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左が僕です  










































































「どこが?」と言われても困る。  


































当時のままなんだろう。  


愛称は「デゴイチ」。  


左奥が駅舎  




  

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essay エッセイ
鳥取・島根激走! 3月12日
前記:2009年11月の記録。

  やれやれ、また鳥取砂丘か。
 この砂丘には「馬の背」と呼ばれる場所がある。ただ単に砂がウマの背中のように盛り上がっているだけだ。でも、ここを訪れた人は、とりあえず

馬の背を極めようと

歩を進めることになる。母が僕に質問する。

ロバか何かがいるんじゃなかったの?」
「あれは勝浦(千葉県)の月の砂漠じゃなかった?」
「あれはラクダじゃないの?」
「お、馬がいるぞ」

まだ朝の9時だから、観光客の数は少ない。我々は鳥取空港からここに直行したのだ。


 山陰地方は2回目だ。
 3年前、具体的には2006年の秋に来ている(ヒマここエッセイ)。しかし今回は母を連れてこねばならず、彼女は車が運転できないから、こうして

鉄道ではアクセスしにくい観光地

をめぐることになる。もっとも、上記のエッセイにあるように、鳥取砂丘は鳥取駅からバスで20分程度。


  クルマを出す。
 山陰道のなんとかという無料区間(当時)を抜けて大山に向かう。ダイセンという山である。大山寺というのが山の中腹にあるらしい。あんまり楽しくなさそうだけど、たしかにクルマじゃないと行かないだろうし・・・。

 途中、11時くらいに道の駅に寄る。
 名前は覚えていない。カニのシーズンが開幕したとかで、カニ汁の無料サービスがあった。2杯も食べる。大山(寺)に着いたのはお昼過ぎで、なぜか牛の銅像がある。効能書き(でいいのか?)。

>牛の鼻をなでると嫁が来ます

嫁じゃなくて健康だか幸せだったかな。念のため、撫でる。


 移動して松江の『足立美術館』。
 庭園が有名なところで、この地方へのパックツアーなどには必ず組み込まれている。ここに来るのは僕も初めて。なるほど庭園は見事だったけれど、肝心の美術品が今ひとつ。北大路魯山人の焼き物をいくつか見られたのが収穫。

 移動して境港へ。
 水木しげる関係で有名なところ。町のあちこちに妖怪のオブジェが立っている。はぁそうですか、といったところ。

「すごいな日本の観光地」
「だから何って感じね・・・」


 皆生(かいけ)温泉泊。
 2日目は中海を経由して松江市内へ。中海というのは、日本海と宍道湖をつなぐ湖で、真ん中には大根島という島がある。クルマでこの島を経由して渡れるようになっている。この手の、

いわば海中道路

は全国的に増えていて、どこを通っても楽しい。思いあたるところ、他には沖縄本島と諫早湾。

 さっそく松江城へ。
 松江には3年前の旅で宿泊したけれど、この有名な城を見ていなかったため。母は何の興味もなさそうだったが、城フェチの僕がパスするわけにはいかない。萌える。

石がたくさん積んであるところとか、とくに。

面白かった。あまり共感は得られない感想なんだそうな・・・。


 宍道湖北岸をドライブ。
 非常に良い景色。宍道湖は横(東西)に長いが縦(南北)が狭く、南岸を望めるのが良い。道路もよく整備されていて、しかもほとんど湖岸を走るのがまた良い。一畑電車と並行しているのも良いが、まあそっちの話は今回はパス。

 またもや巨大なネジリハチマキを見る。
 あ、出雲大社ね。命名はくじらくんです(ヒマここ日記)。ここは後述の事情で鉄道利用によるアクセスが悪く、母は「とにかく出雲大社が優先だ」と言っていた。どう見てもハチマキにしか見えないんだが、そういうものだろうか。

 旅の終わりは見えてきた。
 今回は慌ただしく1泊2日ということで、出雲空港から飛行機で帰ることになる。早い午後に2時間ほど時間が余ることも織り込み済みで、移動距離が長かった。そして、結果的に

僕がこの旅で最高の喜びを覚えた場所

に、ぐうぜんたどり着いた。


 大社駅跡。
 旧国鉄の駅で、1990年に大社線の廃止と同時に廃駅となった。出雲大社まで徒歩15分くらいのところにあり、大社詣での人々でにぎわったこともあるそうだ。それが当時のまま保存されている。僕はこの事実を前もって知っていたけれど、実際に行くことはないだろうと考えていたし、そもそも存在を忘れていた。

 ほぼ全てが保存されている。
 駅舎の中には大きな切符売り場がある。当時の運賃表も残されている。出入りも見学も自由のようで、そもそも人の気配がない。ホームに出てみる。駅舎に沿った1本と、もう1本が残っている。2・3番線に相当するホームには、蒸気機関車が静態保存されている。


   もともと、終着駅である。
 北の方角へ向かった線路は行き止まり。南へ向かうほうには軌道跡がわずかに残っているが、公園か何かに変わっている。だからそこで線路は切られている。かつて鉄道が走ったレールが、行き場もなく残されている。

 駅舎には大きな出札口がある。
 おそらく団体専用のものだろう。大社詣でが全盛だった時代には(たぶん、ほんの50年くらい前のことだろう)寝台特急『出雲』から降りる客がたくさんいたはずだ。20年ほど放置されてはいるが、ある程度まで手入れをしているのか、朽ちてはいない。客と駅員がいないだけだ。

死んでしまった駅は悲しい。


 晩秋の午後3時ごろの訪問だった。
 陽は傾き、人は誰もいなかった。ここから車で30分も走れば出雲空港である。テイクオフは午後5時ごろ。ちょうど良い時間つぶしの観光になった。僕と母は車にのりこみ、古い駅から去った。
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