。長文の一部に、
「今までの学ぶ時間はわずかだったけれど、それにくらべれば、これからは時間がたくさんある」(要旨)
といった記述があったから。こんなもん、語り出せば一生かかるけれど・・・。
時間は、未来に存在しない。
言い換えれば、存在しても計測できない。「たくさん」と言うからには、期限を決めなければいけないからだし、未来はまだ来ていないから、期限を決めるのが難しいからだ。正確には、決められたとしても来ないかもしれないから、「期限」にならない。
それに比べれば、今までの時間は決めやすい。
個人的かつ暫定的な処置として、自分が生まれたときとか高校生になったときのように、スタート地点を決めれば良いから。もちろんすでに
その時間は存在したかどうか証明不可能
になっているけれど、一般的には「そこにその時間があった」と言えることになっている。比較的という意味では、時間を区切るのは過去のほうが可能に近いわけだ。
だから、過去の時間と未来の時間は比較できない。
もしできるとすれば、未来に期限を設定して、仮に時間がそこまで伸びる(時間は伸びるといった性質を持たないと思うが、まあそういうことにしよう)とした場合だろうか。したがって、上記の長文は
暫定的な時間枠の存在を認めて書かれた
ことになる。こういう話をすると生徒様に嫌われることはわかっているけれど、こういう話をしなければ広義の教育にならないだろ、という職業的不倫理観が僕にはある。むずかしいですね。
授業後に生徒様♂が相談に来た。
V検(市進の英単語・熟語テスト)はどこまでやるべきかということ。今は3級合格で、第1志望は某国立大学、私立は某MARCH、これより上に挑戦するより、今までの部分を丁寧に復習するべきではないか、1級レベルだと出題頻度も下がるし、という趣旨。
ここでブチキレ(-_-メ)
椅子を蹴っ飛ばし、講師ファイル(名簿などが載っているA4版のクリアファイル)で生徒様♂の頭を引っぱたく。ファイル、メチャメチャに破損。恫喝。
>
てめぇ、なめてんじゃねーよぉぉぉ!
俺をなめても受験をなめるなって何度も言っただろうがよぉぉお!
何が「3級以上は効率悪いです」だ、このクソガキが。
んなこたぁ全部覚えてから言うもんだろうがッ。
おめぇは自分を甘やかしたくて、
それを認めてもらいたくて、
お墨付きをもらいたいだけだろうが。
そんなもんは、『子育てハッピーアドバイス』の世界なんだよ!
『よびわる』でも書いただろうが、
あんなもん、ハッピーになるのは親だけなんだよ。
偏差値65なんてハイレベルじゃ白痴同然だって何回言わせるつもりなんだ!
なにが復習が大事だボケナス、
そんなもん誰だってやってることだろうが。
てめえは安心を買いたくて高い授業料払ってんのかよ。
受かる学生が3級でオケ、なんて言うわけねーだろこのボケ。
受かってから言ってるバカがいるが、
んなもん受かってからだから言える結果論なんだよ!
その程度の低いココロザシで戦おうって根性が、
受験知らずの低脳の証拠なんだよ。
根性ナシのてめえなんか消えてしまぇぇぇぇ!
以上、猛烈な脚色(^^ゞ
しかしまあ、論旨は基本的に同じだけどね。今が1月ならともかく、まだセンター試験まで2ヶ月以上もあるこの時期で、
自分の上限を決めるなんて愚策
であることは確かだね。今までの学力はともかく、今ココのつもりであがいている受験生はたくさんいる。彼らは、たとえばだけど、授業合い間の休み時間にケータイなんかいじってないよ。隙間時間こそ、暗記には適していると知っているからだろう。
帰宅して夕食。
メインは豚バラ肉と白菜と白ネギの煮物。豚バラ、今日が消費期限だったから。他には昨日の続きと、サンマ刺。市販のアジの南蛮漬け。ゴボウの味噌漬け。キムチ。キュウリとナスと昆布の浅漬け。水菜をそのままパクパク。塩ラッキョウ。
書くことがないと思ったのはカンチガイだった。
他にも、「速読ゼミ的寓話」を思いついたけれど、長くなっているのでカット。書きたいこと全てを書くには酔っているし、夜の持ち時間は長くない。いっそのこと、
全ての日記は先書き
としたいくらいだ。するわけないけどね。 |
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