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さらに問題となるのはその内容である。
ほとんどの人が夢に関してはその内容を口にする。初夢の縁起の良さに関し
て、「1富士2鷹3なすび」という格言(なのか?)があるように、内容を論
じることは古代からの風習である。まあ「1富士・・・」はどうせ江戸時代の
川柳か何かだとは思う。個人的には富士山なんか出てこないし、ナスが出てく
る夢のシナリオを読んでみたいくらいだ。
それはともかく、夢に現れた悪霊がどうとかこうとか、そういう話は古典文
学(『源氏』が有名ですかね)にもけっこうあったはずだ。つまり夢はその内
容を論じるのが主流ということである。
人々の分類はほぼ2つに集約される。
1、楽しくて幸せな夢
2、唾棄するべき悪夢
である。現実には
3、わけのわからない夢
もあるようだが、これを論じる人は少ない。他人に聞かせても面白くないだろ
うと推測がつくからだ。実際、そういう夢は忘れるのに必要な時間も少ないよ
うである。
僕の場合、1に関しては残念なことにその数が少ない。ひとつだけ例をあげ
れば、
「自動販売機でお釣りがガチャガチャ出てきて止まらなくなり、取っても取っ
ても追いつかない。困ったなぁ・・・」
というのがあるのだが、目覚めたところで続きを見たいと思わない。だいたい
、夢にしてもスケールが矮小(ワイショウ。とても小さいこと)すぎるのでは
ないか。
2に関しては語りだせばキリがない。女性がからむ悲しすぎるストーリーな
ど枚挙に暇(いとま)がないほどバージョンが豊富で、しかも繰り返し見るも
のが多いからいやになってしまう。一つだけ例をあげれば、
「幼い僕は自宅に帰ろうとしている。マンションのエレベーターに乗ったら階
数表示が<5B>とか<7C>などとなっていて、自分が帰るべき家の階数が
わからず、適当に押して同じ位置にあるはずの我が家に帰ってみたら、そこに
いるべき母親が本当の母親ではない」
という象徴的な夢である。幼児期のトラウマはないつもりだが、今でも2年に
1回近く見るということは何かがあるのかもしれない。僕はほとんどの場合泣
きながら目覚めるのだ。やだやだ。
ある日の日記(不採用になった箇所)。
>僕はひどい悪夢をいつものように見ていて、目覚めるたびに悪夢と戦うため
に寝ようとする。僕は意図的にその直前の夢の続きを見れることが多い。僕は
悪夢と戦う努力をするタイプなのだが(どういうタイプなんだ)、家族や昔の
恋人が出てくると怒鳴れない。まいったね、と9時前に起きる。
僕は意図的に悪夢の続きを見て、その悲劇的な状況を回避してやろうと努力
しているのである。その際にはとんでもない大声で寝言を言っているらしい(
複数の人に証言を貰った)。その続きの中で僕がヒーローになれることはほと
んどない。でも、そうやって夢の中で戦った後の目覚めはすごくいいのだ。不
思議な話である。
さあ、夢を見るために寝ましょうか? 麗奈でも出てこないかな。出てこな
いんだよな。
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