予備校講師でわるかったな!





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あなたはわかろうとしたの? 10月07日
  某予備校のHPに「講師の自己紹介」という文を載せていただいた。
 この詳しい経緯は「ここ」の日記に譲る。 

 上記のリンクからたどれる日記に書いた「最適化」はほぼ僕の意図通りだった(忙しい人はここから直行できます)。
 「30字×7〜15行」の依頼ということで、原稿は30字で改行したが、ご覧のようにこれは果たされなかった。でもこれはそれほど問題ではない。ちゃんと行空けを原稿通りにしてもらったので素直にうれしい。自己引用。



> ヒロイン「そうやって嫌なことから逃げているのね?」
ヒーロー「いいじゃないか、嫌なことから逃げて何が悪いんだ!」

上記は、ある有名なアニメにあるセリフです。
僕はある程度まで年を取ったので、ああなるほど若いころは俺もこんな風に考えていたな、となつかしく思います。受験生のみなさんだと、やっぱり「嫌なこと」に受験勉強を代入したくなるかと想像できます。

僕はここで、「それでもやらなきゃいけないんだ」という精神論を展開するつもりはありません。
ヒロインのセリフは大人の説教の仮託であり、ヒーローのセリフは子どもの気持ちの見事な代弁であると信じています。そう思えるのは、僕が受験を含めたいろいろなことを経験して少しは大人になったからなんだろう、と考えます。

大人になっていく過程はいくつかあります。
その1つがたまたま受験勉強であり、たまたま英語の勉強なのです。
僕が皆さんのお手伝いをさせていただけるなら、できることはこの1つだけです。これが僕の授業スタイルです。教室で会いましょう。



 ところで、この引用文の出典のタネあかし。
 『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイと碇シンジのセリフである。正確にこういうセリフだったかわからないので、出典は書かなかった。仮にわかったとして、予備校の公式HPにエヴァネタを入れていいのか、という問題も残るし・・・。

「っていうか先生、ハッキリ言って異常者ですよね?」

 まあそうなんだけどさ(^^)
 宣伝というのは、何があっても目を引くことが優先される。商売なのだから、読んでもらってナンボである。PC上のことであるから、クリックして、ページを開いて、そこに字がギッシリあったら誰も読まない。さきの日記じゃないけれど、「仮定法が」と書き出されることはさすがにあるまいが、

受験業界でよく使う漢字から始まったら

よほどの気力がなければ読まない。断言できる。


 予備校関係者である僕自身でさえそうだ。
 つまり、「あれっ、この講師はこの予備校でもやっていたのか」(ありがちだよなw)と思ってクリックしても、最初の3秒で面倒だなと思ったら読まない。よほど興味があれば別だが、基本は読み流しで次のページに行ったときは何も覚えていない。

 10代の受験生だったら尚更だろう。
 若い人は情報がたくさんあることに慣れているから、パッと見で情報を取捨選択するのが上手だ。多すぎるから、もちろんほとんどの情報は捨てる。正確な判断力はないかもしれないが、ある情報を「検討する価値がある」として選び出す可能性はかなり低い。だから、

宣伝はキャッチーなもの

でないと存在意義がない。良いことが書かれているかではなくて、それを検討の選択肢に入れてもらうことが全ての始まりだ。


 と偉そうなことを書いているように見えるし、実際に書いたのだが、そういう僕自身の自己紹介文も訴求力はまだまだ低いと思う。
 自戒をこめて書いたわけだ。予備校に限らず教育産業は口コミが全てだとよく言われる。良いサービスを提供する→生徒様が良い結果を得る→「あの予備校(塾)良いよ」と友だちや後輩に伝わっていく、という図式である。

 果たして、それだけだろうか?
 その神話に頼りすぎていないか。少子化その他の現象によって、子どもたちのコミュニケーション能力はひどく低下している。予備校で隣の席に座る同じクラスの生徒様に話しかけることすら苦手にしている(悪いことではない、それだけシャイになっただけである)。そういう内気な子どもたちが、

積極的に「あの予備校(塾)良いよ」と周辺に言って回るのか

という問題がある。

 多少はそうだろう。
 しかし、以前より交友範囲が狭いから「多少」という程度だろう。そもそも、口コミが効を奏するのは、無名の塾だけだ。つまり以前よりも口コミによる宣伝効果は確実に下がっている。今までと同じ方法をアテにしているから、ジリ貧になっていく。だから、口コミとは何か別の、

情報を伝えていくための新しい媒体や形式

を探す必要があるはずだ。見つかるまで探すか、そもそも存在しないなら創造するべきだ。


 情報の海から、特定の情報を選んでもらう手がかりを用意する必要がある。
 僕の「講師紹介」の文章は、そういう実験である。不発であろうが、試さないで何ができるものか。旧態依然の方法は通用するまい。すくなくとも、そればかりに頼るのはムリである。時代はいつも移ろっていく。したがって、最初に「仮定法が」なんて書かないほうが良いのである。けっこうマジメな話になったな・・・。



追記:このエッセイを書いたのは2010年ごろ。某予備校で2年目が始まったころである。アップするタイミングを逃してしまったが、捨てるには惜しい内容だったので公開することに。もし戻れるチャンスがあるのなら、と考えている。そりゃまあ、ちょっとアレなところはあるんだけどさw

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