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夏の缶ビールは、汗のかきかたが美しい。  
























































































だから何だ、と言われればそれまで。  

















































「あいづライナー1号」は11時50分着。  














萌えてこそ、テツ。  







  

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テツわる会津鉄道編 2月18日
  はたされなかった想いがある。
  僕たちはその想いを決して忘れない。なんども反芻する。またあるいは、もし かしてひょっとして、またその想いを果たすチャンスがあるかもしれないと考え る。本当に反芻するだけの人生にはまだなっていないと考える。自分にはまだそ のチャンスがあるのだ、まだ人生はこれからなのだという気持ちを抱き続ける。


  会津鉄道。

「おい、けっきょくテツの話題かいッ!」

そんなん件名でわかってるじゃないですか(^・^)


  梅雨の晴れ間の7月某日、浅草駅で乗り換える。
  東武鉄道の浅草駅は、都営地下鉄のそれとは少し離れている。いったん地上に 出て徒歩2分くらい。隅田川沿いの大きな交差点には「電気ブラン」で有名な神 谷バーがある。左に歩けば雷門、右に歩けば隅田川をわたる大きな交差点だ。

  「特急きぬ103号」鬼怒川温泉駅行き。
  8時に発車するそれの指定席は前日のうちに押さえておいた。全車禁煙が予想 されるので、駅頭の灰皿の前で煙草を一服。乗り換えの通勤客らしき人々で混雑 している。今日はふつうの平日だ。

  乗車率は1割程度だろうか。
  以前にも乗った記憶がある東武浅草線は、発車直後に急なカーブを右に切り隅 田川を渡る。すれ違う上り電車は通勤ラッシュで混雑している。僕は駅で買った 駅弁のフタを空け、ビールのプルリングを起こす。

ぷはぁぁぁ! うめぇ!

とオヤジをやっていないで実況中継だ。


  8時32分に着く春日部駅までは、普通の下町の風情が続く。
  そこを過ぎると近郊都市の景色に変わる。緑が多くなっていくが、まだ田舎の 風景ではない。春日部で乗車率は2割を超えた。意外に混んでるな。

  9時8分に栃木駅。
  ここからハッキリと田舎になる。特急で都心から1時間だから、千葉県で言え ば成田を過ぎたあたりだろうか。ここから旅景色になってきたと言える。特急の 乗り心地は悪くはないが良くもないくらい。車両の動き方は京成のスカイライナ ーより少しぎこちないくらいだろうか。この比喩でわかる人はいないだろう(わ かるテツは多いだろう)。

  鬼怒川温泉駅9時57分。
  ここで「快速AIZUマウントExp」に乗り換える。なんという中途半端な列 車名なのだろうか。ここから先は会津鬼怒川線になる。2つ先の新藤原駅からは 会津鬼怒川線、野岩鉄道の管理下になる。直通電車はあるものの、東武鉄道では ないということだ。


  僕が持っているのは「会津往復列車たびきっぷ」
  浅草から下今市(鬼怒川温泉の手前、東武日光の1つ手前)までは往復乗車券 、下今市から会津若松まではフリー乗車券という扱いである。4日間有効で 6,900円。会津若松まで単純に往復した場合よりも安いことは調べておいた。

  「快速AIZUマウントExp」は10時1分発。
  全て自由席で、車両は田舎にしては立派な特急タイプ。座席が全て2人がけと 書けば、非テツにもわかってもらえるだろうか。ここでテツは、

「おい、そんな説明じゃあわからないだろ、車両番号をちゃんと書けよ!」

とか言ってくるだろうが、無視。僕は乗りテツであって車両族じゃないの(用語 解説はヒマここエッセイ)。


  さてどうするかなあ?
  宿はこの快速が10時20分につく川治温泉に取ってあるが、他の予定は何もない 。レンタカーで会津近辺を激走か、それは明日に回すか。それがうまくいく鉄道 ダイヤになっているかどうか。手元には公式HPから印刷してきた時刻表しかな い。

  とりあえず、会津若松まで行ってしまおうか。
  こういったローカル線の場合、乗り継ぎの困難を回避するには、「1本で乗れ るところまで乗っておく」ほうが効率よく路線を制覇できることが多い。さいわ いなことに、いま乗っている「快速AIZUマウントExp」は会津若松まで直行 する。

  11時3分、会津田島駅。
  ここでいったん下車するかどうか迷っていた。駅前にレンタカーがあるらしい という情報だけ持っていたが、確証はない。南会津を激走するにはキーとなる駅 なのだが、やはりこのまま乗り続けることにする。さあ、ここから会津鉄道だ。 果たされなかった我が想い、ここに果たされんとす。漢文か?


  のんびりとした南会津地方を抜けていく。
  特別な名勝というか車窓風景があるわけでもない。ただひたすらのんびりとし た過疎地を抜けていくばかりだ。湯野上温泉駅を通過する。左の画像は車内から 窓越しに撮影したもの。ここは昨夏の「ころり三観音制覇の旅」(ヒマここエッ セイ)で観たことがある。茅葺き屋根の駅舎で有名だ。左画像は車内から撮影し たもの。

  会津若松駅11時57分着。
  ここには僕の親の実家があり、今までに20回以上も降車したことがある。新幹 線を使って郡山経由で来れば2時間ちょっと、こうして浅草から東武鉄道経由で 来れば4時間。いわば会津への裏街道を制覇して良い気分だ。


  この裏街道の存在を知ったのはいくつの時だったろうか。
  時刻表を読む、というより時刻表の路線図を見ることができるくらいだから、 小学校の低学年かと思われる。自分が行こうとしている、または行った会津若松 という駅には、なんか知らないけど

山の中を通っていく路線があるのだな

という理解だけがあったはずだ。

  当時、会津若松に行くには国鉄(現JR)の「特急あいづ」を利用していた。
  なにしろ東北新幹線の開通以前の話である。上野駅を出た「特急あいづ」は東 北本線を北上し、黒磯だの白河だのといった不気味な名前の駅に止まりながら、 郡山を経由して磐越西線に入り、3時間半ほどで会津若松に到着した。

  東北新幹線が開通したあとも、しばらくは「特急あいづ」が運行されていた。
  しかしもちろん、今がまさにそういう時代であるように、新幹線の走る区間が 増えるにつれ、首都圏から地方都市へ直行する特急たちは廃止されていった。「 特急あいづ」がなくなったのは、僕が親の田舎に行くことをやめてしまった中学 生のころだったと思う。「特急あいづ」の記憶は、僕の少年時代の記憶であった とするのは、

ありがちな少年時代の美化

なのかもしれない。


  会津若松駅のホームに赤い電車が止まっている。
  従来の特急に使われていた車両だが、おそらく今は快速「あいづ」ではないか と思う。このような遭遇があった場合、テツたるものは

即座に時刻表を取り出し列車名の確認及び運行ダイヤの確認

という行為に及ぶべきなのだが、不幸なことにこの旅にはJRの時刻表を持参し ていない。

  画像に写っている変な動物は「赤べこ」という。
  べこは牛のこと。なぜ赤いのかは知らない。「赤べこ」は会津地方の民芸品で 、体長7センチくらいの張り子である。張り子なんて言われても最近の若い人に はわからないだろうけど・・・可愛いというか不気味というか。


  さてどうするかな。
  今はまだ正午過ぎ。この会津若松でレンタカーを借りて、会津田島で返却でき ればベストの行動になる。そこそこ晴れてるし。観光シーズンとは何の関係も ない梅雨時の会津若松駅は空いている。観光案内所に行ってみるかね。

  会津若松には大手のレンタカー会社の営業所があるが、会津田島にその支店は ないということ。
  なんだ、どうしようもないな。会津の城下町はなんども観光したことがあるか ら、今日はとりあえず宿に向かうしかない。12時58分会津若松発の会津鉄道で折 り返すことになった。乗るのは先ほどと同じ「快速AIZUマウントExp」。先 頭車両の先頭座席をゲット。乗車率は5%足らず。

  鉄道紀行文の大家である宮脇俊三先生は、このような折り返しの乗車区間のこ とを、

>巻き物を巻きなおすような退屈な時間

と表現されていた。
  なるほど、然り。さきほど見たばかりの車窓風景を逆方向から見ながら、川治 湯元駅に14時44分に着く。駅から宿に電話して、クルマで迎えに来てもらう。想 いは果たされたのに、感動が少なかった。そんなテツ旅もある。
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