予備校講師でわるかったな!





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よき教育者になれなくとも 1月23日
  9時起床。
  昨晩は深夜になってから書斎の片付けという楽しい作業を始めてしまい、就寝 が遅くなった。しかし7時間睡眠で快適な目覚め。


  午前中は片付けの続きを中心に。
  もう年度も終わりということで、年度末大掃除という気分に近い。整理して、 ゴミを捨てるという作業の繰り返し。本を買うせいもあるし、職業上の都合から 、どうしても紙のたぐいが多く、

スペースがムダになっている

と感じる箇所が多い。人生はいろいろなものを集めていく永遠のプロセスではあ るが、たまには捨てていくものも作っていかねばならない、というのに似ている 。大げさかもしれないが、おおむね真理だろうか。

  HPの作業が進んだ。
  年度換わり更新の準備である。トップページのデザインはすでに完成している。プロフィールを部分改訂して、画像を14枚用意し(実際に使うのはうち6枚)、ガイドに加筆修正して、2月1日ぶんの日記を先に書いて、サポーターにメール。細かい作業をこなすのは面倒だけど好きだ。


  お昼またぎで外出。
  下水道料金の払い込みだの、日常食品の買い物だの、3色ボールペンの替え芯購入だのといった雑用。替え芯については、去年の11月22日にも書いた。

手持ちのものに対応する替え芯

を見つけるのが大変。これ、本当は本体を買ったときに替え芯を買うものなんだろう。筆記用具は使い込むものなので、会社名や商品名がわからなくなってしまうからだ。午後は読書。


  『大山康晴の晩節』河口俊彦を読了。
  将棋の第十五世名人である大山康晴の生涯を描いたもの。
  記述に時系列の混乱が見られるものの、おもしろかった。

  大山康晴が亡くなったのは平成4年。
  名人戦の最高クラスであるA級に在籍したまま鬼籍に入ったのは有名かもしれ ない。僕の世代だと、名人と言えば中原誠で、そのあとに続いたのが羽生善治で 、あいだに挟まったのが谷川浩司という感覚になるだろうか。大山は昔の名人と いう認識である。

  だから、今さらこうして昔の名人の軌跡を本で読むのは新鮮だった。
  おもしろいなと思ったのは、昭和30年代あたりまでは棋譜やタイトル戦の履歴 などの詳細がハッキリしていないこと。著者の記憶があやふやなのか、調べがつ かないのか、たぶん後者だろう。将棋界にちゃんとした記録が残るようになって から、たかだか40年程度に過ぎないのだ。

  本書の欠点は、時間軸がブレる箇所の多いこと。
  ライバルであった升田幸三や山田道美との争いを描いたり、数少なかった羽生 との棋譜を記したり、晩年のA級での戦いぶりを記したりするから、仕方がない と言えばそれまでだ。巻末に年表があればわかりやすかったのだが。ただ、全体 としては

大山康晴って、こういう人だったのか

とよくわかるので、満足度は高い。棋譜が多いから、将棋のルールを知らない人 には読みにくいけれど。


  市進の市川校へ。
  残りも4日ですなあ。今日はCクラス対応の『私大演習ゼミ』。まだまだ甘い ところがあるなあ、ここだけは得点させたいなあ、という箇所を丁寧に潰してい く授業になった。生徒様たちが志望する中堅からMARCHレベルの大学は、

推薦・AO入試より一般入試がはるかに難しい

というのが実情だ。全体として大学に入るのは易しくなっていることにマギレは ないが、特定の1人が志望する特定の大学に入るのは、それほど易しくもない。


  演習時間中はヒマだ。
  ちょっと失礼して教室を抜け出し、隣の教室を覗いてみる。今どきの予備校はどこも同じだと思うが、教室のドアにはガラスがはめ込まれている。教室の様子が覗けるようになっているわけだ。

某講師「いいか、永ちゃんがだなぁ」
生徒様「永ちゃんって、ダレ(゜_゜)」

  実にほのぼのとしてますなあ(^_^;)
  講師のトーク中にツッコミを入れる生徒様もすごいが、高校生相手に永ちゃんの話をする講師もすごい。立ち聞きだったので詳しい内容は不明だが、

永ちゃんとは矢沢永吉のこと

であろう。しかし、こういう説明をしたところで、今度は

「矢沢永吉ってダレ?」

と質問したくなるのが、今の高校生だろう。それで普通である。


  けだし、自分にとってのアイドルは、自分より10歳くらい年上のことが多いだろう。
  たしか矢沢永吉は60歳くらいだから、某講師は50歳くらいなんだろう。僕の世代で言えば、桑田佳祐あたりが「アイドル」になる。桑田佳祐はつまりサザンだから、ここまでは今の高校生でも何とか通じるはず。

  もっとも、僕は芸能人に限らず、時事ネタ(永ちゃんが時事ネタか?)のたぐいは余談に使わない主義だ。
  昔からそうだったし、まして今のように生徒様と20歳くらい離れると、感覚のズレが明白になってしまうから。逆に、あと5年くらいすれば、

「いいかお前ら。むかし松田聖子っていう偉大なアイドルがいてだなぁ」

くらいの昔話をして、「なんかお父さんが酔って話しているみたい」と思われたいと考えている。子どもが知らないことを話すのは、大人というか年上の人間の使命と言っても良い。


  帰宅して夕飯。
  昨日のタコとキュウリはキムチに漬け込んでタコキムチにした。塩もみして混ぜ込むだけ。味が練れていなかったのは、

食べる直前に作った

からだろう。刻みニンニクとかラー油とかを入れるといった方法が考えられるが、まずは熟成期間から勉強していきたい。明日は早起きする必要があるので、今日の日記は早めにこのヘンで。


  と思ったら、女の子からメールが来た。
  なんと、2002年度に某予備校で教えていた生徒様である。2006年に首になったあそこです。こういったことは時々ある。そのたびに、ネットってすごいなと思う。すでに

その某予備校名はタグに入れていない

けれど、検索すればまだまだ引っかかるようである。っていうか、実名出してるからね。恐るべき勇気の甲斐があったというもの。

  彼女は「医学部、東大志望のコース」に在籍していたとか。
  2002年度は、僕が浪人最上位クラスを担当して2年目くらいだったはず。残念ながら彼女の顔も名前も覚えていないが、ありがたいことである。勝手に引用。


>夢だった国立の医学部に入学、卒業し、国家試験も乗り越え、あれから8年も立ちますが、今は田舎の地で研修医2年生をしてます。
この4月からは××医になります。
思い返せば浪人の一年間はしんどかったけれども贅沢に時間を使わせていただいた一年でした。
あの時のことを思い返せば大概のこともまだまだ頑張れるし、自分にとって大きな自信になっています。 先生を含めて色んな方と出会って今の私がいるんだなと深く感じています。
(信原注:プライバシー保護のため担当科は伏字)


  そうか、おめでとう。
  僕のような、早慶すら落ちた学歴社会の負け犬に教わって、ちゃんと医学部に入り、もうすぐ医者になるんだ。それだけの才能があり、何よりも大きな努力を彼女がしてきたからだろう。区切りの時期に報告をくれたことを、ここでも感謝しておきたい。そうだ、僕には才能も学力もないけれど、

1流の指導者になれる可能性だけはある

と自信を深めることができた。生徒様を始めとした、いろいろな人々に感謝。たとえ首にされたとしても、教えていて良かったと思ったよ。
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