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悪夢と戦う2 1月26日
  さらに問題となるのはその内容である。
  ほとんどの人が夢に関してはその内容を口にする。初夢の縁起の良さに関し て、「1富士2鷹3なすび」という格言(なのか?)があるように、内容を論 じることは古代からの風習である。まあ「1富士・・・」はどうせ江戸時代の 川柳か何かだとは思う。個人的には富士山なんか出てこないし、ナスが出てく る夢のシナリオを読んでみたいくらいだ。
  それはともかく、夢に現れた悪霊がどうとかこうとか、そういう話は古典文 学(『源氏』が有名ですかね)にもけっこうあったはずだ。つまり夢はその内 容を論じるのが主流ということである。


  人々の分類はほぼ2つに集約される。

1、楽しくて幸せな夢
2、唾棄するべき悪夢

である。現実には

3、わけのわからない夢

もあるようだが、これを論じる人は少ない。他人に聞かせても面白くないだろ うと推測がつくからだ。実際、そういう夢は忘れるのに必要な時間も少ないよ うである。


  僕の場合、1に関しては残念なことにその数が少ない。ひとつだけ例をあげ れば、

「自動販売機でお釣りがガチャガチャ出てきて止まらなくなり、取っても取っ ても追いつかない。困ったなぁ・・・」

というのがあるのだが、目覚めたところで続きを見たいと思わない。だいたい 、夢にしてもスケールが矮小(ワイショウ。とても小さいこと)すぎるのでは ないか。

  2に関しては語りだせばキリがない。女性がからむ悲しすぎるストーリーな ど枚挙に暇(いとま)がないほどバージョンが豊富で、しかも繰り返し見るも のが多いからいやになってしまう。一つだけ例をあげれば、

「幼い僕は自宅に帰ろうとしている。マンションのエレベーターに乗ったら階 数表示が<5B>とか<7C>などとなっていて、自分が帰るべき家の階数が わからず、適当に押して同じ位置にあるはずの我が家に帰ってみたら、そこに いるべき母親が本当の母親ではない

という象徴的な夢である。幼児期のトラウマはないつもりだが、今でも2年に 1回近く見るということは何かがあるのかもしれない。僕はほとんどの場合泣 きながら目覚めるのだ。やだやだ。


  ある日の日記(不採用になった箇所)。

>僕はひどい悪夢をいつものように見ていて、目覚めるたびに悪夢と戦うため に寝ようとする。僕は意図的にその直前の夢の続きを見れることが多い。僕は 悪夢と戦う努力をするタイプなのだが(どういうタイプなんだ)、家族や昔の 恋人が出てくると怒鳴れない。まいったね、と9時前に起きる。

  僕は意図的に悪夢の続きを見て、その悲劇的な状況を回避してやろうと努力 しているのである。その際にはとんでもない大声で寝言を言っているらしい( 複数の人に証言を貰った)。その続きの中で僕がヒーローになれることはほと んどない。でも、そうやって夢の中で戦った後の目覚めはすごくいいのだ。不 思議な話である。

  さあ、夢を見るために寝ましょうか? 麗奈でも出てこないかな。出てこな いんだよな。
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