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正しい着手は闇の中 |
12月11日 |
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8時起床。
10年前の同僚がマンションの隣の隣に住んでいて、そのお父様が亡くなった、
という夢だった。しかも隣の部屋には高校のときの国語の先生が住んでいるとい
うオマケもついてきた。前者はわからないけど、後者は昨日の日記で高校時代の
ことを書いたからだろう。
さすがに8時間も寝ると飽きますね。
リビング・ダイニング・書斎の換気をして、ざっと部屋を整理して、朝食の下
準備をして、エントランスに新聞を取りに行き、窓を閉めて暖房を入れて、朝食
を作る。新聞を読みながら食べ始めるときにはやっと頭も体も起きてきます。少
しずつ部屋もあたたかくなっていく。
毎日新聞、文字が大きくなりました。
またかよって感じです。ジャンボな文字でJ字というそうです。Jリーグじゃ
ないんだから、名前までつけなくたっていいでしょう。文字が大きくなったこと
で記事が薄くならないようにレイアウトに配慮、という触れ込み。いやいや、も
ともと内容スカスカが良くて読む新聞だから、そんな配慮しなくていいんですよ
。
9時から予習。
じっくり丁寧に読み直し、見直す。今日は2年生の「国公立ゼミ」の話題です
。4センテンスでいきましょう。ハンパだよ。
一種の展望ゼミで、最上位とはいえないあたりの国公立の長文を扱うもの。
この講座を僕が担当するのは2年連続2回目。ハイレベル対応のクラス設定なん
だけど、低学年の「ハイレベル」って実力にかなり上下差があるから難しいんだ
よね。言い換えれば、現状の実力に関係なく
「このくらいのレベルなのか」
とい
う実感を持ってもらえればイイ、というところでしょうか。
ガス器具の点検に業者さんがやって来る。
もちろん事前告知あり。向こうも平日の午前中に初期中年男性が出てくるとは
思わなかっただろう。問題ナシ。次回は3年後ということ。そんな頻度
で大丈夫なのかしら。そのころまで、この日記は続いているのかな?
お昼前に昼食を取りに出る。
少し家から離れた中華料理屋さん。ランチメニューがないけれど、ガテン系の
客が数多く出入りしていることをチェックしておいた。夫婦2人でやっている程
度の規模の店。肉入りチャーハン。普通の味と量。選択肢の1つには入れておい
てもいいか、くらい。
その足で新古書店へ。
あれ、前に行ってから1週間もたってないじゃないか(いま日記をチェックし
たのです)。手持ちの本がなくなるんじゃないかという心配から抜けられない。
とりあえずの未読本は20冊くらいあるから年内は余裕に決まっているけれど、ど
うやら不安神経症のたぐいらしい。こういう病名があるのか知らない。
8冊ゲットして帰宅。
もちろん読書。もう病気なのだ。止められないのだ。
『頭脳勝負』渡辺明を読了。
著者は現役の将棋棋士(ブログはここ)。ときどき日記に出てくるように、現
在は「竜王」のタイトルを持つ。
>本書では、将棋を面白く指す、または観戦するための知識とともに、人対人だ
からこそ面白い、ということも理解してもらえればと思います。
後半では、技術的な話もするので、図面と符号を使いますが、極端に難しいこ
とは書いていないので「チンプンカンプンです」ということにはならないはず。
「でも難しいよ!」という方は雰囲気だけでも味わうつもりで軽く読み流して下
さい。それでも楽しんでもらえるはずです。
将棋の世界を紹介する本である。
将棋の本というと、書店の「将棋(囲碁将棋)」のコーナーにいかなければ見
つけることができない。そういうコーナーに行く人は初めから将棋に興味を持っ
ているから、いつまでたっても将棋は閉塞された世界でしか展開されない。将棋
は文化なので継承する必要があり、その面白さを知ってもらうには将棋を知らな
い人に伝えるメディアが必要になる。書籍の世界で「将棋の普及」をするならば
、本書のように一般の新書として発売される本が望ましい。
将棋棋士による一般書というと、どうしても「将棋の考え方・世界観が他のジ
ャンルに活かせる」というものになる。
羽生善治の『決断力』がそうであるように(ヒマここエッセイ)、「将棋に限
定されないもの」がコンテンツとして商品力になる、というものがほとんどだ。
しかし本書には、
「将棋を知らない人に将棋の面白さを伝えよう」
とする意識が
明確にある。巻末の付録には将棋のルール解説や観戦方法が記されているように
、将棋のルールが全くわからない人を将棋界に呼び込もうとする努力が見られる
。
もしケチをつけるなら、将棋をある程度知っている人には物足りないこと。
図面を使って棋譜(将棋の差し手のこと)を解説する部分は少ないし、棋士の
紹介も表面的で踏み込みが足りない。「竜王なんだからもっとスルドイことを書
いてくれよな」という面は確かにある。
しかし、これは明らかにケチをつけているだけで、本書の評価をすることには
なっていない。
著者の意図は将棋の閉塞性を「ひらく」ことにあるのであって、将棋ファンを
満足させることにはないからだ。たとえば、将棋のことを何も知らない人に、
「羽生善治が対局中にため息をつくのは、対戦相手につまらない手を指すなとホ
ノめかしているのだ」
なんていうことを語っても面白くないのだ。本書のように、
>(著者が小学生のころには既に羽生はスーパースターで)デパートで開催され
る将棋祭りの撮影会で写真を撮ってもらった
とあるほうが、将棋を知らない人にとっては「へー、あの公文式の羽生名人って
そんなにすごい人なのか」と思えるだろう。
コンピューターとの初めての対戦でも知られるように(ヒマここ)、著者は将
棋の普及・情宣活動にもっとも熱心な棋士の1人である。
いつまでも将棋好きだけが集っていても仕方がないから、将棋好きを増やすよ
うに「内輪」の人々は世間に働きかけていくべきだ。「将棋ってナニ?」という
人から、「あ、将棋。子どものころ指したことあるよ」というくらいの人まで、
多くの人(以上で全人類の99%くらいかw)に読んでもらいたい。口述筆記なの
で読みやすいのもグッド。
午後も予習少々、のちプール。
帰宅して出来合いのピザを食べてから出勤。2年生の2Bターム最終授業。「最終授業」と言えば授業衣装はスーツが原則
なのだけど、2年生ということもあり、雨模様ということもあり、失礼してトレ
ーナー姿で。ラストの感慨があるわけでもないから、見逃してください。
トレーナーで授業をすることはほとんどない。
暑いからだ。しかし今日は2年生なので動きが少ないし、人数も少ないから暑く
もないだろうという判断。今日着ていったトレーナーは98年以前に買ったもの。
98年の2月は長野オリンピックがあって、スキーのジャンプを観たあとで出勤し
た記憶がある。そのときに着ていたのだ。言い換えれば、通年授業で2年生を担
当するのはその年以来だ。
校舎に着けば講師室はガラガラ。
3年生の授業がないからだ。市進の映像授業であるウイングネットの撮影をし
ている講師がいるくらい。彼に「おごってやるよ」と飲みに誘われたが断った。
終業時間が違うし、夕飯の支度もしてきたし。そもそも、ウイングネット講師な
んて一流中の一流、キングオブキングス(キリストではない)だから、同席する
なんて畏れ多いし。わしら非ウイングネット講師にとっては神様みたいなもんで
すよね。
授業中、食事室からの騒音がひどい。
男子高校生の嬌声(男子に使える言葉か?)である。しばらく我慢していたが
、耐え切れず注意するために授業を中断する。ツカツカと歩いていって、
「君たちさ、授業中なんだ、静かにしてくれるかな? 喋っているのは構わない
んだけどさ」
と冷静にかます(但し、狂人の目でガンをつける)。すぐに静かになり(空気は
凍った)、その後
も同じだった。10年前の僕だったら吠えて、そこらじゅうにあるものを蹴っ飛ば
して問題になっていただろう。ずいぶんと人間が丸くなった。やだやだ、大人に
なんかなりたくない。
教室に戻り、2年生には
「いや〜、連中も受験でタマってるからさ」
と説明する。男子がニヤニヤしてたのが良かったな(^。^)
寒い中を帰宅。
夕方の小雨はあがっていた。今日もチャンコ鍋。この1週間で4回目だと思わ
れる。なぜだろうか?
1、鍋料理のバリエーションを増やしたい
2、チャンコの本を読んでいる
3、お相撲さんの彼氏ができた
4、野菜をたくさん食べたい
こんなことを書いている場合か。
今日は餃子チャンコ。鶏がらスープに生ニンニクのスリオロシと酒とみりんを
入れる。具は餃子・油揚げ・ネギ・ゴボウ・白菜・豆腐。ついでに昨日の残りの
イカゲソも投入。豆板醤を加えたポン酢でいただく。これがなかなか旨い。和風
のようでエスニック。たぶんニラやニンジンといった色の濃い野菜もあうだろう
から、小さなお子様のいる家庭でも楽しめるだろう。
今日も奥様に迎合する日記であった。
「あの・・・3は・・・?」
大人とは、予定調和の笑いを楽しむ生き物である。
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