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親戚孝行でも激走3! 10月12日
  沖縄滞在2日目の夕方、伯母Bの診察が終わったのは午後6時半。
  そこから40分かけてホテルに戻る。頭を打ったということで、念のため車椅子 を病院で借りることになり、僕はホテルにその旨を連絡しておく。5人で予約し ておいた食事の時間を後ろにズラしてもらう。甥っ子コンダクターは忙しい。

  ホテルに戻る。
  車から車椅子を取り出すボーイの動きが速い。車寄せに駐車して、客はそこで 降りてクルマの管理はホテルに任せるというシステム。通常の場合ならボーイは ドアを開けて客を降ろすだけだが、何も言わなくても車両後部のトランクを開け て車椅子を取り出す。その作業は3人組。あっという間に折りたたんであった車 椅子がセッティングされ、伯母Bをそれに乗せる。はやいはやい。

  フロントから連絡がいっていて、車のナンバーでチェックしたのだろう。
  病院を出る直前に僕が電話をしたとき、病院の場所も確認されたから到着時間 も読んでいたはず。高級ホテルなら当然のサービスだが、その当然さがありがた い。やるじゃん、ブセナテラス。


  翌朝、再び病院へ。
  今日は最終日なので沖縄南部の戦跡を観る予定だったが、病院は名護市の北に ある。地図を見てもらえばよくわかることだが、まあ読者にそこまで要求するの は厳しいだろうから位置関係を図にしてみよう。移動距離はクルマ。上のほうが 北で下が南。

病院
↓40分
ブセナテラス
↓2時間
那覇空港
↓40分↑40分
南部戦跡

  つまり今日、最終日はブセナテラスから南下しなければならない。
  行動ペースの速さ(笑)からして、南部戦跡に即座に向かい、空港から15分程 度と思われる牧志市場に立ち寄って空港へということだ。空港近辺は前述のよう に大都会なので、時間にゆとりを取る必要がある。

  ところがやむを得ないとは言え、思わぬ事故があったのでワザワザ北上しなけ ればいけない。
  診察にどれほどの時間がかかるか不明だが、今日の夕方の飛行機で帰ることは お医者様に告げてあるので千葉には戻れるだろう。言い換えれば、南部戦跡を観 光する時間はなくなった。以下の行程に変更だ。

病院
40分↑↓40分
ブセナテラス
↓2時間弱
牧志市場
↓15分
那覇空港


  ブセナテラスを8時半に出て、病院に9時過ぎに到着。
  診察を終えたのは11時過ぎ。空港へ一般道を使って直行すれば1時過ぎるか。 よぉし、ここは高速を使おう。

  沖縄自動車道は名護市から空港の近くまで通じている。
  まず名護市の入り口まで30分。すでに正午近いんですけど。高速の入り口であ る許田インターって、さっき出たホテル(ブセナテラス)のそばなんですけど。


  沖縄自動車道は山道を抜ける。
  特徴はない。本土の田舎にある高速と違って片側1車線ではない。充分な路幅 が確保された片側2車線。快適ではるが特別に山深いわけではないし、海もほとんど 見えない。感覚的には、千葉県の館山道に似ている。交通量は少ない。

  1つ特徴があるとすれば、全体にスピードが遅いこと。
  ふつう、高速道路はほとんどのクルマが100キロ前後で走り、ときどき120キロ 以上で吹っ飛ばしていくクルマがいて、まれに70キロで走るトラクター(これは 冗談)がいるものだ。

  しかし、ここではほとんどのクルマが80キロ遵守である。
  きわめてまれに100キロ程度で走るクルマもあるが、基本は80キロ。オービス (速度超過自動取り締まり機、という意味らしい)が仕掛けてあるのか、沖縄の 県民性なのかは不明。個人的には、海沿いに走る国道58号線のほうが好みである 。


  高速道路最南端の那覇インターに12時20分到着。
  いくらスピードが遅くても、高速を使えばさすがに時間短縮効果がある。

  市街を抜けるのと牧志市場を見つけるのに手間取る。
  しかし何とか1時前には到着。伯母3人と母を市場近くでクルマから降ろし、僕 は駐車場を探しにクルマを出す。徒歩5分の場所に駐車場を発見し、合流するべ く市場まで足で走り・・・。


  この後の顛末もここの日記を参照。
  いやはや、激走には足で走ることも含まれていたとは知らなかったよ(@_@。
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