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同様に確からしい 11月18日
  朝の雑事で大切なものの1つに、新聞を取りにいくことがある。
  オートロックだから玄関先までの配達はなく、マンションのエントランスまで 降りていくわけだ。だいたいは部屋の簡単な掃除をして、換気をしているあいだ に開放廊下(←これってヘンなマンション用語だ)に出て行く。この秋はじめて 、

あれっ、上着なしで出てきてしまった

と思った。それだけ寒くなったということ。1年のなかでいちばん好きな季節で はある。そりゃま、寒いけど。


  9時起床。
  今日も昨日と同じく英語のリズムを取り戻すための作業を少し。昨晩の読書の 感想文を書く。これでやっと重荷が取れた・・・。


  『吉里吉里人』井上ひさしを読了。
  東北の寒村が国家として独立宣言をするというSF仕立ての大河小説。
  なるほど歴史的名作だろうが、個人的には冗長でくだびれた。

  なにしろ原稿用紙2,500枚ぶんの長編である。
  活字は2段組で、834ページ。昭和56年という時代だと、こんなんでも大衆小説 だったのかもしれない。今どきの若い人がこんな本に手を伸ばすわけがない。だ いたい、2段組という言葉も通じないだろう(1ページが上下に分かれている活 字の組み方)。そういう僕も読むのに難行苦行で、読み終えるのに

就寝前に10分で5ヶ月ほど

かかった。いやはや、長いって。これだけ長いのに、小説上で流れる時間はたっ たの2日間だけである。

  日本と現代文明に対する批判であり、お笑いの要素が強い。
  井上はもともとゴイに長け、冗舌な語り口を得意にする作家である。余談めい た話がえんえんと5ページくらい続くのは普通のことで(なにぶん2段組だから 長い!)、本来のストーリーがどうなったか忘れてしまうのも普通だった。新し い章に入るたびにレビューが入るのはいいけれど、

さっさと話を進めてくれ

と思うことしきり。いや確かに、この冗長さの中にこの本の面白さが詰まってい ることは認めるけれど。練れた小説読みの人は、僕に勧められるまでもなく読む ことだろう。あーあ、しかしこの本のおかげで読書計画が乱されて困ったよ、っ てところ。


  整骨院。
  腰痛は一段落しただろうか。2ヶ月くらいにわたる不調期間は長かった。先週 の休暇の日々で落ち着いたのかも。本来は寒くなるこの時期にこそ悪化するので 気をつけたい。続いてプールへ。スイミング500M、ウオーキング200Mでごく軽 め。久々だし、こんなもんでしょ。

  緊張の体重測定。
  65.50K。ちょっとホッとした。週末前後の食べすぎと運動不足で、

危険水域である66Kを超えるか

と心配していたのだ。秋から冬のこの時期は体重が落ちにくい季節でもあり、ま だしばらくはダイエットの日々になるだろう。

  お昼前から晴れた。
  布団干しは日記によれば11月7日以来。単に書かなかっただけかも。でもこの 1週間は干した記憶がない。読者様のほうでも

>よびわるを読んでも布団干しの話にならないなんて!

と心配されていたかもしれない。もう少し、人生には心配するべきことがあるか と思うが、個人の自由だろう。


  授業は市進の市川校。
  速読ゼミ→Fクラス連続コマ。欠席者が多かったのは、風邪ないしインフルエ ンザの流行だろうか。欠席連絡も頂いた、感謝。内容を要約すると、

>体調がおかしいので休みます。明日あたりに注射をしてもらう予定で・・・( 以下詳細不明)

というものだった。注射というのは旧型インフルだろうか。新型のほうは、高校 生くらいだと年明けでもまだムリという情勢かと思われる。

  僕自身は、大人になってから予防注射を受けたことがない。
  あれって、かかるときはかかるものだし。疫学的にはリスクよりメリットのほ うが高いそうだが、自分の耐久力のほうを信じている。実際にかかったのは今年 の2月5日だけ。あくまで結果論だが、基本的には

リスクとメリットの交換をどう考えるか

という人生観に左右されると思う。この場合のリスクは2つある。2つが何なの か考えないで予防注射を受けるのは愚かかもと思うが、これも個人の自由だろう 。


  Fクラスの長文。
  演繹法と帰納法のどちらが良いか、という内容だった。僕はガチガチの文系人 間なので演繹法で物事を考える。とても興味深い内容なので、理系の生徒様♂に 質問してみる。すると彼、

>んなもん、どう考えたって帰納法じゃないすか(趣旨)

と答えてくれた。なるほど理系はそう考えるんだねえ、と文系の受講生たちと僕 で納得。文系と理系という区分は、鳩山内閣でも見られるように当今では流行ら ないけれど、現実的には存在すると思うんだよな。パチンコを打っていて、

同様に確からしい

なんて考えることないもんな(・_・;)


  帰宅して夕飯。
  昨日のまずかったハマチ刺を料理した。いわゆる「しぐれ煮」だ。砂糖・しょ う油・酒・ショウガのすりおろしで煮つめる。味が濃くなるので、食べるときは 白ネギのみじん切りを添える。ハッキリと旨くなった。食材が悪いと文句を言う 前に、

できる範囲の努力はする

という行為の正しさが証明された。まずいとけなした後に、何をすれば良くなる のか考えるから「料理」と言うはずだ。理をはかること。さて、この料理たる行 為、

演繹だろうか帰納だろうか?


  こう考えていくと、全ての創造は帰納にあるのかもしれない。
  演繹はルールを事象に当てはめることで、帰納は事象からルールを探すことだ から。あれ、なんかヤヤコシイ日記になったな。抽象的に書くと読み手には考え る自由が与えられるけれど、ウェブの場合は

面倒がられて終わり

という面もあるから、気をつけないと。明日の日記は、

>この秋の連続TV小説、主人公の可愛さが足りなくねえ?

みたいなノリで行こう。行かないと思うけど(^.^)/~~~
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