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『よびわる』は帰ってきたのか? 11月1日
  ある冬、このHP『よびわる』の無期限休止が発表された。
  2008年1月31日午前9時のことだった。

おお、なんかドキュメンタリー風!

じゃなくて(真面目にやれよ!)、続いてトップページが削除されたのは2月1日午後3時で、休止が解除されたのは同月2日午前0時のことだった。発表から39時間後になる。もちろん計画的犯行であった。

  以下はいずれも別ウインドウで開きます。

1月31日の「最後の」日記
2月1日の「再開の」日記


  計画は用意周到に行われた。
  管理者である僕とサポーター(技術上の管理をする人)は綿密に打ち合わせをした。1月18日から31日までの往復メール数は36通。

突然の「無期限休止宣言」→なんちゃってボヨヨ〜ン

を提案したのは僕であった。

  一般に、ウェブのコンテンツを休止なり廃止なりする場合は、1週間前程度の事前告知が常識である。
  読者様にこころの準備と物理的な準備をしてもらい、管理者とそのページはすみやかに消えていくものだ。しかし僕には考えるところがあって(後述)、いきなり無期限休止を告知するぞとサポーターに伝えた。しかもトップページ以外のリンクを全て切って告知するぞと。僕はクライアントだから、決める権利がある。


  サポーターのメール。

>うあ、ほんとにクローズする気だよ!と、思わせるようにメニューはずしませんか?

  そこまでやるなよw
  サポーターはメニューを外したトップページを用意し、僕は先書き日記をアップし、ついに「無期限休止」が実現した。「最後」の日記をアップしたぞとサポーターに連絡。サポーターは即レス。

>日記読みました。壮大な罠が張られてますねw

  ひどい話である。
  愛読者をハメてやろうと2人で必死なのである。なにしろ、クライアント(僕)がこういう性格だから仕方がないのである。壮大なワナ、ね。


  話がそれる。
  1月31日の「最後の日記」に書いたように、「いつか終わらせなければいけない」と思っているのは本当のことである。言うまでもない。永遠に続くものはない。読者様が幕を下ろす、つまりそのウェブサイトを見ないことは簡単だ。僕もそうしていくつかのサイトを捨ててきた。が、ウェブサイトを管理する人にとっては難しい。恋と同じなのだ。自分から切るほうが難しい。つらい。

  疑似体験を目指した。
  もうこれで終わりとなれば、何をするべきかを考えた。正確に言えば、何を書くべきか、かな。幕引きは突然であるほうが美しい。簡単な総括があり、さっと消えていく。感傷を残したとしても、演技の範囲内にとどめる。

  そして、もう1つを狙いにした。
  読者様に、これまでを振り返ってもらいたかった。今まで「よびわる」を読んできたのは何のためだったか。明日から、朝の、夜の、無駄な時間を過ごすという「よびわる読解」の時間を何で補おうか。「よびわる」がなくなることで、何を失うのか、何を手に入れるのか。

  そのために、過去のリンクを全て切った。
  ウェブサイトなんてものは、いつも残らない。何も残らない。残そうとすればどうにでもなるけれど、消されてしまえば残るのは記憶と経験だけだ。これは以前のメディア界の大発明であった印刷術の発達と大きく異なるところだ。そういう喪失感を覚悟している人だけが、ウェブサイトを読む資格がある、と個人的に考えている。

  ウェブは、どこまで行っても今という時しか語らないし、存在しない。
  これは、作り手と読み手が同時に知っておくべきことだ。ウェブは、それをなかったことにできる、あるいは逆にあったことにできる、そういう消化能力のある人にとってのみ価値のあるものだ。自分の物語を作れない人は、いつまでもTVと同じ感覚でウェブに触れていればいい。悪いことは何もない。僕はそういう人と仲良くなりたくはないけれど、お互い様だろう。


  話を戻す。
  「無期限休止宣言」の直後に、たくさんのメールを頂いた。公式アドレスへのものもあれば、僕の個人アドレスへのものあった。僕がリアル社会で知己を結んでいる人もいれば、そうではない(つまり僕からすれば知らない)人もいた。失礼して、メールの1部を引用させていただく。全て別人。引用の下が僕の感想。返事ではない。


>筒井康隆も「わたしゃ、プッツンしました」から復帰されましたし、先生も心身ともに休んでいただければと思います。

  疲れるのは事実ですよね。
  毎日というのが死ぬほどつらいです。数日おきとかだったら、誰でもできるでしょう。筒井康隆の文章は僕が目指す文章の1つの姿です。この読者様は

>(よびわるの文章は)レトリカルなエンターテイメント

ともお世辞を書いてくれました。ああ伝わっているのか、というところ。


>今度は何かするのかな?

  これは「廃止」と受け取ったご様子。
  意外に僕にとっては痛い言葉だった。HPを終わらせたからには、代わりに何を始めるのか、ということだ。誰かが書いていたように、能力のある人(天才?)は「気がつけば別の場所にいる」ものだ。同じ場所にいつまでもいるのは、それだけの才能。それがわかっていて僕は「よびわる」を始めたし、「何か」をまだ見つけられなくて続けることになった。


>明日いきなり「なんちゃって(笑)」というようなオチはなしですよ^^;

  読まれてるし(-_-;)


>またエッセイから、信原先生の紹介される本を購入することも多々ありました。

  ああ、こういう読者様もいるのですね。
  何度も書きますが、開設時からの4年間で約600冊の本を読みました。後半の300冊は全て紹介したはず(エッセイ化を待っているのが30冊くらいあります)。かなり下らない本が多くて「こいつはバカか」と思われているでしょうが、事実なのでどうにもならないな。これも前に書きましたね。


>日本酒の紹介も日々楽しみにチェックしていました

  ええぇ!
  まさか、いたのか。書いてみるものですね。純米酒のヌル燗、どう見ても受験生には関係ないだろって話題です。だから書いているのだけど。


>僕もブログを開設させてからは色々な横槍が入り、(中略)閉鎖させたので・・・

  5年続けるとはナカナカのもの。
  よほどの「横槍」が入ったのでしょう。訊いてみると、仕事先からの横槍だったとか。僕も2年くらい前に「注意」されたけれど、「やめてください」という注意ではなかった。僕のところには、ヘイトメールがときどき来る。上記のように、ウェブとは存在しない場所と僕は考えているので、完全に無視している。


>最後の日記のネットの進歩と予備校業界、予備校講師の無関係さの記述はとても面白い考察でした。

  微妙な内容だったと考えています。
  意見ではなく思考、思考というよりも思索、思索の開示というよりも思索の提示、という発想で書くようになりました。2006年度からその傾向。開設時の2004年の日記はウブでどうしようもない。が、ケッコウそれも好き(*^_^*)


>1月31日、突然、無期限休止の知らせ。
ついつい自分のブログで追悼式を行ってしまったではないですか。

  ははは、よくある苦情。
  でも、上に書いたように、そうして振り返ってもらうことで、この壮大な物語(じゃないけど)から、読者様が自分の物語を作れるのではないでしょうか。僕が書きたいことを書いているというより、読者様が好きなように読めるように書いているつもりです。追悼式の翌日のエントリー(ブログでアップする記事のこと)が読みたいですね。


>旧HPの最後の日記は、3回も読み直しましたが、ジョークである事を匂わす部分は無かった、と思いましたし、本当に閉鎖なんだなと、体制側の圧力が相当だったんだろうなと、同じフリーランスとして心中お察致しますとメールを送ろうと思いましたが、多少なりとも貴方のキャラを知っているので、一日様子を見て、あぁ、やっぱり…。

  ジョークではないわけです。
  体制側の圧力は全くなかったし、これからもないと思います。もし万が一あったら、ちゃんと書きます。僕はフリーランスというわけではないから、所属する組織の言うことは受け入れなければいけない。もっとも、肝心かなめの内部情報などを一切書いていないことは、関係者には周知のことでしょう。

  ただ同時に、個人としての僕もちゃんと存在しています。
  それなりの意思表明はしなければいけない。たかがウェブでも、実名でものを書くというのはそういうことです。ま、古い日本人には理解されない思考システムかな、とも思います。


>『休止』のお話ですが、まったくもう。
しかも『再開』後の「期待してみたんでしょ」的なところで、くそぉ〜ってなってました。 一月末のは何回も読み直したんだよ!
アニメの最終回みたいに!
ああいう罠、大好きなので、期待しておきます。

  こちらでもモリモリ釣れているようです(^^)
  31日午前9時から24時間のアクセス数は、ふだんの4倍(3268)でした。トップページ以外はクローズしたから、トップページだけのアクセス数でその数字。同じ読者様が時間をあけて(1回ブラウザを閉じてから)再訪問して、「最後の日記」を読み返した人が多かったんですね。

「ああ本当に終わりなのか」と。
「もっとちゃんと読むべきだった」と。
「これで終わる程度だったのか」と。

このワナはあと4年間封印します。



  キリがないのでこの辺で。
  まだまだアクセス数は少ないけれど、「よびわる」もちゃんと育ってきたのだな、という感慨でいっぱいです。ありがとうございます。当初の意図の1年間で終わらせていたら(これは本当)、こういうレスは貰えなかっただろうし。業界から追われなければ、少なくともあと4年間は普通に継続します。

  さて、「育ってきた」の本当の主語は何ですか?
  何が帰ってきたのでしょう?



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