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原点は常に更新 |
11月27日 |
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9時半起床。
8時前に目が覚めたのに寒くて起き上がる気にならず、夢を楽しんでいた。夢
は以下の通り。
・吉祥寺駅から6時9分に出発する特急に乗らねばならないのに、僕は5時45分
に市川市本八幡にいた。「ふふ、ここから特急に乗れば間に合うぜ」と駅に駆け
込み、駆け込み乗車。気がつけばのったのは京成電車。あの、これじゃあ吉祥寺
に行かないんですけど・・・。
そんなことを言われても、千葉県民にしかわからないだろう、すい
ません。
朝食はうどん。
ヤマイモをすり下ろしてつけ汁に投入したから、トロロウドンになります。あ
たたかくてトロトロして、冬の朝にはなかなかいいですね。何となく病後食みた
い。
11時からプール。
とても寒いので、泳ぐ前に風呂に入ってからサウナにも入る。サウナにいるあじ
さんまたはおじいさん達はほとんど汗をかかない。僕
は運動後だと入って2分くらいで汗ダクになるけれど、彼らは5分くらいたって
も体が「じわっ」としてくる様子もない。10分くらいで汗がにじみ出る、くらい
だろうか。そんなに汗かかなくて大丈夫ですか、と思うくらい発汗に時間がかか
る。
加齢すればそれだけ代謝が悪くなるからだろう。
僕も20代のころに比べると、ずいぶんと汗をかかなくなった。それ
だけ太る危
険が増していることにもなる。中年または中高年にメダボ腹が多いのは当然であ
る。むしろ、その年齢でも太ってこないというのは、よほど体質に恵まれている
か、よほど体重管理に気を使っているからだろう。とうぜん僕は後者を目指して
いる。しかし、中年太りって40歳前後からが怖いんだよな・・・。プールは24分
。
スーパーに寄ってから帰宅。
1回荷物を部屋に置いてから外出。今度は昼飯を食べに行くのだ。今日の狙い
はいつも行列ができているラーメン屋さん。この街では2番人気なのかな。
お昼も大きく過ぎていたので行列なし。
チャーシュー麺。カツオブシとかニボシのダシのわりには脂っこい。麺はずい
ぶんアバウトなゆで方をしていたけれど(もちろん注視していた)、なかなか旨
い。たぶん全体的には美味しい店の1つなんでしょう。それにしても950円っての
は高すぎるでしょ。
帰宅して歯を磨いてからコーヒー。
やっと落ち着いたと思ったらもう午後も真っ只中。何もしてないうちに1日が
終わっちゃうぞと慌てながらも落ち着いて読書。
『二十歳の原点』高野悦子を読了。
1969年6月24日に、二十歳と六ヶ月で自殺した立命館大学の女子学生による日
記。
多くの箴言が心を打つが、どうして死ぬことになったのかが僕にはわからない
、という点が不服。
本書は題名に記憶があった。
かなり古い本(初版は昭和46年=1971年)なので、どこかで(新聞とか)ある
いは誰かに薦められたことがあったのかもしれない。文庫本の裏表紙の解説を読
んで、これが「(書き手が)死に至るまでの日記」であることを初めて知った。
1969年前後に盛んだった学生運動のことをよく知らない。
もちろん多くは書物でその当時の状況や世相を振り返る(知る、か)機会はた
くさんあったし今もあるけれど、実感としては当然のようにしみこんでこない。
僕の親世代はすでに学生という年齢ではなかったし、そのころに生まれた僕が世
界を知り始めたころには学生運動は過去のものだった。世代のズレがあって、口
頭伝承を受け取らなかった、という言い方もできる。
その時代に生きた女子大生の日記だ。
学園紛争の嵐の中に加わり、あるいはまきこまれ、酒を飲み、ジャズ喫茶で音
楽を聴いて煙草を吸い、なにかでじくじくと悩みながらアルバイトに明け暮れる
大学生だ。あるいはひょっとして、当時の大学生の典型だったのかもしれない。
詳しい感想文はエッセイに譲る。
日記は著者が二十歳になった1月2日に始まり、自殺する2日前の6月22日で
終わっている。著者の父親の手になる著者年譜には「24日未明」に鉄道自殺とあ
る。最後の日記は22日の深夜の記述(睡眠薬による自殺の試み)で終わっている
から、この日記を書き上げて24時間ちょっとしたところで、自殺したわけだ。6
月17日の記述。
>ああ、人は何故こんなにしてまで生きているのだろうか。そのちっぽけさに触
れることを恐れながら、それを遠まきにして楽しさを装って生きている。ちっぽ
けさに気付かず、弱さに気付かず、人生は楽しいものだといっている。
すばらしい言葉だと思うのと同時に、下らない馬鹿め、と思うところが僕には
ある。
自分がちっぽけで弱いことを知るから、楽しい人生を作るもんじゃないのか。
与えられた弱さを克服しない、克服しようとしない人間なんざ、生きている価値
はない。とまでは言い切れない部分もあるんだよな、たぶん良書です。
上記の本に関するエッセイを書こうとしたがまとまらず。
内容が深くて、掘り下げていくのが大変。感銘を受けた本はちゃんと自分の中
で消化しようとすることが大事(消化できなくても良い)なので、じっと考える
ことしばし。本の内容と自分の思考を照らしあわせて、どこからどういう知恵を
得てどういう変化があったのかを考える。「良かった」で流してしまう読書もあ
れば、言語化することで自分の中に取り込みを図る読書もある。とうぜん優劣は
ない。
この手の考え事をするのは大好きだけど、休日のような「時間無制限」のとき
でないと駄目かも。
今日は何といっても仕事があるんだし。それでも、仕事が全てではないという
生活はいいものなのかもしれない。ざっと家事をして、出来合いのピザを食べて
から出勤。
2年生はいつものようにコッテリした長文の和訳。
>神々が天と地と海を創造したという神話
なんていう英文が出てきた。
少々の余談を入れる。神様が複数存在するという話。そこで話さなかったのは
、日本の「神様」のこと。一般的な日本人の場合、つまり信心・不信心というこ
とを除外すれば、具体的な「み姿」を描けないということ。戦前の日本では天皇
陛下が神(が具体的な形をとった姿)とされていたし、道端の神社で習慣的に手
をあわせうお婆さんは無形の神の姿を「見ている」。
「神話」の話。
ヤマタノオロチが八つのクビを持った竜を・・・という意味の「神話」と、「
みんなそうだと思っているけど実は真実ではないこと」という意味の「神話」が
ある、ということ。受験で myth が出題される場合は、まあたいていは×者のほう
で・・・なんていうこと。
今年の3年生は前回の定例で出題されたからわかるでしょう。
単語集的な暗記だけではなくて、文脈とセットでその単語の意味を(和約でき
なくても!)把握するという勉強をやっているわけだ。時間に余裕がある2年生
だし、ハイレベルのクラスだから可能なことではある。そろそろ「神話」という
日本語を知らない大学受験生も増えてきている時代かもしれない。
帰宅して夕飯。
イカ刺や一昨日のシメサバや湯豆腐やモロキュウなど、いつものメンツで。特
筆事項はヌル燗か。え、特筆じゃない? おれ高校生だって? そんなん知るか
い、俺様は大人だ!(年齢だけ)
埼玉県は神亀酒造の『真穂人 手作り純米』。
この神亀という酒蔵はあちこちの本で見かける(ヒマここ)。堆肥だけで育成
したという文句の酒米は「五百万石」。これもどこかで読んだような。耳年増か
らの脱却を目指して、高かったが(1升で3.000円くらい)買ってみた。
常温で試すと、すっとした呑み口。
たぶん中辛口程度だろう。クセがほとんどなく、水に近いとは言えないが酒の
味だけするというところ。これは期待できるな、とヌル燗に。
きわめて美味(*^_^*)
やはり中辛口に分類されるだろうが、僕は旨い日本酒を甘めに感じるタイプで
、これはちょうど中口(甘口と辛口の中間)に感じられる。雑味が全くなく、白
湯を飲んでいる感覚に近い。香りが少ないので一般的な評価はそれほど高くない
と思われるものの、味は絶品と言える。クセがなさすぎてツマラナイ、という意
見もありそうだ。でも、これは今年の「俺的ヌル燗グランプリ」になりそうな気
がする。
原点は常に設定される。
偏差値が41から始まった受験生がいれば、それが彼・彼女にとっての原点だ。
『八海山』からヌル燗を勉強し始めた大人がいれば、それは彼にとっての原点だ
。原点は戻ってくる場所ではない。そこからどこへ飛躍していくか、いけるかを
測る基準点である。自分の「ものさし」で自分を測るためには、基準が必要なの
だ。
だから、我々はいつも原点を更新する必要にかられる。
同じ基準点でいつも自分を測り続けるわけにはいかない。いつかは最初の原点
から離れ、そして離れすぎて、距離感がつかめなくなる。新しい原点を決めるこ
とが生き続けることの意味なのだ。生きることの意味ではない。
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