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性風俗が道徳的に不善であるとか、現実的に必要悪であるとか、そんなことはどうでもいい。
そんな議論をするべき人は世の中にたくさんいるだろうし、したところで現状が(つまり是認が)変わるはずもない。僕が気にしていることが1つある。
先に書いておくと、僕は性風俗を利用したことがない。
証明する方法がないが、アリバイも成立しようがないから、したことがない、ということにして頂きたい。少なくとも、利用したことがないと本人は思っている、くらいにとらえて頂きたい。
さて性風俗。
どういうものがあるのか。ソープランド、ファッションヘルス、デリバリーヘルス、ホテトル、性感マッサージ、イメクラ(これは略称?)、ストリップなどであろうか。最後の2つは割に健全かもしれない。メイドかふぇあたり(ヒマここ日記)は性風俗なのだろうか。ちょい違うか。
気にしていることが1つあるのであった。
「性風俗は、なぜに常に××のみを想定しているのか」
ということである。
いや、まあ、女性が性風俗を利用することもあるだろうが、その辺はよくわからないので、男性からの視点での疑問である。伏字部分は男性の場合、えーと、まあ、射精である。言葉がきついので、以下は「オーガズム」に置き換えておく。伏字にした意味はあるのか。
しかし。
オーガズムをゴールにするのではなく、もっと人間の根源に関わるような、基本理念としての、なんか意味不明にしておおげさで実際に意味不明なんだが、新しい性風俗があっても良いのではないか?
僕が言いたいのは、性欲具現はオーガズムだけではあるまい、ということだ。
人間の3大欲望は性欲・食欲・睡眠欲であるとされている。真偽はわからないが、「抗いがたい」という意味でそれなりに的を射ていると思われる。僕は日記やエッセイの中で、繰り返し食欲と睡眠欲について書いているけれど、性欲については全く書いていない。
なぜか。
もちろん恥ずかしいからというのはある。一応は「先生」と呼ばれる立場なんだし(実質がどうかという議論はおく)、世間体というものもある(じゃあこのエッセイはどうなんだという議論もおく)。実は、性欲をきちんと描写できないからなのでは、と考えている。
上記のように、たとえば男性であれば、性欲すなわちオーガズム欲、というような公式が成り立っている。
そうだろうか。本当に性欲はオーガズム欲に置き換えるだけで済むのだろうか。オーガズムという具現を選べない種類の性欲が、我々の肉体の中にひそんではいないのだろうか。その名付けられることもない「性欲」は、僕に限らず男性に限らず、女性にもニューハーフ(古いよw)にも、もちろん性同一性障害者にも与えられているのではないか。
ゆえにここで、新しい性風俗の提案をしたい。
我々人類の性欲はオーガズムだけに限定されない、ということを立証しようという試みである。3つの「じゃれ」である。
1、手じゃれ
手でじゃれあう性風俗である。
「それそれ!」
と思った人は女性読者に多いと思われる。男性は、女性の手や指を「その向こう側にあるものを前提とする」、いわば「前菜」のような感覚でとらえている(メインディッシュは? などの質問は禁止)。が、女性にとっての男性の手や指はそうではない。男の手や指は、女性にとっての性欲充足手段そのものになりえるのだ。
本当かよ、と思ったそこの男性。
女性が、どれほど興味を持って貴方の手指を見ているか、その視線に気付いたことがないのですか。小説を読んでみよう。男性作家に比べて、女性作家は異様なほどに登場男性の手指の描写にこだわる。注意して読むと、
「その手の甲に浮き上がった血管が」
などという描写は日常である。少なくとも女性にとって、手じゃれは新しい性風俗になりうる。「全ての女は手フェチである」と断言しても、それほどの苦情は来ないと思われる。
どういう「現場」がよろしいであろうか。
客の男女比率は、3:7くらいであろう。手はいろいろな種類を用意しておきたい。男性の手には「無骨」「あたたかい」「血管浮き出し」「女のよう」「頑丈」「しわしわ」「バクチ打ちの長い指」「赤ちゃんのごとく」などが必要だろうか。女性の手には「白魚のごとき」「母親」「ささくれ」「男性的」「大きめ」「小さめ」「きゃしゃ」などが必要だろう。
あくまで、手じゃれしか楽しめない。
手で何かしてもらおう、なんていうのは男性的オーガズム型性欲の希望図である。客と「手」は、ただひたすら手でじゃれる。駅のみどりの窓口で切符を手渡すような状況が良いであろうか。もちろんお互いの顔は見えなくてよい。ひたすら、手でじゃれあうことで性的満足感を得る。かなり流行するであろう。
2、足じゃれ
足でじゃれあう性風俗である。
「それそれ!」
と思った人には男性が多いだろう。足ではなく「脚」、つまり足首より上の太ももなどが入ってくると、どうしても別の話になるので(必ずストッキング問題に話が及ぶんだよなw)、ここでは足のみでじゃれて頂きたい。
状況は、もちろん、掘りごたつ。
もう、この状況だけで満足かもしれない(僕が、じゃないよ)。条件としては、実際に掘りごたつを利用して、暖かくすることだろう。足先が冷たいという人は店員に向かない。詳細略。
3、ハグじゃれ
ハグでじゃれあう性風俗である。
「・・・・・・」
となったのではないか。ハグつまり抱き合うことそのものは、オーガズム型ではない性欲充足の最大最強手段である。古い比喩を使えば、「アルテマウェポン」にして「マステマ」であり「つうこんのいちげき」である。しかも、男女にほぼ共通する性欲である。さらに、相手が同性であることも障害にならないケースが多い。
スポーツを見よ。
サッカーでゴールを決めた瞬間。男子同士でも、熱く抱き合うではないか。あれは性欲ではないのか。野球もラグビーも同じだ(相撲は違うが、あれは礼儀・礼節の世界だし個人競技だ)。女子バレーでもそうでしょう。1ポイント上げただけで逐一ハグ、である。
喜びの共有→ハグ=性欲
という公式が成り立つ(かな)。
試してみよ。
独りハグをやってみよ。両手で自分の胸を抱きしめてみよ。腕が自分の肉を、自分の肉が腕の力を感じないか。右手は左手の筋肉を感じないか。とてつもない安心感をココロのどこかに感じないか。否定できまい。ただし、人前で独りハグをすると変態扱いされるので注意だ。僕はいま、まさに独りハグを自室で楽しんでみたが、これでも変態のような気がしたくらいだ。本当に実験するなよ俺。
異性同士を考えてみよう。
男性は、女性の胸を感じることが多いだろうか。しかしハグというのは接着面積が大きいから、叶姉妹みたいなのは別として、おっぱいの存在はあまり感じない(但し、巨乳フェチ男子は除く)。正確には女性の背中や腕を味わっているような気もする。包みこむことで自分の男性性を意識し、腕の中に包み込まれている女性性をいとおしく感じるはずだ。
女性はどうか。
抱擁、というイメージが強いのか。物理的には自分が包み込まれているけれど、精神的には自分の子どもを抱いているという感覚が強いのではないか。母である、または母になりうる自分の女性性を自覚する。同時に、幼いころの父親の記憶を呼び覚ますかもしれない。自分が守っているのに、守られてもいるという背反する感触がある。これを根源的な性欲と呼ばすして何と呼ぶべきか。
店を開こう。
あらゆるタイプの「ハグボーイ」「ハグガール」が必要とされるだろう。言い換えれば、誰でも構わない。客はその日の気分で相手を選ぶ。
蝶ネクタイ「お客様、今日はどのようなタイプを?」
男「そうさなあ、疲れているから、ムッチリしたところを頼もうか」
女「えーっとぉ、なんか、弱っちい感じのがいいんですけどぉ」
男「ガッシリしたラガーマン、お願いします」
女「あの、その、豊満な、その、ええと、トツゲキしまーす!」
などなど。異性に限らないのが、良い。
デティールがむずかしい。
顔は見えないほうがいいが、お面をかぶる(ウルトラマンセブンなど)とまでいくとやり過ぎか。サングラスと立体型マスクくらいで。表情が見えないくらいで、それが人間の顔や頭である、くらいの安心感は欲しい。
大切なのは衣服だ。
ハグには手じゃれや腕じゃれも伴う。手は出しておくべきだろうが、腕は隠すべきか。衣服の向こう側に肉があるという感触も大事だから、薄手の丸首トレーナーくらいがベストだろう。セーターフェチ等のお客の要望にはオプションで対応したいところだ。
そうだ、ハグこそ新しい性風俗の王様となりうる。
我々はハグの中に同性を感じ、異性を感じ、母や息子などの血のつながりを感じる。性欲とは、自分には先祖がいて子孫がいるという、
自分は生命の鎖の一部であること
を自覚したがる欲望である。誰かが満たさなくて、どうする?
追記:賢明なる読者様はお気づきのように、非常に真面目な話題である。このエッセイを「下ネタ」と思ったならば、失礼ながら救いがたいほどのお利口である。我々は、性の問題を生の問題から遠ざけることに慣れきってしまったのではないか。セックスレスカップル・夫婦の増加問題は、いちどき騒がれた(が、すでに皆が忘れた)「生きる力」の問題とリンクさせるべきである。性の復権は、生の復権でもある。D.H.ロレンスが提唱し、僕が引き継ぐ、といえばゴーマンなのだが。
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