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日記も気楽に書け 8月26日
  2005年度からの日記では、意図的に文章量を増やしている。
  日常の瑣末なことに踏み入り、場合によっては意見も書く。思っていないことも書く。そうすることによって、僕の中にある何かの部分を引き出そうとしている。

  理由は他にもたくさんある。
  その一つに、もう少し「自分が書ける文章の幅」を広げたいという希望がある。エッセイの場合は固定コンテンツなので、ある程度の一貫性が必要である。一方、日記はあくまで流れていくコンテンツなので、一貫性がなくても問題はないと思う。一貫性がないものを自由に書くことで、その裏側の一貫性がある文章を作りあげようとしている。
  つまり日記を長めに書くことで、エッセイの質を上げようと思っているわけだ。

  結果が伴っていないという意見はあるだろう。
  もちろん僕もそう思う。しかし、結果というのは他者が求めることであって、当事者自身にとって大切なのは過程である。できれば結果がついてくればいいけれど、なかなかそうもいかない。たとえば受験のような締め切りのあるレースと違って、誰にも負担をかけずに続けていく内省的作業においては、結果よりも経過が重視される。


  ところで話は変わる(一貫性は?)。
  このHPに関してよく受ける感想は

「よくもまあ毎日、日記を続けられるもんだね」

というものである。
  3年半で15人くらいに言われたから、シロアリ理論でいくと450人くらいの人がそう思っているのだろう。

  ブログの流行のためだろう、ウェブ日記を始めた(始めたい)人が多いということもある。
  しかし実際につけてみると、毎日書くようなことがない、という悩みを抱えるらしい。物理的な時間不足の問題があるという人もいるだろうが、たかが10分くらいで仕上げる日記がほとんどだろうし、そもそも10分の時間を取れない人が日記を書こうとするとも思えない。つまり結局は「書くネタがない」ことが毎日続かない理由になっているらしい。


  考えなくてもわかるように、普通の大人は毎日が同じ1日である。
  日々が新しいことの連続なんて言えるのはその人がまだ子どもである証拠(悪い意味ではないが)。またあるいはトクベツな職業についている人くらいしか、そういうことは言えないものだ。

  予備校講師も同じである。
  同じ授業を何度もやるし、それは去年もやったこと。もちろん人間相手だけに多少のバリエーションはあるものの、基本は同じことの繰り返し。

  日常はどうだろう?
  毎日の生活が常に新しいことだらけ、ということはないはずだ。毎日同じように顔を洗い、排泄し、同じようなものを食べる。毎日新しい食事を作っていたらレシピがいくつあっても足りない。

  そうなってくると「日記に書くネタがない」のは当然ということになる。
  でも僕の場合は、半年に1回くらいある例外的な日をのぞけば「書くことがないなあ」と思ったことはないし、ネット上の作業の問題をのぞけば「書けなかった」日もない。しょうもない内容が毎日続いていても、ちゃんと読者は確実に増え続けている。つまりそのレベルの低さはともかくとしても、読んでくれる人がいるだけの日記を問題なく(しかも楽しんで)書き続けていける。

  どうしてだろう?
  なぜ、あまねき人々と同じように「書くことがない」生活をおくっているのに、書くことがあり続けるのだろう?


  おそらく、答えは3つだ。

1、同じ事実を違う角度から書く

  角度というのは「モノの見方」という意味でもあるし、「文章の書き方」という意味でもある。

2、同じ事実の細部に踏み込む

  肉豆腐作成1つをとっても、本当に同じ結果が出ているわけではない。そこには試行錯誤や失敗や小さな成功がある。それをどこまでもしつこく書く。

3、同じ事実を同じように書く

  ひどい話だが、これが一番書き続けるのに効果的なことだ。同じ事実に直面しても、書き手の細胞は常に入れ替わっている。同じことを同じように書く方がむしろ難しい。


  書くことがないのではない。
  同じ体験から違う文章を引き出す必要があるわけでもない。起こったことを、そのままに書く。同じことを同じように書く。そのためには、脳を使って考える必要がある。

  考えた形跡は日記に残る。
  考えた結果がそこに残っていれば、読者は読者であり続ける。読者は、今日の書き手が何を経験したかを読みたいのではない。書き手が何をどう感じてどう考えたのか、それを読むことで読者自身も考えたいのだ。だから「ここ」の日記で書いたように、事実しか書かれていない(アマチュアの)日記は誰も読まない。


  そう思っていると、日記はスラスラ書ける。
  少なくとも僕はそうだ。人々を啓蒙する目的があるならベツだが、ウェブ日記なんてものはそれほどのものではない。まして、お金を取っているわけではないのだから、読む価値があるものを書こうと心がける必要はない。同じことを書けばいいじゃないですか。

  さあ、今日の布団干しの成果は・・・(^^)
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