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essay エッセイ
最近はこんな読書17 8月1日
  夏だから、難しい本はイヤだよね。

  気楽に、ソファやベッドで横になって読める本。
  そんなに頭を使わなくてもいい本。
  でもちょっとだけ賢くなったような気になれる、本。

  ちょっとエッチな本とかどうですか?
  性、あるいはセックスに関する本を3冊紹介。


感じない男』森岡正博

  男女の別を問わず、その性のありさまを語る本はどうしても抽象的になって読 みにくいという欠点がある。
  それは欠点というより、本で論じられている抽象的な内容を具体的な(たとえ ば自分の性的嗜好)レベルに落として理解するのが難しいということだろう。も っと低いレベルで書くなら、

「ごちゃごちゃ言いやがって。いったい俺は、そしてお前らは、どうしてオナニ ーをするのかそれが知りたくて読んでんだよッ!」

と心の中で思ってしまうということである(もちろん、思うだけで公言はゼッタ イにしない)。その不満感を解消してくれる著者は大阪府立大学の教授。おいお い。


>不安が消えないときなどに、私はエッチなことを考えてマスターベーションを することがある。
>そこ(制服少女の写真集)には、(中略)あの清涼感とゾクゾク感があふれて いる。
>私はロリコンが分かるということ、すなわち私は少女に対して性的に惹かれた 経験があるということを、まずもって公然と認めなくてはならない・・・。(中 略)私は大学で教師をしている人間だ。いやしくも教育にたずさわる人間が、少 女に対してエッチな気持ちになったことがあると公言するのは、おそらくこの社 会の最大のタブーのひとつではないかと思われるのである。

  ちょっとちょっと。
  もちろん上記はこのエッセイのためにわかりやすいフレーズを引用したものだ が、本書が扱う内容は深い。タイトルの「感じない男」とは一般的な医療用語と しての不感症ではなく、「本当の意味での性的満足感を得られない男」のことで ある。

  その不満感が男をミニスカート好きや制服フェチやロリコンに走らせている。
  類書と異なり、あくまで著者個人の体験、具体的には射精後の不満感などから 「感じない男」のありかたを論じるので、読者は著者という登場人物に自分を委 託して読み進めることができる。


  全5章のなかで特に興味深いのは第4章の「ロリコン男の心理に分け入る」。
  ここでも論は全て著者の体験から個人的に語られることで始まる。

>私の意識の底には、ひとつの思いが沈殿している。私はあの思春期の分岐点に おいて、間違った方向へと舵を取ってしまったのではないかという思いである。 (中略)何かの間違いで、私は「男の体」のほうに舵を取ってしまった。

  思春期の分岐点とは第2次性徴期のこと。
  自分の体が男性のそれに変わっていくことに不満や不安を持ったというのであ る。著者は続ける。

>(違和感を覚えたのは)私は思春期以来、自分が「男の体」を持っているとい うことを自己肯定できなかったからである。

  読者は一瞬「性同一障害なのかな」と思うかもしれないが、著者はそれを否定 している(または別の問題だとして処理している)。
  ロリコンの対象は11〜12歳前後の少女である。つまり、著者が何かの間違いで 「男の体」になってしまった時期に、彼女たちは「女の体」を手にしようとして いる。

>私は、「ああ、私もあの少女のように、できることなら向こう側へと舵を取っ てみたかった」と思い、その少女の体の内部へと自分の意識をすべり込ませ、少 女の思春期を内側から追体験して生きてみたいと思うのである。ロリコンの心理 は、こうやって誕生する。


  あるいはやはり、読者は不快感を持つかもしれない。
  しかし僕は、本書の長所が「自分を例にしたこと」にあると評価したい。よく わからない、雲をつかむような空虚な理論よりも、著者の肉体に宿る病理のほう が、男性性をうまく説明していると思う。

>それ(謝っておかねばらないこと)は、大学の教師である私が、こんなものを 書いてしまったということついてだ。研究の自由を撤回するつもりはまったくな いが、しかし大学で学んでいる若い学生諸君は、この本に対して様々な不快感を 抱くことであろう。(中略)この本の内容については、私の授業ではいっさい触 れないつもりである。


  大切なことは、本書は単なる著者の魂の独白では終わっていないことだ。
  発信者(著者)の生の声は公言できるようなものではない。まして彼が「先生 」と呼ばれる社会的役割を果たしていれば。しかし、受信者(読者)は彼の個人 的体験から自分の体験への「呼び覚まし」的な行為を自然にするかもしれない。

「先生は先生であり、私は私であり、先生は私だ(または、先生は私ではない) 」

と考えるということ。
  なんとなく、僕のHPの設立目的に似ている部分も感じる好著だ。



少女たちはなぜHを急ぐのか』高崎真規子

  前半が少女たちへの、後半が大人たちへのインタビュー。
  著者の視点は強調されず、インタビュイーの意見表明だけがつらつら並ぶのは 不満と言えば不満なところではある。

  前半はエンエンと少女たちの体験が語られる。途中で少し飽きちゃったような 感じもあるが、まあ興味深い。こういう発言を生徒様から聞くはずもないし(聞 くのも怖いし)。

>中二の夏休みに、向こう(=彼氏)の家で(初Hをした)。ずっと、そんな話 が少しずつ出はじめて、しないと別れるよみたいな話になって・・・。まぁいい かなとは思ったんだけど、避妊がどうたらこうたらみたいな話になって、俺はお 金がないからお前が(コンドームを)買ってきてとか言われて、それははじめて だから絶対嫌だって言って、しぶしぶ向こうが買ってきて。

  おじさん、読んでてドキドキしちゃうぞ。

  意図的な編集があるのかもしれないが、目立つのは避妊への意識や避妊の実行 頻度が異様に低いことである。本書の題名のように、少女たちからの視点ばかり が掲載されていることもあるのだろうが、最近の若いやつは避妊もせんのか、犬 かお前らは、という感じがする。
  もっとも、こういう感じ方は個人差が大きいから、僕が避妊をしないセックス を経験したことがないからかもしれない。

  後半は大人たちによる、わりに実務的・具体的な提案が続く。
  性感染症の流行というのは読んでいて気持ちが悪い。何かの広告にあったよう に、「今のカレの、元カノの元カレは誰だか知ってますか(要旨)」ということ だ。しかも本書の前半を読むと、どこの誰とも知らない人とやっちゃうことも多 いらしい。やだやだ。僕だって、まわりまわって感染するかもしれない。迷惑だ 。

  性教育に関して。

>親たちが性教育に否定的なのは、一つには、自分の世代はそんなものは、こと さらに教えるものではなく、自然に覚えるものだという考えがあるからだろう。 けれども、それこそ、もう時代は違うのだ。耳をふさいだって性情報は耳に入っ てくるし、高校生の八割はセックスを容認しているという報告もある。


  なるほど。
  たしかに性はタブーではなくなった。僕が中学生のころは「××と××がやっ たらしい」なんてコソコソと話していたんだけどな。

  まとめとしては、高校生くらいの人が読むべき本である。
  読んでどうなるかってワケではないけど、たぶん。



優しい秘密』村山由佳

  以前のエッセイでもこの「おいしいコーヒーのいれかた」シリーズを紹介した ことがある。
  そこでは茶化しながら書いたので、今回はちょっとマジメに感想を書いてみる 。かなりの人気作家なので、このページの読者層からすれば読んだことのある人 もいるかもしれない。

  8作目になる本書では、大学2年生のショーリ君は独り暮らしをしていて、そ の恋人である26歳のかれんさんは近くに住んでいる。もちろん、かれんさんはシ ョーリ君のアパートを訪れる。そのシーンからスタート。語り手はショーリ君。


>ひじをついて上半身を起こし、僕は、かれんの頬に手を当てた。
  親指でそっと頬を撫でる。うぶ毛だけに触れるようにかすかに撫で続けている と、彼女のまぶたがゆっくりと閉じられ・・・。

  読者は安心する。やっとヤルのかと。
  何しろ、小説にして8冊目、付き合って3年目、引っ張るだけ引っ張ってここ ここ、ここまで来たのだ。良かった。


>「たとえば――」僕は、彼女の右手をとった。「これとかさ」
  中指にはめられている、銀の指輪。

  読者は落ち着きをなくす。
  お前があげた指輪をはずすのかと。フツー、指輪は最後じゃないのかと。ディ ープやなぁと。それでスルんかと。イタスんかと。


>かれんの後ろについて部屋を出ながら、僕はふと、彼女が鴨居に吊した服を見 やった。

  え。どこにいくのか。
  え。俺、肝心なところを読み飛ばしたかと。そ、そ、そこのへん、ちゃんと書 いてくれなきゃ困るぞと。コーフンして読み飛ばしたか俺、と。



  ページは第2章に移る。
  そうか、これは省略の技法だったか。必要のないセックスは描かない、これが 直木賞作家の意地かと。ふーむ、8冊目まで引っ張ってこれか。やるじゃねーか 、ちくしょう!

  第4章に進む。
  かれんの家を訪れたショーリ。かれんの親の目を盗んで二人は抱き合う。

>それでも僕の指がそこでぐずぐずしていると、かれんは、必死に首を横に振っ た。
  <だめ。だめだめだめッ、今はだめ!>
  <じゃあ、いつになったらいいんだよ>


  読者、あきれる。
  おめーら、まだやってなかったのかよッ!!


  長くなったけど、ま、そんな感じ。
  冗談はともかくやっと感想に移ると、このシリーズはかなり丁寧に若い恋人だ ちを描いているのではないだろうか。やはり、たとえ付き合っている二人でも、 セックスにはためらいがある
  正確に言うと、そのためらいが続く物理的な時間 は短いかもしれないが(16分とか)、精神的な緊張を伴う時間は非常に長いはずで あり、それをあくまで小説的な時間の流れにして筆者は描いているということだ 。

  ショーリ君に片思いを続ける星野さんのセリフがある。

>プラトニックも結構だけど、抱き合いもしないで何がわかるかって訊いてんの 。いいかげん大人の男と女が、これだけ付き合ってるのにエッチもしないで、そ れでほんとに相手のことわかっているなんて言えるの? ちょっと聞いたらお互 い相手のこと大事にしてるみたいに聞こえるけど、案外それって、大事なことか ら逃げているんじゃないの?

  これは本質をズバリ突いている。
  ショーリ君も「痛いところを突かれた」と思ったし、読者も「そうだそうだ、 いいかげんにしろ」と(冗談めかしていながらも)共感を覚えるはずだ。
  そしてまた同時に、「違う! 私はかれんとショーリ君の味方だ!」と思う読 者もいるのではないか。


  恋愛小説としては、確かに通俗的な部分があると思う。
  でも、その恋愛の機微あるいは現実のしがらみや悩みをきちんと描いていると いう点で、この物語はマットウである。王道を進んでいる。

  年配の人、つまり僕のような30代の人間が読めば甘ったるくてかったるい小説 かもしれない。でもきっと、おそらくとしか言えないけれど、そして少なくとも ということだけど、かつて自分にも存在した恋愛への畏怖がきちんと描かれてい るはずだ。


  自分の小さな青春の気持ちを、そしてセックスへの畏怖や恐怖や好奇心を持っ ている人にとっての好著。
  あるいは、その気持ちたちを忘れていない君にとっても。
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