予備校講師でわるかったな!





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裏切られてふつう 2月8日
  午前0時半起床(@_@;)
  きょくたん過ぎるのではないか。昨晩は予告通りに8時半に就寝した。が、ビ ールの呑み過ぎによる酔いのおかげで、眠りは深くなかった。

ビールの酔いは意外にきつい

ことは酒飲みの人ならご存知かと思う。それにしたって、こんな時間に起きてど うするのか。朝刊でも配りに行こうか。朝風呂に入り、洗濯をした。


  昨日のお粥の残りを、午前1時の朝食に。
  土鍋を買ったので、使い出す前にお粥を作ったわけである。なにが「わけであ る」なのかわからない人もいるはず。お粥を炊くことで、

コメの粒子(っていうのかアレ?)を鍋に浸みこませる

作業のことだ。こう書くと、なにが「のことだ」なのかわからない、と今度は言 われる。そうすることで、割れにくくなるのが土鍋ってものなんですぅ。

  そのお粥を味噌汁碗によそって冷蔵庫に入れておいた。
  ところがお粥またはその汁が漏れ出している。なんだろと見てみれば、

お碗がパックリと割れていて

ビックリした。木製の塗り碗なので、縁起がわるいかもしれない。独り暮らしを 始めたときに実家から頂いたものなので、14年でサヨナラとなったわけ。物持ち がいいほう、なのか知らない。


  自己紹介(ここ別窓)の写真の紹介6発目は最終回。
  6枚目は、石垣島の川平湾です。これは有名な観光地なので、読者様の中にも わかった人がいるかも。沖縄もここまで来ると、本当にこんなに海がきれいなの です。ちなみに、

この川平湾訪問は3回目

となります。石垣島の地図はだいたい頭の中に入っています。いつになったら、 この事実をうら若き女子に自慢できるのだろうか。その機会はないのだろうか。 これは初めて晴れた2008年の訪問時に撮影したもの。


  眠くなってよと祈りながら読書。
  無事に睡魔が登場して、午前3時に就寝。こんな生活でいいのかと思ったが、 無事に熟睡できて、午前8時半に起床。スッキリして、生活リズムももとに戻っ た。もちろん二日酔いもナシ。

  1月31日に事実上の年度が終わってから、慌しかった。
  新年度への準備がいろいろと進んだし、人にもたくさん会った。基本的に僕は

独りヒキこもって本を読む

という生活が好きなので、ちょっと疲れたかも。とくに昨日までの3日間は人に 会って話すことばかりだったから、ひょっとして俺って社交的な人間なのかもと 誤解した。


  誰かと初めて会うことには、いつも恐怖がある。
  ひょっとして、わかりあえないんじゃないかと怖がることだ。僕は軽い対人恐 怖症だから、この傾向が強い。僕が相手を理解できないかもと思うし、相手も僕 を理解してくれないんじゃないかと思う。ただ、以下が僕の長所であり欠点であ るとも思うが、

理解しあえないくらいがふつうだ

と諦めている。理解したい、してほしいという感情があっても、「そうならない こともあるだろう」と考えている。

  また同時に、もしかして僕と相手が同時に好意を持てば、きっといつかは(今 でなくても)理解しあえる、という希望も持っている。
  だから、新しく人と会うのは恐怖を伴いこそすれ、

人と人って、その程度の危ういつながり

なんだからしょうがないよねと思っておけば、克服できない恐怖ではない。ほど よく諦めておけば、ひょっとして浮かぶ瀬もあるかもしれないということだ。


  旧知の人に会うことは。
  安心できるのは、「変わらないな、君も」と思うことだろう。思ってもらうの もありがたい。しかしもちろん、

自分も相手も変わってしまった

と感じることもあって、そういうときは「昔は良かったのに(わかりあえたのに )」となってしまう。こう感じるのが一方通行ならツライだろうし、相互通行な らその人間関係はそこが終点である。

  変わらないほうがむしろ珍しいだろう。
  自分も相手も変わっていく。同じ人間関係が同じように維持されることは、ぜ ったいにない。変化した相手と、変化した自分とのあいだに、

新しい人間関係をつむいでいく

ことが必要になる。だから僕は「こいつは変わったな」と思えば、自分が変わっ てないのかもと心配する。逆に「お前は変わったな」と言われれば(ふつうの大 人はそういうことを言わない、当然だ)、君は変わってないのかと不満に思う。


  以上のような考え方は、一般的には、人に好かれない。
  友だちの少ない人の言うことだと思う。ただ、僕は

友だちはコレクションではない

と考えているから、コンプリートなものであって欲しくない。うつろっていく、 ズレていく、違和感を覚える、そういう危うさがあるから、人と付き合う意味が あると思う。もう少し極端な言い方をすれば、

危うくない人間関係なんてゴミみたいなもの

ということになる。いつも変わっていこう、そう念じるくらいでもなかなか変わ れないのが自分だったりするわけだが。お、なんか深い話になったな(^^ゞ


  日常生活はいつもの通り。
  特筆するようなこともなく順調。空は朝から晴れて午後にはすこし雲も出たけ れど、干し物に問題はナシ。お昼ご飯を食べるためにすし屋さん(回転しないほ う)に行って、

バラちらし寿司

を食べた。なぜ改行が必要なのだろう。


  帰宅して雑用など。
  この3日ほどの騒動で、家事人生が回っていなかったからちょうど良い。エッ セイのアップも完了し、読書感想文も書けた。


  『なぜ「大学は出ておきなさい」と言われるのか』浦坂純子を読了。
  中高生に人生の基本方針をやさしい言葉で説明する「ちくまプリマー新書」の 1冊。
  本書は、学者先生のお書きになったアカデミー世界のカンチガイ系具現絵巻図 として、全ての若者にオススメできない。

  このセンセイがこの本で書きたいことは、まあわかるんだよね。
  サブタイトルの「キャリアにつながる学び方」のほうなんだよ。同志社大学の 准教授で、キャリアデザイン系の学問をなさっているわけだからね。それにした ってねえ、このタイトルに引かれてこの本を読んだ高校生が、

キャリアにつながる学び方なんて話をされても理解できっこない

こともわからないのかねえ。

  それ以前に、学歴や学校歴といったことの意味がわからなくて、こういう本を 読むのだ。
  たしかに、「なぜ大学は出ておかなければいけないのか」を合理的に説明する ことは難しい。僕の歳になってもわからないんだから、高校生なんか尚更わから ないだろう。そこで、「大学の先生がお書きになっていらっしゃるのだし」と本 書のタイトルに引かれて読んでみれば、出てきた「答え」はこれだよ、これ。

>乱暴を承知でまとめるならば、就職に際して門前払いをされるリスクが低い こと、労働条件のいい仕事や職業に就きやすいこと、そして賃金が高いこと の三つです。

  あんたヴァカぁ?
  本当にバカね。ゴシックも本文ママだぞ。そんなつまらん世俗的な理由を聞き たい・知りたいんじゃなくて、もっと本質的な理由を聞きたくて知りたくて、読 者はこういう本に手を伸ばすんだよ。こんな「答え」だったら、高校の先生でも 予備校講師でも言えるわな。「ちくまプリマー新書」の棚を見ている時点で、

人生で大切なことを探している

のが、想定される読者なんだよ。その期待を満たさなければ(少なくとも満たそ うとしなければ)、商品じゃないんだよ。

  想定読者ってもんが、全く見えてないんだよね。
  象牙の塔から降りてくることができなくて、塔の上からご託宣を投げ下ろして いるだけの、ご立派な学者センセイであらせられる、というところ。ただし、

書いてあること自体はそれほどおポンチでもない

とは言える。これ、タイトルとサブタイトルを逆にして、幻冬舎新書あたりから 出したほうが良かったんじゃないの、というところ。


  夕飯は昨日の残飯処理(・_・;)
  来客があると、どうしても多めに食材を用意するから仕方がない。メインは鍋 で、生タラ・豆腐・キノコ各種・タラバガニ・豚ロース・水菜やモヤシなどの野 菜各種となった。ホストを務めると、

どうしてもカニが食えない

から、独りで食べれば満足度は高いかも。うまいよね、カニ。まだ食べきれないので、残りの生鮮食品はざっと火を通しておいた。明日も同じ夕飯だろう。


追記:エッセイ330「テツわる青森・秋田編その1」をアップしました。


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