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世代という考えは、どれだけ価値を持つのだろうか。
1970年生まれの僕は、60年代半ば生まれの「新人類」には属さず、70年代後半生まれの「団塊世代ジュニア」にも属さない。
『貧乏クジ世代』香山リカ
タイトルで買わされてしまう本というものがある。
この数年の僕の場合、『バカの壁』『頭がいい人、悪い人の話し方』『人は見た目が9割!』あたりがそれに該当する。それなりに面白く、それなりにツマラナイのが共通点・・・なんて悪口はやめよう。
著者の本職は精神科医または大学教授なのだが、多数の「ソッチ系」の著書で知られる。
「ソッチ系」というのは心理学・精神分析系と言い換えてもよい。有名なところでは河合隼雄・齋藤茂太あたりか。必死で読んでみると「まあ結局、人の心はようわかりまへんわ」となる本というんですかね。これは悪口ではないけれど。
本書を要約する。
・貧乏クジ世代とは1970年代前半生まれである。
・この世代は「自分たちは損をした」と思っている。
・でも、ホントはそんなことないから頑張りなさい。
となるか。
興味深いのは「貧乏クジ世代はバブル経済から利益を受けることなく大人になってしまった」という説明の手順である。
まさに貧乏クジ世代に該当する僕としては「そりゃまあそうだけど、そんな一般化はできないような?」という気持ちになる。
世代という枠をはめて個人を説明することはできないが、個人を突き詰めていくと世代という枠組みを与えることも「できる」のかな、というのが感想です。気になる人はとりあえず立ち読みがオススメってとこですかね。
次の本でもう少し詳しく「世代」を見てみよう。
『宗教としてのバブル』島田裕巳
バブル経済とは定義のハッキリしない言葉である。
おおまかに言えば「1986年あたりから1991年あたりまでの景気拡大期」となるのだろうか。バブル=泡という言葉が借用されたのは、実態を伴わない株価や地価の高騰が景気拡大の中心だったからだろう。よくわからないけど、まあそういう感じ。
本書は先日の日記でも指摘したように「宗教として」というタイトルがヘンな感じがするにせよ、バブル経済ってこんな感じだったのかということがアバウトに把握できる。
というのは、僕が21歳になるあたりでバブル経済は終焉(しゅうえん。終わること)したので、僕個人がバブル経済の恩恵を受け取ったり一時代としての感慨を受けたことがないからである。
>バブルマインドは、個人の欲望の充足を最優先する。共同体に所属していたとしても、共同体のメンバー全体の幸福の実現をめざして一致協力するより、個人の幸福の実現を優先する。そうした意識を持つ人間にとって、同じ共同体のメンバーは、仲間である以前にライバルであり、競争によって打ち勝っていかなければならない相手である。
この引用は、たとえば読者であるあなたが20歳前後だとすると「へ?」と思うようなものであるかもしれない。
なぜなら、今まさに20歳前後ということは80年代中盤の生まれであり、親はいわゆる団塊の世代(47〜49年生まれ)より少し下の世代になるからだ。つまり、バブルそのものは幼児期に通り過ぎたから実感はないし、「個人の幸福の実現を優先する」最初の世代である団塊の世代との接点もないからだ。
1986年生まれ
バブル期=幼児
→バブルなんて知らない
1956年生まれ(その親世代)
バブル期=初期中年
→バブルの恩恵あり、しかしバブルマインドなし
1947年生まれ
バブル期=中年
→バブルマインド高し(バブルの牽引役)
もちろんここで僕が言っているのは、「だからこの本は20歳前後では理解できない」ということではない。実感を持つことができないバブル経済や「バブルマインド」を知るための良書と言える、ということだ。
前述のように僕はバブルの恩恵を受け取らず、自分の親も団塊の世代よりも一回り(=一般に10〜12年)年上である。
1970年生まれ
バブル期=高校生
→バブルの存在に実感なし
1940年生まれ(その親世代)
バブル期=中年後期
→バブルの存在を知るも恩恵・バブルマインドなし
やはり僕もバブル経済やバブルマインドと世代的な交錯を持たないことになる。
>バブルを知らない子供たちは、今、経済主義や私生活主義には流れていかない新しい価値観を生み出そうとしている。彼らは、企業に代表される組織に依存するのではなく、独自の場を開拓し、その場を基盤に自分たちの力で、前向きに人生を切り開いていこうとしている。
本書を読んでバブルが宗教であると確信する人はいないだろうけど、「あーバブルってこういうことだったのか」と納得できる人は多いのではないだろうか。
またあるいは、団塊の世代やバブル世代という「世代というものごとのスケール」を知るきっかけにはなるかもしれない。
さらに僕自身の属する世代にひきつけて見てみよう。
『若者はなぜ3年で辞めるのか?』城繁幸
年功序列の崩壊をその答えとする本書に関して、1970年前後に生まれた世代に注目してみよう。
>1990年前後に入社したバブル世代は、その後の就職氷河期を経験した世代から「温室育ち」と揶揄(やゆ)されることが多い。採用先行で企業からむちゃくちゃなハードルを課されることもなく、さらには本人の希望通りの業界に就職できた最後の時代だからだ。
だが、企業内で彼らがたどった経緯を見れば、実はバブル世代こそ、もっとも貧乏くじを引いた存在ということがよくわかる。
1970年生まれの僕がストレートに大卒から就職にいたっていれば入社は1993年の春。
実際に大学を卒業した94年春入社の就職戦線は、まだバブル経済の余韻があったように思う。大まかに言えば、65年生まれ前後つまり現在の40歳前後が「もっとも貧乏くじを引いた」ことになる。なぜか。筆者は続ける。
>最大の原因は、彼らがあまりにも売り手市場だったことにある。
それ以前の世代を含めても、バブル世代ほど、年功序列というレールを深く信頼しきっていた世代はおそらく他にはないだろう。
本書によれば、年功序列が成立するのはその会社が常に成長を続けるという前提が必要ということだ。
会社の規模が大きくなっていくことで、上級管理職のポストが増え、年功序列のレールにのった多くの労働者に報いることができる。彼らは若い時代に安い賃金で面白くもない仕事をするという苦労を強いられるが、40〜50代になれば高いポストと高い賃金で報われるようになっている、それが年功序列の良い点だ。
バブル景気とは景気が良くなる展開であるから、それだけ会社は拡大する傾向にある。
つまり年功序列のシステムがそのまま運用されやすいように「見える」時代だったのだ。しかしもちろん、「バブル」という名前でわかるように、90年代半ばから日本経済は終わりの見えない不景気な時代に突入する。バブル時代に入社して年功序列の恩恵をもっとも期待した65年生まれ前後の世代はどうなるか。
>彼らの世代は、キャリアがいちばん伸びる時期を上から押さえつけられ、「さあこれから」という時期に成果主義に切り替わった谷間の世代と言える。
そして、なにより重要な点は、彼らより下の世代では格差はさらに拡大するだろうということだ。いまの20代は入社以来、定期昇給を知らず、代わりに成果主義の洗礼を受け続けている。10年後にはより明確な勝ち負けの差がついているに違いない。
入社というスタート地点では序列の最下位に位置するためにキャリアを伸ばす仕事をさせてもらえなかった。
30代が近づいてきた90年代半ばに時代は成果主義へ。21世紀を迎えるころには年功序列の考え方は完全に崩壊し、年功序列のレールに乗っていたはずの彼らはレールが今さらなくなっていることに気がつく。もう、どうしようもない。
大学受験というつまらないもので考えても、66年から72年あたりに生まれた世代が最も厳しい競争率の中で闘わされた。勝ち抜いて、年功序列のレールに乗ったはずなのに・・・。
つまり今35歳から45歳くらいの人たちは、確かに貧乏クジを引かされたのかもしれない。世代って、何なんでしょうね?
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