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200Q年 水元公園 6月14日
  7時半起床。
  朝食は日本ソバ(きつね)とご飯少々。一昨日の油揚げの残りと、昨日のカレ ーライスの残りがあったから。食後にコーヒーを淹れて読書。


  『1Q84』村上春樹を読了。
  2週間と少しで読み終えてしまって残念。2冊組で1000ページを超えるし、文 字ギッシリだし、春樹の長篇は5年ぶり(超長篇は7年ぶり)だったからだ。詳 しい感想は後日のエッセイに譲る。何度か読み返さないと書けないし、春樹の作 品だけは別枠扱いで丁寧に書くから、アップは3年くらい先になるだろう。

  ということで、今日は簡単に書く。
  これから読む人もいるだろうから、ネタバレをしないように。本書を入手した 5月28日に、5つの予想を書いた。それに準じて箇条書きふうに書く。


1、主人公は3人称

→正解。
一般的に、1人称の小説は「著者が主人公を内包している」もので、3人称の小 説は「主人公が著者を超越している」ものになる。
自分のなかに見つかったものは1人称で書くわけだ。
もう、春樹くらいになれば、1人称で書くことは今後ほとんどないと思う。
本書も、3人称でむしろ読みやすく感じられた。
主人公の内面を語るとき、3人称の描写と独白のミックス加減が絶妙だった。 ヴォイスの切り替えの巧みさという意味でも、春樹には抜群の文章能力がある。

2、ハッピーエンドではない

→どちらとも言えない。
正確には、この2冊組は完結していないはず。
『ねじまき鳥』がそうであったように、「まだ書き足りない」部分が残っている はず。BOOK1が「4〜6月」、2が「7〜9月」であることからも推測できる。
これで終わりでは、この物語はどこにも収束していないと感じた。

3、『海カフ』や『世界』のような断章形式ではない

→ハズレ。
春樹はもともと、2つの筋を1本の小説に盛りこもうとする書き方が多い作家だ 。
『世界』が初期の作品に多くあった「こちら側と向こう側」を示すためのもので ある一方、『海カフ』は同じ人格(カフカくんとナカタさん)が別の 場所に生きている。
僕としては『ねじまき鳥』のような展開かと思っていた。
なお、『鳥』から分化したのが『国境』であったことは、ハルキストとしては抑 えておきたい(もともとは1つの小説だった)

4、比喩は控えめ

→大ハズレ。
『スプ恋』をほうふつとさせる比喩の乱発だった。
『スプ恋』は比喩の泉から全ての水を吐き出すように書かれた作品だったはず( その数年後に『海カフ』が出た)。
比喩の巧みさも春樹の重要な特徴であり魅力だが、ここまで乱発されるとちょっ と飽きる。
本書の致命的な欠点だ、とする人がいてもおかしくない。

5、わけのわからないストーリー

→ほぼ正解。
謎が謎を呼ぶというのは春樹の小説の得意技とも言える。
話の展開が追えなくなってしまうのではなく、どの記述なり事実なりがまた別の 記述なり事実なりにつながっているのか悩ましい。
すぐにでも再読したくなるのは、さすがだなあと思わされた。

  きわめて良い小説だと思う。
  ただ、上記のようにこの続き、つまりBOOK3と4が出るまでは評価するにはム リがあるかもしれない。『海カフ』のころから春樹が目指している「総合小説」 に近く、稠密(ちゅうみつ)すぎるから、初めて春樹を読む人には向かない。6 月10日に書いたように、

大衆ウケする方がおかしい

小説と言ってもよい。けっこう長い感想になった。


  TV将棋を観ながら少しだけ仕事。
  お昼前にエリンギとパスタを一緒に茹でて、市販の明太子ソースをかけて食べ た。朝からどんより曇りで、蒸し暑い。24℃くらい。久しぶりに独りデートに出 ることにした。ちゃんとした服を着て、コロンをつけ、髪を梳かしてから出発。


  高砂駅で乗り換えた。
  京成金町線はいわゆる盲腸線。高砂→柴又→終点・金町の順である。歴史的な イキサツは知らないが、柴又=帝釈天へのアクセスのために作られ、

「ついでに常磐線の金町までつないでおくか」

として全線が開通したかに見える。しかも、単線である。単線だぞオイ。都内だ よなここ?

  金町駅前からバスに乗る。
  目的地= destination は水元公園。花菖蒲を見に来たのだ。僕が花を見る趣味を 持っていると知っているアナタは、よびわるチルドレン(もっと大人になろう) 。事前の調べと異なり、公園の近くを循環するバスがあった。10分足らずで210円 、ナントカの鐘というバス停で降りた。公園のそばを長い距離にわたって走るか ら、どこで降りてもかまわないのだ。

  花菖蒲は見事だった。
  それでもやや盛りは過ぎているだろうか。ちょうど「花しょうぶまつり」とい うのが開催されているせいか、混雑していた。どっかの演歌歌手がステージに上 がって歌っていた。うるさいなあ。貧しい地域振興策なり。


  水元公園は広い。
  面積にしたら東京ドームの10倍くらいだろうか。ここには一度来たことがある 。そのときは交通手段がクルマだった。埼玉県との県境になる水辺のそばを長く 歩いて、バス停を探した。この時間だけ晴れ上がって、非常に蒸し暑くなった。 やや貧血にもなった。なんとか、ナントカというバス停に着いた。4人がバスを 待っている。

  やはり循環バスのバス停だった。
  20分に1本のペースで、次のバスまで10分ほど。さあ帰ろう、歩くのにも疲れ たし。バスはやってこない。定時から12分が過ぎた。どうなっているのだろう。 僕より先に待っていた老夫婦によれば、

「もう40分も待っている」

とのこと。おばさんがバス会社に電話している。

  どうやら、バスの遅延である。
  「水元公園」というバス停付近が大混雑していて、身動きが取れないようだ。 僕がいるバス停の6つくらい前が「水元公園」らしい。僕がいるところも公園に 面しているから、この公園がどれだけ広いかわかると思う。


  5分後、諦める。
  次のバス停「水元5丁目」が大通りに面しているようなので、そこまで歩けば 循環バス以外の路線を利用できるはず。いちおう都内だし、500メートルもあるま いとスタート。確かに大通りに出て、バス停があった。

そこは「水元5丁目」ではなかった。

  地図を持っていなかった。
  クルマの流れを見て歩いた。つまりバスが通れるだけの広さがある道をたどっ たはずだ。まあ、葛飾区だか足立区だか知らないが下町だから、僕が間違えたの だろう。そこの時刻表を見ると、2時間に3本。次は30分待ち。どうするか?

  5分ほど、そこでタクシーを待った。
  かなりの大通りで、やはり水元公園方向に向かう道は渋滞ができているから、 交通の要衝に近い場所だと思われる。が、タクシーは来ない。バスが来ないのは 時刻表からして当然だが、どうするか。


  次のバス停に向けて歩く。
  歩いているうちに前方か後方からタクシーが来るだろう。このバス路線の行き 先は金町ではなく亀有駅(金町より1つ東京寄り)だが、タクシーなら1,000円も かからないだろう。歩く。歩く。バス停を3つ過ぎた。タクシーは1台も通らな い。こんな大通りなのに? ここは都内なのに? もう30分以上も歩き続けてい るのに? 僕はいまどこにいるのだろう? まさか。

200Q年――僕はこの新しい世界をそう呼ぶことにしよう、健志はそう決めた 。
Qは question mark のQだ。疑問を背負ったもの。


  結局、その10分後くらいに別のバス路線にたどり着いて金町駅に戻ることがで きた。
  何しろ、バスもタクシーもなければ歩くしか交通手段がないのだから、本当に 途方にくれた。途中で駐在所があったけれど、誰もいなかったし。金町駅前の立 ち食いソバ『そばっ子』で食べた天ぷらソバは美味しかった。すごぉく汚い店だ ったけど。

  クタクタになって帰宅し、さっそく風呂に入った。
  湯上りにここまで日記を書いた。30分くらいかかった。まだ夕食にするには早 い夕方の6時である。夕飯には生ウニを食べた。おいしかった。とても疲れてし まって、日常のことを詳しく書く元気は残っていなかった。いや、やはり、

葛飾区付近には亜空間が存在している

のではないか、と真剣に考えている。


追記:会員ページに更新。
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